第71話 「帰ってきた妻子と灰色の幸福」

「……ぷはぁっ!」

 天野ミカは、パジャマ姿のままペットボトルを水を一気飲みし、豪快に息を吐いた。

「よく飲むなぁ……」

 ダインが呆れ顔で見る。

「これも脇の匂い対策になるんだってさ!」

 ミカは得意げに解説を始めた。

「冬はね、汗をかく機会が減るでしょ? 老廃物が溜まって、濃度の高いドロドロした汗が出やすくなるの。そのせいで匂いがキツくなるんだって。だから水分をいっぱい摂って薄めるってワケ!」

「ほう」

 ダインは興味なさそうにあくびをした。

「ま、とにかく行こうか」

 ミカは手早くニットとスキニーデニムに着替え、ダウンジャケットを羽織った。


【ランク:E】

【依頼:妻と娘を探してほしい】

【内容:行方不明に『無銭』の関与が疑われる。要調査】

【報酬:10,000円】


「行方不明かぁ……。世知辛いね」


***


 依頼人の家は、少し寂れた住宅街の一軒家だった。

 チャイムを鳴らすと、無精髭を生やした30代前半の男――渡辺が出てきた。

 ひどくやつれているが、その目は妙に明るかった。

「あ、魔法少女の方ですか……。あの、すみません」

「え?」

「妻と娘……帰ってきたんです」

 渡辺は照れくさそうに頭を掻いた。

 話によると、一週間前に妻と娘が忽然と姿を消した。

 悲しみに暮れ、家に引きこもっていたところ、家の中に黒い影のようなものが現れるようになった。

 『無銭』の仕業かと思い、魔法少女に依頼を出したのが昨日。

 しかし昨夜、ふらりと二人が帰ってきたのだという。

「それからは黒い影も消えました。……という訳なんです。せっかく来ていただいたのに、すみません」

「いえ、ご無事で何よりです」

 ミカは笑顔で答え、家を後にした。


***


「……骨折り損の、なんちゃらかんちゃらって感じ?」

 帰り道。ミカはスクールバッグのダインに話しかけた。

「ああ……。だが、ミカよ」

「ん?」

「……匂うんだ」

 ダインの声が低い。

「え? 『無銭』? それともアタシ?」

「……両方だ」

「えー、ウソでしょ!? 水飲んだのに!」

 ミカは慌てて自分の脇の匂いを確認する。

「あの家だが……人間の匂いと、無銭の匂いが混じり合っている」

「どういうこと?」

「気のせいならいいのだが……」

 ダインが振り返る。

 夕闇に沈む渡辺の家は、どこか異様な静けさを纏っていた。


***


「そんなに気になるの?」

「ああ。万が一ということもある」

 翌日。

 ミカは再び渡辺宅を訪れていた。

 今回はダインの勘に従い、念のため山本と光も呼んでいる。

「あれ? また……」

 渡辺がドアを開ける。

「すみません、ちょっと確認したいことがあって」

「そうですか。どうぞ」

 渡辺に招かれ、一行はリビングに入った。

 温かいオレンジ色の照明。食卓には夕飯が並んでいる。

「妻の陽子です。……ほら、魔法少女の方達だよ。お前がいなくなって、心配して探してもらおうと思ったんだ」

 渡辺が、キッチンの前に立つ女性に話しかけた。

 そして、その足元に隠れる小さな女の子にも。

「あと、娘の由紀子です。ほら、ご挨拶して」

「…………」

「あはは、この子はシャイなんですよ」

 渡辺は愛おしそうに二人を見つめ、頭を撫でた。

「…………」

 ミカ、山本、光、ダイン。

 4人は言葉を失い、凍りついていた。

 渡辺の目には、妻と娘が見えているのだろう。

 ミカたちの目に映っていたのは――。

 のっぺらぼうの、灰色の塊だった。

 顔もなければ、服も着ていない。

 粘土をこねたような人型をした『無銭』が2体。

 それが、渡辺に寄り添い、子供のような塊が、渡辺の足にすり寄っていた。

(……ヒッ)

 ミカは悲鳴を上げそうになり、口を押さえた。

 異様な光景だった。

 男が、灰色の怪物を愛おしそうに撫で、怪物はそれに答えるように体を擦り寄せている。

「……あなたたち」

 光が一歩前に出た。

 『無銭』たちが、警戒するようにゆらりと揺れる。

 敵意は感じられない。

「ええ! 私には過ぎた家族です」

 渡辺が誇らしげに笑う。

「……行きましょう」

 光がミカの袖を引いた。

「えっ、でも……」

「いいから」

 一行は、逃げるようにその家を出た。


***


 帰り道は、重苦しい沈黙が流れていた。

「……このままで、いいのかな」

 ミカが呟く。

「みなさん……これを見てください」

 山本が、青ざめた顔でスマホを差し出した。


『一週間前、山間部でバス転落事故。車体が炎上』

『身元不明の母子の遺体を発見。損傷が激しく……』


「……一週間前」

 ミカが息を呑む。

 渡辺の妻と娘が消えた日だ。

 渡辺のどうしようもない孤独と悲しみが、彷徨っていた『無銭』を引き寄せたのだろうか。

 それとも、『無銭』が死んだ家族の記憶を読み取り、成り代わったのか。

 なぜ彼らが、渡辺を襲わず、家族として振る舞っているのかは分からない。

 ただ一つ分かるのは。

 あそこには、確かに「幸せそうな家庭」があったということだけだ。

「……もし、実害が出たり、問題が起きたら……その時はまた来ればよかろう」

 ダインが静かに言った。

「そう……だね」

「『無銭』と人か……」

 それまで黙っていた光が、夜空を見上げて呟いた。

「仲良くできる事も、あるんだね。……なんか、良くない?」

 その横顔は、どこか寂しく、そして安堵しているようにも見えた。

 ミカはハッとした。

 光の体は、『無銭』の細胞と融合している。

 彼は、あの家族に自分を重ねているのだ。

 人間と怪物の間で揺れる自分を。

(……光)

 胸が、ギュッと締め付けられるように苦しくなった。

 同情ではない。もっと切実な『何か』。

「……どうしたの?」

 視線に気づいた光が、ミカを見る。

「な、なんでもない……!」

 ミカは慌てて鞄からペットボトルを取り出した。

「の、喉乾いたなー! そういえば知ってる? 水分補給っていいんだよ…… 」


 夜風が吹く。

 ミカは空になったペットボトルを握りしめ、明日もまた、この不器用なヒーローの隣にいようと思った。


【報酬:0円】


『残高:50,500円』

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