空写〜sorauturi〜
水無月
第1章空写の日
夢を見るーーーーー。
夕焼けのオレンジで染まった世界。ポツンと存在する小さな公園のベンチ前で彼女は齧り付くように空を見上げていた。
否、彼女の目にオレンジの空は映っていない。正確にはその空の向こう側へ。
そこに見えたのは空へと向かって昇る物。恐らく人だろう。
本来なら有り得ない現象。人が空を飛ぶなんて常識として否定されるべき自然の摂理だ。
翼もない、ジェットエンジンなんかで飛んでいる訳ではないだろう。頭にプロペラなんかも確認出来ない。
それなのにその人ー彼女は、何に臆することもなく勇敢な顔付きで上昇していくものだから、自然とその姿に、
「かっこいい……」
そんな、本来否定して忘れるすべき事象を受け入れ、飛行する者へ魅入ってしまった。
耳元で風を切り裂く轟音を奏でる風の音。
顔から肩、胴体にかけて感じる風圧。
西に見えるのは夕陽だろうか。
行かなくてはならない。
飛ばなくてはならない。
助けに行かねばならない。
そんな使命感に諭されて、駆け昇る。その先に未来があると信じてーーーー
そして、いつもそこでそこで違和感に気付く。
“私は空を飛ぶ人を見上げていたはず。なのにどうして風の感触が分かるの?”
“この気持ちーー誰かを助けないとって……誰を?”
まるで折り紙をしている時にある紙のズレのような違和感。気にしなければ良いはずなのに、見つけた途端気持ち悪い。
胸に込上げる恐怖に呑まれそうになりながら彼女ーー彼方ソラは目を覚ます。
※
その日、空は青く澄み渡り、ぽっかりと白い雲が浮かんでいた。
明日から夏休みを控えている学院内は、生徒達の期待と興奮の歓声で沸き上がり、夏の暑さにも負けないくらいの熱気を灯している。
教室の窓際から肘を着いて顔を覗かせる女子高生が居る。
赤とオレンジを織り交ぜた夕焼けの髪色を肩まで伸ばし、パッチリと開いた瞳と小顔は年相応の女の子ーー彼方ソラ。彼女の目下には部活を始めた野球部の姿。
ソラの通う月島女子学院はソフトボール強豪校。今年の夏も甲子園に向けて日々練習に勤しんでいる。
しかしソラの視線はただ一つ。空に映るもう一つの世界から離れられなかった。
透き通った大地が、まるで空に浮かんでいるかのようだ。地平線の向こうまで広がるその世界は、飛行機でもヘリでも到底届かない。
十年に一度、七日間だけ現れるこの現象を、人々は『
「わあ……やっぱり、すごい……!」
鼓動が速まる。胸がドキドキして、思わず息を呑む。
友達の何人かは今日から始まった夏休みについて、「また課題ばかりで憂鬱だよ」とぼやいているけれど、ソラは全く関係無いと言わんばかり。
この夏こそ、絶対あの空の世界を解き明かしたい。
手を伸ばせば届きそうなのに、でもどうしても届かない――そのもどかしさが、ソラの冒険心をさらにかき立てる。
十年前、七歳だったソラは人生で初めて空写を目撃した。あの時も、非現実的な光景に目を奪われたのを今でも鮮明に覚えている。
空一面に広がる別世界は、まるで異世界への扉のようで、すっかり心を奪われた。
毎日、特集番組や某動画サイトをチェックしながら、ワクワクしながら夏を過ごしたのもまるで昨日の事のように鮮明に心の引き出しに残っている
そして、空写が始まった七日目。
空の世界が少し薄くなり、終わりを迎えようとする空写。儚く消えていく異界の大地は、まるで映画のエンドロール後のような寂しさと、しかし続きを思わせる何かを期待させる幕開け感。
だがその瞬間、ソラの目に飛び込んできたのは――
空を飛ぶ人影だった。
人間なのに、まるで羽があるかのように宙を舞い、目指すあの世界へと向かって上昇して行った。
一瞬の出来事。
あれが何者なのか、誰だったのかは分からない。
だが、ソラの胸の奥で決意が燃えた。
「大人になったんだ、絶対に解明してやる!」
意気揚々と異界の大地への憧れを意気込むソラの肩を軽く叩いたのは友人の藤原リサ。
「ま〜た空写見てんの?ソラって、成績そんな良くないんだから、授業中もちゃんと話聞かないとヤバいよ?」
「う、うるさいなぁ〜。別に勉強出来なくったって、私は将来向こう側の世界に行くんだもん!こっちの世界の勉強してる暇なんてないの」
「あ〜、また始まったよ」
「厨二病〜」
「ちゅ、ちゅうに……!」
「そんなんじゃあ、いつまで経っても彼氏なんか出来ないよ〜?」
「ソラに彼氏って……プフッ、絶対無理でしょ」
「大丈夫でしょ、だってソラの彼氏はあの大空なんだし」
「ソラの彼氏が空にって……?ぷふっ、あははは!」
「くっだらねぇ〜!」
「ねぇーちょ、ちょっと皆言い過ぎじゃない!?応援くらいしてくれても……」
リサはからかうような顔で他の友達に共感を求めた。
