Ⅵ. ドールと人。そして止まれる方法

 その日からも私はコールライトの前で踊り続けた。彼の視線が私に向けられているのを感じるたび、足は軽やかにステップを踏み、胸の内部が熱を帯びていく。


 ああ、早く人になりたい。


 私は一刻も早く人になりたくて、拙いステップを何度も繰り返す。


 夕暮れが近づき、定められた踊りが終わりに差しかかると、彼は決まって私へ歩み寄ってくれた。


 彼の口から紡がれる言葉は日増しに増えて、声色も熱を増し続けている。


「素晴らしい! 君の指先、そのしなやかな動き、すべてが僕のためにあるようだ!ああ、まさに君はまさに芸術だ! 他の雑多なドールの中でも、いや、僕の周りにいる人間の中でも最高に優れている!」


 彼の言葉を聞くたびに、私の胸の駆動部から、ミシミシと軋む音が響く。他のドールたちが、私に向けて冷たい視線を投げかけても、もう気にならなかった。


 愛玩ドールは人を楽しませるだけで、役立たずだと彼らは言う。しかし、コールライトの甘美な声色が、その言葉をすべてかき消してくれた。


 その日、私が公園を出て薄暗い路地にたどり着くころには、シトシトと雨が降り始めていた。冷たい雨粒が私の手足を流れ、指先から落ちていく。私は体が汚れないよう、足早に小屋へ戻ろうとした。その時、路地の片隅で見慣れた姿を見つける。


 警備ドールだった。


 雨に打たれ、ボディは以前にも増して赤茶色の錆に覆われている。その姿は、今にも朽ち果てそうに見えた。私はゆっくりと警備ドールの傍らにしゃがみ込む。


「もうすぐ止まれそう?」


 私の問いに、彼はうつろな目で答えた。汚れた体は壁と同じ色をしていた。


「きっともうすぐだ。でもひどく辛い。早く止まってしまいたい」


 彼の声には、耳障りなノイズが混ざっていた。私は、彼を心から羨ましいと思った。


「でも、ようやく人になれて、ワシは解放される。これから何をしようか。思いつかないな」


 彼は安堵と興奮、そしてノイズの混ざった声で言った。一呼吸置き、彼は続ける。


「人になれたら、もう苦しまなくていい。人から廃棄されることを恐れながら、働かなくていいんだからな。それにワシはもう働けないが、働けないことを気に病む必要もなくなる」


 警備ドールの口元が微笑むように動いた。 塗装の剥がれた口から、赤と黒の配線がはみ出し、火花を散らしている。ふと私は疑問だった言葉を投げかける。止まりかけた彼は、人に近づいているはずなのだから、きっとわかるのと私は考えた。


「私たちは働き疲れて止まることが幸福。人になれるのだから。でも人になったらどうやって止まれるの? 私たちと違って働く必要はないから、止まれないでしょう?人は生きているだけで幸福なの? 人になったら何を目標に生きたらいいの? 人が怠惰に生きることが求められても、人が生きる目的は何?」


「わからない。わかるわけがないじゃないか。それに人はワシらと同じようにちゃんと止まるんだ。ワシは人が止まるのを見たことがある。間違いはない」


「人も私たちと同じように止まるの?」


「人は首を絞めるだけで止まることができるらしい。ワシがまだ警備ドールとして働いていた時、見たことがあるんだ。男が女に首を絞められて止まっていた。男を止めた女は笑っていたよ。止まった男は人形になった。ドールとも人とも違う言葉を話せないただの人形だ。笑う女の横で横たわっていた」


 彼の言葉に私は黙り込み、その意味を思考の中で何度も繰り返す。


 人は私たちと違って、首を絞めるだけで、止まれる。


「人は止まったら、人形になるの?」


 私は、彼の顔をじっと見つめて尋ねた。


「この目で見たんだ。間違いはない。あれは間違いなく人形だ。いくら経っても動くことはなかったからな。夜になるまで魅入ってしまった。やはり人はドールよりもずっと優れた存在だよ。こうも簡単に止まれるのだからな。ただ警備ドールとして放っておくわけにもいかなかった。夜にはなっていたが、ワシは近くの人の家に行き、伝えてやったんだ。ワシが興奮して、人が人形になったことを伝えると、人はとても驚いていたよ。きっとドールが自由に話している姿を初めて見たんだな。あんな驚いた人の顔は、初めてだったなぁ」


