監視役の志願


恩師の怒り

訓練を終え、冷徹に立ち去ろうとするナイトローグを、エリスは強い口調で呼び止めました。


「待ちなさい、ナイトローグ!」


エリスは、普段の冷静な情報担当としての姿を捨て、感情を露わにしていました。


「もう無茶しないでください。貴方が何を目的に行動しているかは分かりませんが、危ない行動を取るなら此方も考えがありますからね」


それは、彼の恩師の面影を持つ者が発する、心からの警告でした。


ナイトローグは、その言葉に鼻で笑い、外方を向きます。


「ルールに縛られているこの世界の平和な異分子が、俺にも勝てないのに何を言う」


その傲慢で冷酷な言葉が、エリスの怒りの限界を超えました。


パチンッ!


甲高い音と共に、エリスの平手打ちがナイトローグの頬を捉えました。仮面を外した彼の美しい顔に、一瞬、赤い跡が残ります。


頬を叩かれたナイトローグは、一瞬動きを止めましたが、すぐにその瞳に鋭い殺意を宿しました。

エリスは震える手で、しかし覚悟を決めた強い視線でナイトローグを見つめ返します。


「馬鹿! 貴方はもうギルドに所属している以上、一人の命じゃないんです! 自覚してください!」


宿敵の警告

ナイトローグは、叩かれた頬を手の甲で拭うと、その殺意をエリスへと向けました。


「俺は師範代。アンタに求めているのは力の使い方だけだ。俺の使命に、お前の感傷は必要ない」


彼は一歩踏み出し、エリスの顔のすぐ近くまで近づきました。その冷徹な顔は、ヒカリと同じ顔でありながら、悪意に満ちています。


「俺の邪魔をすると言うなら、どんな奴でも食い殺すぞ。エリス師範、あんたも覚えておきな」


そう言い残すと、ナイトローグは訓練場の扉を荒々しく開け、闇色の残響のように立ち去っていきました。


エリスは、その場に立ち尽くし、叩いた手のひらの痛みを忘れるほど、ナイトローグの放った殺意の重さに打ちひしがれていました。


監視役の志願

すぐに、廊下の向こうからルーク師範が駆けつけてきました。扉の開く音と、その後の異常な静寂に気づいたのです。


「エリス!大丈夫か?今、ナイトローグが出ていったな」


ルーク師範は、エリスの頬が紅潮し、感情が乱れているのを見て、二人の間で何があったかを察しました。 


エリスは、ルーク師範の顔を見て、決意を固めたように顔を上げました。


「ルーク師範。私、決めました」


彼女の瞳には、先ほどの恐怖ではなく、強い意志が宿っています。


「あのナイトローグさんの監視役として、私に使命をください」


ルーク師範は驚いて目を見開きました。

「監視役だと?あの男は危険すぎるぞ。君では、命がいくつあっても足りないかもしれない」


「ですが、ギルドもあまりこの時期に、あの人の目を離したくないでしょう」


エリスは、ナイトローグの実力、彼が持つヒカリとの共通点、そしてドミニオンとの関連性を全て思い返します。そして、彼が持つ、かつての小心な自分と重ねた憧憬の面影。


「彼の素性は、あまりに不透明です。しかし、私には、彼と僅かながら接触した過去がある。そして、彼の真意を探るための、師範代としての責任がある」


ルーク師範は、彼女の覚悟を見て、大きくため息をつきました。


「……分かった。君の覚悟は認める。だが、いいか、エリス」


ルーク師範は、珍しく真剣な表情でエリスの肩に手を置きます。


「ナイトローグという男は、ヒカリと同じ顔をしていながら、何があってもおかしくない危険を内包している。何かあったら、俺に必ず声をかけろ。単独で行動するな」


エリスは、深々と頭を下げました。その日から、エリスはギルドの正式な決定ではない、個人的な覚悟として、宿敵ナイトローグの動向を監視する、孤独な役割を担うことになったのです。