すると皆が一様に「そうそう!」と肯定。流石に普段怒ることの無いソラだが、ムカつく。
ムッ、とリサを睨み返すが、ソラの怒りなんか意に返さない顔でこのあとファミレスで駄べる予定を伝えて教室を去って行った。
「何だよもぉ〜。私は本気の本気なのに」
そう言ってきっと誰にも伝わることの無いこの熱を、空に写る異界の大地へ投げ掛けた。
「ソラーー!、一緒に行かないの?」
背中に掛けられた誘いの言葉を無視して、空を眺める。後ろでは「もう行こ〜」と誘いを諦めて下校する友達。
「……」
静かになった教室に独り。寂しい気持ちもあるが、残り七日間の空写。徹底的に解明しなければならない。
「まずは……情報収集だよね」
思い立ったら吉日。行動は早かった……とはいえ、小学生の頃に図書館や歴史館などでは既に調査済み。結果、文献なんてものも特に遺されてないのも調べ尽くしている。
「てことは、聞き込みかな」
そう考えてソラの脳裏に浮かんだのは、十年前のあの日の光景だった。
と、言うわけでやって来たのは近所の公園。目的はもちろん、あの日見た空飛ぶ人の目撃情報を得るためだ。
「って、誰に聞けば良いんだろ?子供達は……まだ小さいし、あんまり近所の人達に変な噂流されたくないし」
思い立って来てみたのはいいものの、そこから先の行動はかなり制限されている。
しかも振り返れば空飛ぶ人については、あの日以降も聞き込み捜査は行っていた。皆子供の戯言だと無下にされたが。
「あの、すみません……」
明るくて一見怖いもの知らずのソラだが、それも幼い頃の話。思春期の臆病なソラに選抜されたのは、ベンチに座る、如何にも優しそうな老夫婦。
声を掛けられて少し驚いた顔をした後、柔らかな笑顔で挨拶を返してくれた。
その顔に心が安心してか、
「私、十年前の空写の時に空飛ぶ人を見たんです。もし何か知ってたら教えてもらえませんか?」
なんて、突飛押しもなく質問を投げかけてしまった。
前置きも無しに発したことに気付いて赤面するが、優しい老夫婦は「うーん」と首を傾げたり、互いに記憶があるかを確かめ合う。
「ごめんねぇ……そういうのを見た記憶が無くてねぇ」
「記憶が無いんじゃなくて、忘れてるだろうさ〜。爺さんは物忘れ酷いから」
「そう、ですよね……あ、物忘れの話じゃなくてですね!!?」
アタフタしつつも、結果老夫婦から収穫は無いと判断して、お礼をしたソラは次の標的を探してベンチを離れた。
「十年前の事だもん。誰も覚えちゃないか」
そりゃあ確かにそうだと、半分諦め気味になりつつ若干項垂れながら公園内を歩いていると、ソラの視界に見覚えのあるカラフルが立っていた。
「渡辺さん!」
「あらソラちゃん!学校帰り?お疲れ様ねぇ」
発見したのは、まるで虹を着込んだ格好をした近くに住む渡辺さんというおばさん。
紫色の髪で、ソラの二つ隣に住んでる人。渡辺……なんて言うのかは分かんないから、渡辺さんと呼んでる。
それで、渡辺さんを見付けれたことの何が良かったかって、
「渡辺さん!そう!渡辺さんですよ!!!渡辺の持ってる普段使われない力を発揮する時ですよ!!」
「とりあえず馬鹿にされてるってのは理解できたわ。それで……?何が聞きたいの?」
一度咳払いをした渡辺さん。
実はこの渡辺さん。ご近所どころか、隣町の情報まで何でも持ってる情報屋さんなのである。
本人は趣味で噂集めをしてるって言ってたけど、その内容というのが趣味なんてレベルを超えているのだ。
前には隣町のパン屋での不倫情報なんて、意味の分からない情報を広めまくっていた。
「渡辺さん前に、空写の噂とか色々持ってるって言ってましたよね!!??」
「えぇ、当時は色々あったからねぇ〜。空写に興味無い私のところにも嫌でも情報が入って来たわ〜」
やれやれよ。と、渡辺さんは困った顔で少し膨れたお腹をかいた。
「実はそのことで、十年前に私、空飛ぶ人を見たんです。ちょうど空写が終わる七日目に。それが誰だったのかを調べてたんですけど、何か知りませんか?」
この、歩くインターネット並の情報おばさんならきっと、と期待を込めて質問。
すると渡辺さんは、「待ってね〜」と、ゴージャスな鞄から一冊のノートを取り出し、ペラペラと捲る。それから数ページ進み、「あった」と言ってそのページをソラへ差し出した。
「ソラちゃんの見た、空飛ぶ人っていうのは分からないけど、十年前の空写最終日に行方不明になったっていう女の子が居たそうよ」
「行方不明……?」
「ちょうどソラちゃんと同じくらいの子よ。名前は……分からないけど、確かこの近くに住む女の子だったはずよ」
「……」
思考が止まった。
単に空飛ぶ人を探すだけの、宛のない人探しが、まさか行方不明者の情報に辿り着くとは。
