第十一話 いずれ手折られる日を
シュゥゥゥーッと、全身から蒸気を噴き出した鉄の巨人。
その光学センサが静かにクナウナを見下ろす。
熱い蒸気が、黄花特有の濃く花咲くような髪と瞳が揺れる。
見返すように巨人を仰いで、そうえいばこんな風に見降ろされたことが前にもあったと思い出す。
それはあの日、おそらくアタシの実の父だっただろう男と、初めて顔を合わせた時。
あの時もこうやって、鋭く見降ろされていた。
巨人が動く。
未だ蒸気をあげて、砲身がむき出しの左腕とは違い、人に似た骨格のままの右腕がゆっくりとこちらに。
抑えつけるように、押しつぶすように。
ケイティに駆け寄ろうとしたアタシに降りかかった重圧。
同じように、身がすくんで動けない。
キュッと瞼を引き結んで身を固めたアタシに、しかしその重圧は降りかからなかった。
不思議に思って目を開く。
俯いた視界に、差し伸べられた掌。
鉄の巨人は気遣わしげに、両膝をついてクナウナの顔を覗き込んでいる、
『ダイジョウブ……、デス、カ』
にわかに歪んだ声音だ。それでも、不気味とは思えない。
不器用で優しい子供がなれない善行を積むときの、ささやかな恐れや迷いの発露のように感じられて。
体の力が、ふっと抜けていく。
敵とも味方とも判然としない、その身じろぎですら人を殺せそうな巨体を前に、身を横たえた。
目の前のコレがなんであれ、どうでもいい。
きっと、悪いものでは無いのだろうから。
無力なアタシとも、恐ろしかった実の父とも違う。
何かを変えて、守れるだけの力があって。
その大きな背中はなにでも抱えて飛べるのだろう。
そしてその威容は、抱える力と巨体に反して柔らかい。
誰かに差し伸べる掌も持っている。
あの恐ろしく残酷だった実の父や、それに屈したアタシの様にはならないだろう。
死んだとでも思ったのだろうか。
あわあわと体を揺らす巨人を、横目に見やって思う。
今なら、許されるかもしれないと。
課された使命は、形はどうあれ果たされた。捧げられた献身にもきっと報いることができただろう。
そんな今なら、きっと許される。
もう、何かを捧げられて、それに応えて生きるなんてまっぴらだ。
アタシは、アタシを捧げて生きたい。ただ一つの何かの為に、人生を使いたい。
報われることは無くとも、応えてもらえなくてもいい。
捧げられるべき人に、アタシの全てを捧げて逝きたい。
……どうでもいいというのは、取り消そう。
「助けてくれたのよね、ありがとう」
そう呟くと、聞き取った鉄の巨人はうんうんと頭を縦に振る。
「アナタのことを教えてくれないかしら、……そうね、まずは名前とか、年齢とか? いや、待って、その前にどこに所属しているかを教えてほしいわ」
また、直接会いに行くために。
言葉を聞いてにわかに逡巡したらしい彼に、なにか怪しまれただろうかと思い慌てて言い繕う。
「べっ、別に深い意味は無いのよっ、その、助けてくれたお礼とか、こんどできたらなと思っただけで……」
黄花の瞳は力なく揺れて、遠慮がちに俯く。
『ボク、ノ、ナマエハ……』
再び聞こえた声に、クナウナはパっと笑顔を湛えて顔を上げる。
しかし巨人の声はそれ以上続かず、その蒼い瞳はどこか遠くに向けられていた。
つられて覗いた視線の先で、揺れる小さな影。
黒く塗装された多脚機甲兵器が、その六足の太い脚を全力で駆動させて、こちらに向かってきていた。
「ソフィア……?」
間違いない、〈バーゲスト〉より大きな重装型機構兵器〈スカラベ〉、そこに無数のレーダーやセンサを積み込んだ特別仕様、〈
「──姉さまからっ離れろおおおッ!!!!」
その移動速度を落とさぬまま、甲虫を思わせるニ十トン弱の巨体が鉄の巨人に体当たりする。
重々しい衝突音。
鉄の巨人は横殴りに転ばされて、緩んだ凍土の上を滑り落ちた。
〈スカラベ〉のキャノピーが跳ね上がり、ソフィアが顔を表す。
