第9話 エレオノーラの初仕事

――エレオノーラ


 奴隷商の扉は錆びついていて私が思っていたよりも重く、音が鳴らないように開けるのに苦労しながら、少しだけ開けて中を覗う。


 奴隷商のおばあさんはどこにも見当たらない。

 どうか見つかりませんようにと願いながら自分が通れるだけの僅かな隙間を開け、扉をくぐる。


 部屋の中、所狭しと並ぶ檻から奴隷になった人たちが暗く光を映すことのない瞳で私を見ていた。彼らが私の存在をおばあさんに教えてしまわないかと思うと不安と緊張で心臓の鼓動が痛いほどに早まる。


 そんな心配をよそに彼らは私のことなど、いないかのように虚ろな瞳のまま檻の中に座り込んだ。


 そのことで安心してしまったのがまずかった。私は床から飛び出した石につまずき、檻にもたれかかってしまった。


 ガチャン!


 檻が大きな音を立てた。


「ん゛ん゛!?」


 奥にいた奴隷商のおばあさんがカツカツと靴を鳴らして近づいてくる。

 

 私は隠れる場所がないかと辺りを見回すが周りにあるのは閉め切られた檻ばかり。当然中に入ることはできない。

 少しでも見つからないようにと、身を丸くして小さくなる。


 カツ……カツ……カツ……カツ……


 どんどんおばあさんの足音が近づいてくる。私は見つかった時の言い訳を頭の中で考えていた。

 その時、ガシャン!と大きな音を立てて檻が鳴いた。


 私はおそるおそる顔を上げ、音の出所を探した。

 すると少し先の檻の中、私よりも年下の獣人の子が檻に手をかけ懸命に鉄格子を揺すっていた。

 老婆はまっすぐにその獣人の子に向かう。


「仕方のない餓鬼だねえ。何度言えばわかるんだい!!アチキが金を勘定してる時にゃ物音一つ立てるなって言ってるだろ!!!」


 年老いた老人とは思えないほどの怒鳴り声で獣人の子を叱る。それだけならまだしも獣人の子に首輪の強制力を使い「しつけ」と称し苦痛を与えていた。


 マシラが私に命令をした時のことを思い出した。

 あの首が絞めつけられ体中に走る激痛。


 奴隷商人が与えたルールなのか、声を上げることないがように歯を噛みしめて苦痛に耐える獣人の子を奴隷商人はショーでも見るかのように楽しそうに眺めていた。

 私は数秒しか耐えられなかったが獣人の子は数分間その苦しみを与えられ続けていた。


 その時、私はマシラが言っていたことを少し理解した。


(ここにいるのは悪い人達ばかり……)


 私の中に怒りが芽生えた。


 一頻ひとしきり獣人の子が苦しむ様を楽しんだ奴隷商人は再び部屋の奥へと戻って行った。


 私はその後を追う様についていった。

 途中、私を助けてくれた獣人の子の檻の前を通る。

 与えられた苦痛から床にダラリと寝ころび、目だけが私を捉えるように動いていた。


 今はどうにも出来ないけど、絶対にここから出してあげる。


 私はマシラから受けた命令とは別の使命感に燃えていた。


 奴隷商人は、どうやらお金の勘定の途中だったみたいで私の方に背を向ける形で机に座り、一枚一枚硬貨を机の上に重ねていく。


 私は、ひっそりと魔法の呪文を唱える。


「夜のとばり。羊の群れ。ふくろうの目玉が月夜を写す……」


 詠唱を途中でやめてそのまま奴隷商人の後ろに立つ。

 どれほどお金の勘定に夢中なのか私の存在に全く気が付かないので私から話しかけることにした。


「おばあさん。私は今あなたに魔法を向けています」


「ひっ!!」


 突然声を掛けられたことにか、それとも魔法を向けられていることになのか、奴隷商人はびくりとして座っていた椅子から転げ落ちた。

 

「あ、あんたはさっき隷属の首輪を入れた女じゃないかい!何しに来たんだ!!復讐ならお門違いだよ」


「復讐じゃありません。本当はこんな事したくなかったんですけど命令なんです。さっき支払ったお金、四万メルク返してください」


 本当なら、机の上に置かれたお金を全部もらえばマシラも喜ぶだろうことは付き合いの浅い私でも分かった。でも、そんなことアイツにしてやる義理はこれっぽっちもない。


 奴隷商人は私の右掌から放たれる魔力によって魔法が向けられていることが本当だと判断したようだった。


「あ、あんた無法都市ここでこんな事してただじゃすまないからね」


「良いんです。私は命令されたからやってるだけですから。だいたい、あなたがあの男に隷属の首輪なんて入れさせるから悪いんです。だから、これを入れたあなたにも責任はあるんです」


 そう言って私は、奴隷商人からきっちり四万メルクだけ受け取った。


「それと、これは命令じゃないんですけど、ここにいる奴隷を全員解放してください」


「なっ!?バカなこと言うんじゃないよ!そんなことしたらアチキおまんまの食い上げじゃないか!!」


 私は右手にさらに魔力を籠めて見せる。


「いいんですか?打ちますよ」


 もちろん本気で打つつもりはなかったし、今使おうとしている魔法は怪我のするような魔法ではない。

 しかし、奴隷商人には流れる魔力だけでは、どんな魔法が使われるのかわからないようだった。


「わ、わかった」


 奴隷商人は、部屋中に響く声で「解錠アンロック」と投げやりに叫んだ。

 すると、奴隷たちに施されていた隷属の首輪の紋様が一瞬輝くと霧散して消えた。

 奴隷だった者たちは自分の首輪がなくなったことを悟り歓喜の声を上げる。


 私を助けてくれた獣人の子も首輪が消えたようで、しきりに首のあたりを確かめていた。私はそれを見届けると、奴隷商人に一応感謝の言葉とこれからのことを謝っておく。


「おばあさん、私のわがままを聞いてくれてありがとうございました。それと、ごめんなさい。……睡眠スリープ


 私の魔法が奴隷商人を眠りの淵に誘う。

 一瞬で奴隷商人は眠りに落ち、その場で崩れ落ちた。

 私は床に寝転ぶ奴隷商人の服をまさぐり、檻のカギを手に入れ真っ先に獣人の子の檻に向かった。


「今開けてあげるからね」


 私はなるべく不安を取り除いてあげられるよう笑顔で檻の扉を開けてあげる。

 獣人の子は恐る恐る檻の外に出てきてくれた。


「あ、ありがと」


 獣人の子は男の子か女の子か区別のつかない中性的な声で私にお礼を言ってくれた。


「いいのよ。私もあなたに助けてもらったから。これで、他の人も助けてあげて。あとおばあさんにはあまりひどいことをしないようにって皆にも言っておいて」


 それだけ伝えて私は、檻のカギをその獣人の子に手渡して部屋をあとにした。

 これから、ヴィーとあの男と合流をしなければいけない。


 私は悪いことをしたにもかかわらず、不思議となぜだか心のどこかがすっきりとした気分になって奴隷商人の部屋を出た。

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