それも近くの、ソラと同じ歳だった子。
「あの、その人は……見付かったんですか?」
何故か嫌な予感と、既に知っているような答えに背中に冷や汗が流れた。
真夏に似合わない背中の冷たさを感じながら、ソラは恐る恐る尋ねた。
「それがね〜、まだ行方不明のままよ」
「……そんな」
「警察は事件性が無いって捜査を中断したけど、その子の父親は、それでも諦めずに探し続けたそうよ」
渡辺さんの話によると、行方不明になってから三年経ったが手掛かりすら掴めず、その後父親は精神に異常をきたして自殺をしたそうだ。
彼女の母親は早くに病気で亡くなっていたらしく、その形見を失った父親の心情を、ソラなんかに推し量ることはできない。
そして、この話の本枠は別にあり、
「実は、行方不明になった子には妹さんが居たらしくてね。お母さんもお父さんも居なくなって……辛かったでしょうね」
「…………」
渡辺さんは自らも理解しかねる現実に胸を痛めている様子で語る。
つまり行方不明の女の子の妹という存在が、今も何処かで苦痛と共に生活しているということ。いや、彼女の生存すらソラに確認する術はない。
結局、何でも知ってる渡辺さんから得られた情報はそれだけで、ソラは予定があると言って、その場を離れた。
正直、予定なんて無い。ただ、その話の重さに息ができなくなったからだ。
「…………なんか、とんでもない話を聞いちゃったな」
ワクワクする空写の情報収集のはずが、なんでこんなブルーな気持ちに……と考えるのは失礼か。
しかし行方不明事件が空飛ぶ人に繋がる可能性は低いだろうし、こんな事を言っては失礼だが、たまたま起こった事件という可能性だって捨て切れない。
「どしよ……」
2
夕方のオレンジ色の世界で、ブランコに揺られながら思いに耽ける。
とりあえず今日はここまでにしよう。これ以上は、情報が頭に入らないだろうし、そもそもそんな気分にもなれない。
夕暮れの空を見つめ、少しぼーっとした後、「はぁ〜」と、地面に向かって大きなため息を吐いた。
「帰ろうかな」
時間的にそろそろ夕飯時。
辺りで遊んでいた子供達も家に帰り、話を聞いた老夫婦も既に居ない。
寂しくなった公園。
まるでこの世界から切り離されたような孤独感。
風の音も、人が行き交う音も、鳥や虫の声なんかも全てが止まり静止した世界。まるで異界のようだ。
普段感じることの無い孤独感に気付いた時、ソラはもう一つの違和感に気付いた。
「?」
ふと、周囲の空気が変わったように感じたからだ。
なんと言うか、得体の知れない不可思議な、まるで初めて入るお化け屋敷みたいな感じ。
何かが、居る……?
正確には分からない。人でないが、ゴミでも無い。
そう、例えば何かふわふわして、ふかふかしたモノが頭に乗って……いる???
「………………ぇええ、うわぁぁ!!」
乗っていたブランコから弾かれたように飛び出す。
咄嗟に手に持った謎の白いふわふわを投げ捨てて、ソラ驚きのあまり腰を抜かした。
「…なに!?ゴミ?え、いや……エ、エイリン!!!??」
そんな子供のような推測しか出来ないほど驚いていたことを理解して欲しい。
なんてったってソレは、投げ捨てたにも関わらず、ふわふわ宙に浮かんでいるのだから。
それを目撃しただけでエイリアンと判断出来るのだから、もしかするとソラはまだ正気だったのかもしれない。
「ーーーーー」
ソレは、地べたに落ちたソラを見つめて、聞き取れない何かを発した後、多分挨拶見たいに小さな触手?を左右に振った。
「うわ、なんだこれ」
夢か?現実なはずない!
さっきまでの行方不明の話を聞いて落ち込んだ気持ちも何処かへ飛んでいき、今は目の前まで飛んできたふわふわに意識が集中。
「あの、え?なに!?」
「ーーーーーー」
また何か言ってる。聞き取れないが、ふわふわ言ってる気がする。
「宜しくねってこと?」
差し出された触手を見て、人間の挨拶だと何故か直感的に理解できた。
恐る恐る右手で触れると、やはりふわふわしてる。柔らかくて、なんか気持ちいい……。
「(ふわふわふわふわ)」
途端に頭に伝わるふわふわ語。何言ってるのかやっぱり分からないが、多分「乗るね!」と言ったのだろう。何せソラの頭の上にまた乗ったのだから間違いない。
「…ぇえ………どしよ」
なんか満足そうな顔をして頭上に鎮座する謎のふわふわ。あまりにも気持ちよさそうだから、退かすのも申し訳なく感じてしまう。
「お父さんとお母さんになんて説明しよ?」
と、まあ色々考えた末に。
「まぁ……大丈夫な気がするや!」
ソラの座右の銘は『大丈夫な気がする!』である。
笑って思考を放棄した。
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