かすみ草の如き女、されど
きよのしひろ
第1話 イントロダクション
「 我が《Y県》は山々に囲まれた自然豊かな地域として知られ、昔から農業と林業を中心に栄えてきたが、近年の人口減少や高齢化…… ってさ、雄介さ、小学生の『我が町紹介』じゃないんだから、もっと読者を引き込むような書き出しにできんのか? 」
―― 始まった。編集長は初見で必ずケチをつけるのよ。今に、見てて ――
私は夫の叱られる姿を横目に腕を絡める。
……
「 ま、今回がこの県庁所在地の《Y市》を取り扱う第一回目だし、もう、締め切りだから良しとしてやるがな、来月号にはきっちりしたもの出してくれ、良いな! 」
―― そらきた。いつもの、ワンパターンだ。ふふっ ―― 私はほくそ笑む。
「 こら、和花(あえか)、夫婦だからって仕事中に腕組む奴どこにいるんだ! 離れろ! 五十センチ以上だぞ! 」
「 あ、はい、すみません 」サッと腕を離して畏まる。夫をチラ見するとにやけてる。
「 お前も、写真十枚も出してよ、旦那の記事に使う写真を俺に選べってか? 」
今度はこっちの番だ。
「 あ、いえ、私はこの写真が…… 」
私は編集長の顔色を見ながら一枚の写真を指差す。
「 ……ふーむ、それよりこっちの方が良いだろう 」
編集長のいつものパターンだ。必ず私が勧めるもの以外の写真を選ぶ。
だから私も、次点作を先ず示すことにしている。そうすると編集長が私のベストショットを選んでくれる。
七年も一緒にやってると、このくらいの知恵はつくものよ。
「 お、そう言えば優奈(ゆな)ちゃんの顔を最近見てないけど、元気か? 」
いつまでもじくじく言わないところが編集長の唯一良い所かな。
「 はい、この三月四日で五歳になりました。来年はもう小学生になるんですよ 」
「 そっか、お前のご両親も見たかっただろうに……、あ、悪い事言ったか? 」
「 いえ 」
私は頭を下げて、夫を促し編集部の自席に戻る。
父は私が小学生の時に、母は高校生の時に亡くなっている。
父の形見の写真機を子供ながらに大事に思っていて、中学に入る頃から写真を撮るようになり、高校と大学では写真部に入って腕を磨いた。
人付き合いが得意な方ではなく、人物より海、山、川、花といった自然の方が好きなうえ、カメラを通して見るとその美しさだけでない可憐さ、雄大さなど一味違った自然の魅力が感じられ、のめり込んだ。
就活でもその腕を活かしたくて報道、それも新聞社を数社受け、運よくこの社に内定を出してもらったのだ。
命じられた初仕事は、今の夫、霞雄介(かすみ・ゆうすけ)記者に同行するカメラマンだった。
彼は社会部所属で、当時は闇バイトや特殊詐欺、宗教団体の資産巻き上げ問題などを扱っていたが、県内でひと度何かが起きると呼び出され私も同行することになる。
おかげで私は昼夜を問わず男性と一緒にいることになり、大学から付き合っていた彼氏に誤解されたこともあって距離を置かれ、振られてしまう。
悲しんでいる暇もなく県内中を飛び回っていた。
《Y県》は長径百五十キロほどのやや縦長の楕円形。
急峻な地域が多く中央部やや南側に唯一の盆地があって、県庁所在地である《Y市》はそのやや南側にある。
仕事で鉄道を使うこともあるが、太平洋側から《Y市》までしか通じていないため、それほど有用ではない。
そんな生活が二年を過ぎた頃、
「 結婚してくれ 」
仕事で移動中、一休みするため湖畔の売店でコーヒーを買って湖を眺め伸びをしていると、雄介からいきなりのプロポーズ。
周囲には数組のカップルや家族連れ、見られてる気がして恥ずかしく言葉を出せない。
もじもじしていると、かなりの身長差のある私の顔の前に緊張した彼の顔が現れ、今にも泣きだしそうで、かわいそうになって思わず、
「 はい 」
と囁くように答えてしまった。
その後、訳もわからず結ばれ、あれよと言う間に妊娠。
「 俺たち結婚しますので仲人お願いします 」
婚約無しで編集長に仲人をお願い、『できちゃった婚』を激白することに。
順調にお腹が大きくなり優奈が生まれて五年、出社前に優奈にお弁当を持たせて保育園へ送り届ける生活が続いている。
もちろん、夜中に事が起きると雄介がカメラを担いでひとり出掛けることに。
「 霞さーん、電話 」
声を掛けられたのはそんな思い出に浸っている時だった。
「 はーい 」
夫が返事をすると、「 ちゃうちゃう、和花の方だ 」
「 はい、霞です 」
受話器を耳にすると、死刑宣告を受けたようなショッキングな話。
事件を伝える言葉に続いて何かを言ったようだけど、相手の言葉を理解できず、何も考えられず、受話器を落とし呆然と立ち尽くしていた。
「 どうした。和花! 」
夫に肩を揺すられ我に返る。
「 お爺ちゃんとお婆ちゃんが殺された 」
母親が亡くなってから就職するまでの間、一緒に暮らした時のいつも優しい祖父母の顔が目に浮かぶ。
何をどうして良いのかまったく思い浮かばず、ショックが身体を拘束していた。
同僚や編集長までもが集まる。夫が事情を説明している。
「 和花、取り敢えずお爺ちゃんの家に行こう 」
夫が手を引いてくれて編集部を出たらしいが記憶が曖昧。三月二十一日の午前の早い時間のことだった。
つい三カ月前新年の挨拶に行ったとき、
「 最近、不動産屋さんが来てさ、山売れってうるさいのよ。息子に言ったら、『良い話じゃん売んな』って無責任に言うのよ 」
