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  • 不自由な飛行機に乗せてへの応援コメント

    自主企画の【空行】行間ギチギチ部【少ない】からきました。

    この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。
    いくつか気になる点にも触れますが、それも作品の余白や余韻として受け取りました。

    一読すると、病を抱えた二人が互いの想いを伝え合い、やがて同じ制服を着て並んで歩くようになるまでの純愛の物語として読めます。

    丁寧に読んでみると、この作品の芯にあるのは「自由になれた話」でも「二人で答えを見つけた話」でもないような気がしてきました。



    宏樹は、いつ死んでもおかしくない病を抱えています。
    悠もまた、現代の医療では治らないとされる病と向き合いながら、アメリカへ旅立って行きます。

    そういう状況の中で、宏樹が最初に選んだのは、「言わないこと」でした。

    屋上に立った宏樹は、渡しそびれた手紙を丁寧に折って、紙飛行機にして飛ばします。
    その紙飛行機を見送りながら、彼は悠のことをこう思っています。

    「これは、空を行くこの飛行機は、君だ」
    「そこに、僕がいなくても」

    自分の不在を、悠の自由の条件にしようとした。
    自分がいなくなることで、自分という「枷」から悠を解き放てると信じていた。
    この屋上の場面が、宏樹の出発点だと思います。

    彼が自分自身に与えた最初の定義
    「いない方がいい存在」

    紙飛行機はやがて、水平線の彼方に消えていきます。



    届いた手紙、その不思議について、この作品がとても静かな書き方をしていることに気づきます。

    宏樹が飛ばした手紙は、海の方向へ消えていきました。
    悠はアメリカにいます。
    それなのに、その夜のビデオ通話の中で、悠は言います。

    「私ね、宏樹の書いた手紙、見ちゃったんだ」

    この手紙を悠がいつ、どこで読んだのかは、作品の中でははっきり語られません。
    悠が読んでいたという事実だけが、差し出される。
    その不思議さも含めて、「手紙を読んでいた」という事実だけが、二人の関係を一気に動かしていく印象を受けました。

    この作品は、出来事の理由や道筋をすべて丁寧に説明する語り方を選んでいないように思います。

    二人の間に生まれた事実と、それによって変わった状況を置く
    そしてその間にある「どうして」は、語らないまま先へ進む

    それがこの作品の書き方のひとつだと思います。



    ビデオ通話の中で宏樹は言います。

    「僕は悠を過去に縛り付ける枷なんだ。だから言っちゃダメなんだよ」

    それに対して悠は、まっすぐ返します。

    「枷なんかじゃないよ」
    「宏樹と一緒にいるっていう不自由が、私を自由にするんだと思うんだ」

    この言葉で、「自由」という語の意味が根本からひっくり返ります。

    自由とは、何にも縛られず、誰とも関わらず、一人でどこまでも飛んでいくことではない。
    悠にとっては、宏樹と一緒にいることもまた、自分の自由の一部になる。

    「不自由の中にある自由」——それが悠の言葉です。

    宏樹の「君の自由のために、僕はいない方がいい」という前提は、この一言で否定されました。

    その後、月を介して間接的な告白が交わされます。

    「月が綺麗だね」という言葉
    「愛している」とは言わない、言えない

    でもその言葉の内側にあるものは、届いたと思います。



    「月が綺麗だね」を経て、物語はこう続きます。

    「季節は巡り、四月」

    十月のビデオ通話から、四月の朝まで。
    その数ヶ月の間に何があったのか——悠の治療はどうなったのか、宏樹の病はどう推移したのか、悠はいつ日本に戻ってきたのか——作品は語りません。