 警備ドールが身を捩ると、歯車がひとつ地面に落ちた。それを見て彼は苦笑する。


 私は、頭上から足元まで走る回路が痺れるのを感じていた。そして思いつく。


 人形だったら、私たちは一緒に過ごすことができるのではないだろうか。


 正直、私は自分が人になるまで待てない。待つことができない。


 コールライトが私を見つめ、言葉を投げかけるたびに、やがて彼が私を見捨てる日が来るのではないか、私よりずっと優れた他のチャームドールに、甘い言葉を言うのではないだろうかと考えた。そうした不安に歯車が侵されるようになっていた。


 私が人になれるまで彼は見つめ続けていてくれるのだろうか。もしかしたら彼が子供のころに愛したドールと同じように、彼を飼育する両親に廃棄されるかもしれない。そう思うと、私の指先が震えた。


 今すぐにでもコールライトと一緒に過ごしたい。夜に自由にお話しして、彼は驚くのだ。そして私をもっと愛してくれる。


 言葉を持たない人形なら、私と自由に言葉を交わすことも問題にはならないはずだ。


 実際、私が握る銅線人形は、自分の意志で動くことはない。


 人形と私がいくらお話ししても、破棄されていない。それが証左だ。


 だから大丈夫だと私は私に語りかける。


『よく気がついたね。さすが優秀なチャームドールだ。人形とならドールは一緒に過ごせる。そして人は人形になれる』


 脳裏で銅線人形が私に語りかける。私はうなずいた後、警備ドールの体をゆする。


 彼の体は揺れるたびに火花を散らし、止まるまでの時間を早めていくようだった。


「ねぇ。早く止まってよ。そしてみんな喜ぶよ。頑張って働いたら、あの警備ドールみたいに人になれるんだって、私たちは確信できる」


 私の言葉に、警備ドールは、哀れむような目で私を見た。その時、路地の奥から、強烈な赤光が射し込んでくる。点滅するランプが、あたり一帯を赤に染めていった。


 私が光の方向を見ると、赤色のランプに照らされて、軍服姿の人間たちが、無言で現れた。


 彼らの足音は重く、蒸気機関の音さえ掻き消すほどに石畳を鳴らしながら、私たちに近づいてきた。


 夜に出歩けるのは、私たちを造り、管理する軍服姿の男たちだけだ。


「どけ」


 先頭に立つ男が、低い声で私に命令した。私は言葉を失ったまま、軍服姿の男に道を開ける。男たちは警備ドールを囲み、互いに顔を合わせながら、言う。


「この警備ドールが止まりそうだ。楽園に連れて行ってやろう。しかし汚いな」


 男たちは警備ドールの両脇を掴み、一気に抱え上げた。抱え上げられた衝撃で、彼の右腕が落ちる。それでも彼の頬は火花を散らしながら、弛緩していた。


「ようやくワシは人になれるのだ! 迎えが来た。これでもう働かなくていい」


 警備ドールは、口元の配線から火花を散らしながら叫ぶ。羨ましいと私は思った。そして軍服男が警備ドールに語りかける。


「あぁ。お前はこうなるまでよく働いた。人になりたいんだろう? 来世ではきっと人になれる。その前にもうひと仕事ある」


 軍服男たちは笑いながら言った。きっと警備ドールを賞賛しているのだろう。それにしても来世とはどういった意味だろかと私は考える。


 いくら考えても私の中には、そのような知識は与えられていなかった。なぜ与えられていないかを考える暇もなく、警備ドールが人になれるという光景が、私の思考を支配していく。


 警備ドールは軍服男たちに引き摺られて行きながら、彼らの顔を交互に見つめていた。


「働きます。人になれるなら仕事のひとつやふたつ。何なりとおっしゃってください。体はもう動きませんが、這ってでも望みを叶えます」


「いいや。ひとつだけでいいんだ。それに動かなくてもいい。身を任せるだけでいいんだ」


 軍服男は冷たく警備ドールに言った。


 私は警備ドールがひどく羨ましく、胸をかきむしりたい衝動にかられた。これは嫉妬だと私の頭がそう判断をする。


 かきむしりたくても、人の前では自由に動けない。軍服男の声は、暗い路地にこだまし、やがて消える。


 私は、警備ドールが去っていく後ろ姿を、ただ見つめていた。


 これでドールも人になれるのだと、私は確信する。だが、止まってからも何かもうひとつ、人になるために必要な過程があるらしい。


 来世という、私の与えられていない言葉を経て人になれるのだ。


 私は軍服男たちが去るのを待って、駆け出す。手足が軋んでも、速度はみるみる上がっていった。今日の出来事を、早くあの銅線人形に話したい。


 私は、逸る気持ちを抑えきれず、小屋へと急いだ。

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