と祖母が零していたのを思い出す。
車で《Y市》を抜けて《悠駿川》という一級河川に沿って走る県道を一時間ほど遡ると、低山の連なる地域に近づく。そこは典型的な扇状地で緩やかにくねる上り坂に入る。
山幅が次第に狭くなると、たっぷりとした水量ある川の流れを見ながら山裾を走るエリア。
いつもは心地よい水音が今は悲し気に聞こえる。
川から離れしばらくして丘の上のようなエリアに入ると祖父母の家は近い。
あたりは杉や檜のほか楢やブナなどが生い茂る地域で、祖父母はその一区画を伐採し、住宅と畑などを作ったのである。
その家を通り過ぎて山の奥へ進むと小さいながら温泉が湧いていて、一軒宿がある。
その宿の裏山を、といっても数十メートルほどしかないが、登ると市街が一望でき反対側へ下ると《悠駿川》が流れていて、高さは数メートルではあるが幅が三十メートルを超える《三十間滝》のある知る人ぞ知る観光の穴場となっている。
滝の少し下流には広い浅瀬があって、子供の頃裸になって宿の子と遊んだ懐かしい思い出がある。
家の周りを背高の垣根で囲い入口には門を作って獣の進入を防いでいる。出入り口や窓にはセンサーが取り付けられ昼夜侵入者を警戒している。
高校生時代そこで暮らしていた私は、
「 こんな山の中に泥棒なんて来ないわよ 」
と言っていたのが今となっては恥ずかしい。
―― 慎重だった祖父母の家に強盗? ―― 信じられない。
家に着いて警察の話を聞くと発見したのは被害者の息子で私の叔父。用事があって来たらしい。
手足を縛られたうえ胸を刺されていたという祖父母を思うと、私の胸に痛みが走る。
屋内は足の踏み場が無いほど荒らされていて、見てたら目眩に襲われ夫の腕にしがみついて話の続きを聞いていた。
夕方優奈を園に迎えに行って、城跡公園の見える高台にある自宅マンションに帰る。
報道カメラマンとして色んな事件に関わって来たけど、身内となると事件の見え方も思いも全く違う。
窓からは、夕焼けの始まる前の寂し気な景色にまた悲しみが突きあげてくる。
心配そうに見上げる優奈を抱きしめると、
「 ママ、どうしたの? 」
と聞かれ、どう答えるか考えたけど、やはり正直にと、
「 ママの、お婆ちゃんとお爺ちゃんが亡くなったの 」
私の涙を見た優奈は、ちょっと困った顔をし私の頭を撫で、
「 よしよししてあげるから、なかないで 」
―― いつも私がしてあげるのを覚えているんだ ――
と思うと心が癒され緊張が解れる。
―― 子供がいて良かった ――
祖父母の家での通夜、意外に多くの弔問客。後々のために撮っておく。
一軒宿の女将さんも来てくれた。
子供の頃にはよく入浴後、広間で走り回って、女将さんに掴まえられてそのまま抱っこされ親元へ運ばれてた。
それが楽しくて何回も繰り返してたら、女将さんが参ったと言ってジュースをご馳走してくれる……。
深々と頭を下げ背中を丸め帰って行く。その背中に溢れる悲しみを感じ胸が詰まる。
新聞社からも編集長や先輩後輩がまとまってお参りに来てくれて、お礼を言いに車の所まで行く。
普通の死に方じゃないからだろうか、交わす言葉も無く頭を下げ帰って行った。
叔父さんの会社関係らしい人も数人見かけたが、目付きの余り良くない男性に叔父さんが頭を下げているのが気になる。
その人がお参りを済ませると、
「 ちょっと外す 」
叔父さんがこそこそと玄関を出て行く。
弔問客が途切れたのでそっと後をついて行く。
駐車場に黒塗りの大きな車が停まっていて後部座席に乗ろうとする男性と何やら話して、別れ際に笑顔を見せている。
何か怪しい雰囲気を感じ夫に言うと、
「 社長とかが来たんじゃないのか? 」
と軽く流される。
私も夫も叔父さんも顔の知らない人も来ている。
芳名帳を見るとどれも不動産関係の会社の人のようだ。
少し遅れてやけに愛想の良さそうな男性がお参りに来た。私にも叔父さんにもペコペコする感じで、逆に恐ろしい人かなと思い、芳名帳をみると祖父母の取引銀行の人だ。
弔問客や弔電、供花などをみると祖父母の生前の暮らしぶりを垣間見る気がして、また胸が押し潰されそう。
怪しい雰囲気の男性は、告別式にも来ていた。
叔父さんに聞くと会社の人と言うが、普通のサラリーマンとか社長とかいう雰囲気ではない。
「 私の想像では山を買いたがってる不動産屋じゃないかと思うのよね 」
並んで座っている夫に耳打ちする。
「 はぁ、和花いつから占い師になったんだ。叔父さんは会社の人って言ったんだからそうなんじゃないの? 」
その後は公私ともばたばたして、自宅でふーっと一息ついたときには新年度になっていた。
ソファにどかっと腰を下ろして並んでコーヒーを啜りテレビをつける。
ここ数日はろくにテレビも見ていなかったので知らなかったが、殺人事件があってその続報だとキャスターは言ってる。
女性秘書が殺され、死因は胸を強打されたことに起因した心筋の挫傷らしい。
「 ……近江屋県議会議員秘書の上氷沙彩(かみこおり・さあや)さんの遺体が市内のアパートの空き部屋で発見された事件の続報です。
上氷さんは三月二十二日から事務所を欠勤し自宅アパートにもおらず捜索願が出されていたということです。解剖の結果、遺体には多数の…… 」
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