宿敵の追跡

ルーク師範に監視役を志願した翌日、エリス師範代は早朝から行動を開始しました。彼女の得意とする情報収集と追跡魔術を駆使し、ナイトローグの微かな魔力残滓を頼りに、彼の行先が『無限の宝物庫』であることを突き止めました。


「あの男、やはり単独でダンジョンに入ったわね。しかも、今日はギルドが立ち入り禁止にした7層を目指している可能性が高い」


エリスは、ナイトローグが6層を突破する前に追いつく必要があると判断しました。彼女は彼の持つゴールドランク上位の身体能力を考慮し、最短ルートを選んで急ぎダンジョンを潜ります。


そして、6層と7層の境界に位置する、通称「初心者潰し」として有名な6層のボス部屋の前に、エリスは辛うじて先回りすることに成功しました。


ボス部屋前の口論

エリスが息を整えていると、後方から冷たい魔力の気配が近づいてきました。ナイトローグです。彼はエリスが待ち伏せていることに気づきながらも、その歩みを止めません。


「……何をしているんですか、エリス師範代」


ナイトローグは足を止め、無感情な目でエリスを見据えました。


「それはこちらの台詞です!ナイトローグさん」エリスは怒りを抑えつつも、強い口調で言いました。


「貴方は昨日、私に何を言いましたか?ギルドに所属している自覚を持てと。なのに、ギルドが制限した7層へ単独で侵入しようとしているでしょう?」


ナイトローグはまるで聞く耳を持たず、ボス部屋の扉に視線を向けました。


「俺の使命に、貴様らの『制限』は関係ない。ドミニオンの動きは待ってくれない。貴様は昨日、俺の頬を叩いたの意味を忘れたのか?」


「忘れていません!だからこそ、こうして貴方を止めに来たんです!」


エリスは、冷静さを保とうと努めます。

「貴方がドミニオンの粛清を目的としているのは分かります。しかし、貴方の単独行動は、かえってギルドの警戒心を高め、ヒカリさんの立場を危うくするでしょう。ヒカリさんが、ドミニオンと組んでいると誤解されたらどうするんですか?」


この言葉は、ナイトローグの「ヒカリを覚醒させる」という最大の目的に触れました。彼の瞳が僅かに揺らぎます。


仕方ない引率者

ナイトローグは沈黙しました。ヒカリの**「愛の重荷」**を切り捨てるためには、彼がギルドから孤立したり、拘束されたりすることは避けなければなりません。


「……チッ」


彼は心底忌々しげに舌打ちしました。

「貴様の言うことは、俺の使命の邪魔にしかならない。だが、貴様をここで排除するのも、また面倒だ」


ナイトローグは、エリスの実力が、自身に完全には敵わないまでも、ゴールドランク上位の実力を持つことを知っています。ましてや、エリスは情報担当。無理に排除しようとすれば、ギルドに瞬時に情報が伝達され、彼の行動が完全に制限されることになります。


エリスは、ナイトローグの思考を読み取り、最後の切り札を出しました。


「私は貴方を監視するよう、ルーク師範に志願しました。もし貴方が単独で侵入すれば、私は即座にギルドに報告し、全戦力で貴方を拘束しに来るでしょう」


彼女は、これは脅しではなく、事実だと、冷たい魔力を込めて伝えました。


ナイトローグは、怒りを押し殺すように深呼吸しました。


「……分かった」


彼は、敗北を認めたのではなく、あくまで合理的な判断として、エリスの存在を受け入れました。


「貴様は俺の邪魔をする引率者として、一緒に行動しろ。だが、俺の指示なしに動けば、容赦なく食い殺す」


エリスは、この宿敵との行動に身の危険を感じながらも、その言葉を受け入れました。


「ええ。貴方の監視役として、7層以降も同行させていただきます。ただし、私の目的は貴方の保護ではありません。ギルドのルールを守らせることです」


二人は、表向きは師範代と冒険者、裏では監視役と宿敵という、極めて異質な関係のまま、6層のボス部屋の扉を同時に開けました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る