    ただ、四月の朝に制服姿の二人が並んで歩いている場面が、置かれます。

    「僕も悠も、"無理しない範囲で"、だからね」

    この「無理しない範囲で」という一言が、さりげなく添えられています。

    二人の病が完全に解決したわけではない
    それでも、二人は並んで歩いている

    この作品は、そこまでしか言いません。



    四月の街角で、宏樹は空に飛行機を見つけます。

    「この世で一番自由に見えた」と感じながら、「この子はあの飛行機と同じだ」と悠を重ねる。
    紙飛行機を飛ばしたあの屋上で生まれた比喩が、半年後に再び現れます。

    そして宏樹は言います。

    「悠、昔聞かれた夢の答えを、今言ってもいい? 僕、飛行機雲になろうと思うんだ」

    飛行機雲は、飛行機が通ったあとの空に残る白い線です。
    飛行機を先導するわけでも、引き止めるわけでも、支配するわけでもない。
    自由に飛んだ飛行機の軌跡として、あとに残る。

    宏樹が選んだのは、そういう存在でした。

    悠が自由に生きた軌跡を、写真という形でこの世界に刻む。

    ここが、この場面で印象に残ったところです。

    悠は、意味がわからないといった様子で、宏樹の顔を二度見します。

    「飛行機雲になろう」という宏樹の言葉は、その場ではまだ悠に意味として届いていない。
    二人で辿り着いた答えではなく、宏樹の中で生まれた決意として、そこに置かれています。
    それでも宏樹は笑いながら悠の顔を写真に収め、走り出す。



    物語の前半、宏樹は言いました。
    「そこに、僕がいなくても」

    物語の末尾、宏樹は決めます。
    「悠を決して一人にはしない」

    この二つの言葉は、まったく正反対です。
    同じ人物が、自分の在り方について、物語の前半と末尾でまったく逆のことを宣言している。
    ここが、この作品の骨格だと私は感じました。

    「いない方がいい存在」から「一人にしない存在」へ。

    立ち止まって考えると、その変化の道のりは、作品の中に描かれていないのです。

    十月のビデオ通話で悠に「枷なんかじゃないよ」と言われた宏樹が、四月の朝に「飛行機雲になろう」と決めるまでの間——その数ヶ月で何が起きたのか、宏樹の中でどのように気持ちが動いたのか——作品は語りません。

    「飛行機雲になろう」は悠に届かなかった。

    それでも「悠を決して一人にはしない」という言葉は、宏樹の中にあると感じます。

    この作品は、その変化の過程を説明するのではなく、その変化の結果だけを、四月の青い空の中に置きます。

    紙飛行機、月、飛行機雲、写真というモチーフの連鎖の中に、「そこに、僕がいなくても」から「悠を決して一人にはしない」への反転だけが、証明されることなく、配置されています。



    この作品の芯にあるのは「二人が自由になれた話」ではないと、私は思いました。

    「誰かを自由にするために自分が消えようとした人が、その考えを崩されたあと、相手の自由を奪わないまま、その軌跡を残す存在として自分を置き直す」——その反転が、この作品の最深部に置かれているものだと感じます。

    そしてその反転は、説明も証明もされないまま、ただそこにあります。

    「無理しない範囲で」という言葉が示すように、すべてが解決したわけではない。
    「そこに、僕がいなくても」が「悠を決して一人にはしない」に変わりました。
    その一点だけは、四月の空の中に静かに置かれています。

    私はこの作品をそう受け取りました。

    作者からの返信

    こんな拙作にこうも丁寧に向き合っていただき、本当にありがとうございます!

    私が私の中の答えを提示するなんて野暮な真似はしたくないのですが、あなたの考えるように二人が自由になる話ではないと私も思っています!

    レビューまでいただき、ものすごく嬉しいです!

    また機会があれば同系統の読み切りの別作品も読んでいただけると嬉しいです!

    本当にありがとうございました!

  • 不自由な飛行機に乗せてへの応援コメント

    高一の短編を〜の企画から来ました!

    短いお話なのに、切なくて、ちょっとキュンとする素敵なお話でした!

    素敵な作品をありがとうございます

    作者からの返信

    とっても嬉しいコメントです!!
    こちらこそありがとうございます!!