挫折感についての哲学的考察〜TAO〜
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第1話 あるがまま〜老荘思想
□「あるがまま」と、もう一度出会うまで
体の不調が続いている。
「昨日はもう少しできたのに」
「今日は昨日より悪い」
「あぁ、私はダメなんだ」
気がつくと、そんな言葉ばかりが頭の中で渦を巻き、心はいつも沈みがちになる。
けれど、この考え方ばかりで生きていくのは、どこかでもったいない気がした。
では、この思考状態からどう抜け出せばいいのか。
その問いを、私はずっと心の底で抱えていた。
私の「挫折感」は、
“答えのないものに答えを求め続ける思考パターン”から来ていた。
痛みや不調には明確な理由がないことも多い。
それなのに必死で理由を探すから、行き詰まってしまうのは当然だった。
そんなある日、「あるがままを受け止める」という英語の表現と出会った。
因果関係を探さず、起きた出来事をそのまま受け取るという考え方。
その言葉に触れたとき、胸の奥がふっと軽くなった。
――こんなふうに、難しい状況を軽やかに受け流すこともできるのだ。
そんな気づきが、小さな風のように心の隅を揺らした。
私はその後、ChatGPTに相談し、千字ほど自分の思いを書いて分析してもらった。
すると、ユングや『星の王子さま』、フランクル、キルケゴール、禅、そして道教……
さまざまな思想とのつながりが示され、さらに深い分析が返ってきた。
そして、思考パターンを変えてみればいい――そう提案されたのだ。
そのなかで、とくに心に残ったのが老荘思想だった。
タオ(道)に委ね、「あるがままを受け入れる」。
若い頃はあんなに好きだったのに、痛みに追われる日々のなかで、いつのまにかその大事な考え方を忘れてしまっていた。
人は痛みが迫ってくると、どうしても思考が硬直する。
「どうしてこうなったの?」
そんな一次的で、生存本能がむき出しの問いに支配されてしまう。
哲学的に洗練されていないかもしれないけれど、それが人間として自然な反応でもある。
ただ私は、その渦の中に深く入り込みすぎてしまっていた。
だからこれからは、痛みや出来事から少し距離をとって、
老荘思想の視点に、もう一度そっと戻ってみたいと思う。
できるかどうかはまだわからない。
けれど、その視点を持っているだけで、“挫折”にはならない気がするのだ。
「これは大きな人生の流れの一部なんだ」
そう捉えるだけで、心の糸が絡まらなくなる。
大丈夫だよ、と静かに言われているような気がしてくる。
痛みはすぐには消えないけれど、
心のほうは、以前よりずっと柔らかく、静かでいられる。
そんな場所へ、私はいま、ゆっくりと戻ろうとしている。
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