年齢相応に幼い面に血を垂らし、いつもかけている銀縁の眼鏡はひび割れて片方のレンズが無い。
「姉さま姉さまっ、動けるなら早く私のコックピットに!」
必死の形相で叫ぶソフィアに、クナウナは弾き飛ばされた鉄の巨人の安否を伺いながら答える。
「ちょっ、ちょっと待ちなさい、ソフィ……」
「待てませんッ!! もう〈ネビュラ〉の援軍がすぐそこなんですよ!」
ソフィアはコックピットを飛び出し、普段の彼女からは想像できない力でクナウナを引きずりあげ、コックピットの中に押し込む。
大の大人が三人は乗り込める〈スカラベ〉のコックピットは、小柄な彼女ら二人にはかなり広い。
ソフィアも乗り込み、キャノピは閉じられる。
踵を返すように転身して走り出した〈スカラベ〉の中で、クナウナはソフィアを睨み言う。
「戻りなさいソフィア、まだ生存者の確認も回収もできてない……」
「もう皆死んでますよッ!!」
その小さな体が、張り裂けんばかりの大声でティニアが叫んだ。
肩を震わせて大粒の涙を流し、されど目の前のモニターからは目を離さぬまま続ける。
「私が生きていたのは観測手として遠くにいたからで、姉さまが生きていたのは奇跡ですっ。 ……もしほかに生きている人がいたとしても、救助の時間はありません、見捨てるしか、もうできないんですよ……」
「彼がいるわ、あなたが弾き飛ばした二足歩行の機甲兵器。彼の協力があればきっと……」
そう言いすがったクナウナを、ティニアの笑声が黙らせた。
「はっ、ははっ……、何言ってるんですか姉さま、あれは〈ネビュラ〉ですよ?」
「そんなことは……」
「見ればわかるじゃないですか、金属色そのままの外装は連合軍規定違反です……」
それは、その通りだけれど……。
コックピット中に張り巡らされたモニター群のうちの一つ、機体後方を映すモニターに小さく鉄の巨人の姿が映る。
「ほらっ、彼は今もアタシ達に攻撃してこない」
「統轄個体を失って、火器使用の権限が失われただけでしょう……?」
「でも、その〈エレバス〉を倒したのは彼でっ」
鋭い舌打ちの音が、コックピットの中で強かに響いた。
自分を姉として慕うソフィアから初めて向けられた強い怒りの感情に、クナウナは続く言葉を失う。
「いい加減にしてくださいよ……! アレは〈ネビュラ〉です、友軍でも、所属不明機でもない」
モニター群の内一つ、友軍と敵軍それぞれの位置座標を
そこにはっきりと映る、一つの輝点。
〈
「あの機体が放つ信号を、〈
後方を映すモニターを食い入るように見るクナウナ。
それを横目に見やって、ソフィアは続ける。
「〈エレバス〉にとどめを差したのは……きっと何かの誤作動です、未確認の形状でしたし、まだ研究中の兵器かなにかで不安定だったんです」
「……ええ、そうね」
クナウナの返事に、ソフィアはようやく安堵してまっすぐに正面モニターを見据える。
〈スカラベ〉に今のところ目立った不調は無い。
センサのいくつかはイカれているが、火器や駆動系には一切の問題はなかった。
先ほどの〈ネビュラ〉に砲撃できなかったのは、側に姉さまがいたからだ。
無茶な突貫だった。
ぶつかった衝撃に機体が耐えられても、それより弱い私の体は挽肉にされていてもおかしくなかった。
それでも、姉さまさえ助けられるのならば命などおしくない。
姉さま、姉さま、姉さま……。
ソフィアは空色の瞳を、かたわらの愛しい姉に向ける。
クナウナは相変わらず、一片のモニターに身を寄せていた。
そこに巨人の姿はもうない。
それでも、焦がれるように、愛おしむように。
深窓に腰掛ける令嬢が遠くへ消えた運命の誰かを、もういないと悟りながら望み続けるような。
悲痛を抱かせる寂しげな背中だった。
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