映像制作集団 十月十日(とつきとおか)
旭
第1話 命の編集室
——カメラは、産声を撮るために回すんじゃない。
その“前の時間”を、ちゃんと残しておくためにあるんだ。
十月十日(とつきとおか)と名乗る映像制作集団がある。
メンバーは五人。それぞれ異なる分野のプロフェッショナルたちだ。
• 芦原 創(あしはら・はじめ):監督。元テレビディレクター。人の“揺らぎ”を撮ることに長けている。
• 森川 千夏(もりかわ・ちなつ):カメラマン。女性の感情表現を光と影で切り取るのが得意。
• 緒方 颯太(おがた・そうた):音響。街の雑音から人の心拍まで拾う職人気質。
• 城戸 美和(きど・みわ):編集。静かな観察者。物語を「削る」ことに美学を持つ。
• 瀬戸 要(せと・かなめ):プロデューサー。十月十日の創設者。依頼者と最初に会い、最後まで伴走する人。
この集団が請け負うのは、ある一点に特化したドキュメンタリー——
「妊娠発覚から出産までの全記録」。
依頼者は、まだ母親になる実感のない女性や、
記憶を形にして残したいと願う家族たちだ。
三月の終わり、東京郊外の喫茶店。
瀬戸要の前に座るのは、一人の若い女性だった。
「……撮ってほしいんです。
お腹の子が、ちゃんと生まれてくるか分からなくて。」
彼女の名は佐伯由衣(さえき・ゆい)、27歳。
小学校の教師で、夫は単身赴任中。
不安と希望が入り混じった眼差しで、彼女はゆっくり語った。
「母が去年、病気で亡くなって……。
もし私が母になったとき、どんな顔をしていたか、
この子に伝えられたらいいなって思って。」
瀬戸は頷き、手帳を閉じる。
「大丈夫です。十月十日は、**“変わる瞬間”**を撮る集団です。
その変化を、あなたと一緒に見届けます。」
その言葉に、由衣は泣き笑いのような表情を見せた。
撮影初日。
カメラを構える森川千夏は、由衣の台所の窓辺に立っていた。
湯気の立つ味噌汁、母の形見のエプロン、
静かに揺れるカーテン——
「生活の中に“命”が映ってる」
千夏がそう呟くと、芦原監督は頷いた。
「命を撮るっていうのは、劇的なことを撮るんじゃない。
静かな時間の中にある“続いていく気配”を撮るんだ。」
季節が巡るたび、映像は少しずつ増えていった。
妊娠六ヶ月、由衣はふとカメラに向かって言った。
「母がいたら、どんな言葉をくれたんだろうな……。
“ちゃんと食べてる?”って、きっと笑って叱ってくれたと思う。」
編集の城戸は、その一言を何度もリピートしながら涙ぐんだ。
画面の向こうに、亡き母の声が本当に聞こえるようだった。
そして、十月十日目の夜。
陣痛が始まったと連絡が入り、スタッフ全員が病院へ駆けつけた。
カメラはただ、待合室の静けさと、遠くから聞こえる産声を捉えた。
翌朝。
由衣が微笑みながら、赤ん坊を抱いて言った。
「ありがとう。
——この子が大きくなったら、一緒に見ます。」
納品の日。
完成した映像のタイトルは、
『由衣と十月十日』。
スタッフルームの壁には、これまでの依頼者の写真が並んでいる。
笑う人、泣く人、抱く人——
どの映像も、同じ長さの時間を生きた記録。
瀬戸要は小さく呟く。
「十月十日は、“命の長さ”の単位だ。
だから僕らは、今日もカメラを回す。」
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