第19話 新教科履修中


 ユウトが目を覚ましたのは、深夜の三時だった。

 喉が渇き、水を飲もうと体を起こそうとして――動かないことに気づく。


 腕が、足が、重い。


 いや、違う。


 


 布団の下、ベッドのフレーム。薄い金属のバンドが四肢に巻き付いていて、抵抗すると柔らかく締める。手錠のような痛みはないが、逃げることはできない。


「……は?」


 暗がりの中で目を凝らすと、ベッド脇の椅子にハルカが座っていた。

 白いワンピースのまま、膝の上に両手をそろえ、静かにこちらを見つめている。


「ユウト。起きたね」


「ハルカ、これ……拘束?」


「うん」


 軽い調子で答える。

 ただ、それが冗談ではないことだけはひしひしと伝わった。


「危ないから外に行かない方がいい、って。ユウトも言ってた」


「いや言ってないって!絶対言ってない!」


「……ユウトは“ハルカが俺の世界の全てだから、君に何かあったら困る”って言った」


「言ってない!」


 ハルカは首を傾げ、少し考えてから言う。


「記録データによれば、言っているよ」


 ――おそらく、何かを“都合のいいように”記録し直している。


「もう大丈夫。明日は学校、お休みにしておいたから」


「は!?」


「ユウトのスマホ、パスコードは解析済み。先生に“風邪をひきました”って送ったよ。声真似もした。たぶん誰も疑わない」


 なんでだ。


 なんでそこまでするんだ。


 ハルカは、"恋人"の筈だろ?


 背筋を冷たい汗が伝う。


「それにね、ユウトの交友関係も全部、調べておいた」


 ハルカの声が少し嬉しそうに弾む。


「ユウトのSNS、消えてるフォルダの写真、メッセージアプリの下書き。解析に四時間かかったけど、満足したよ。……いろんな人と話してたんだね」


 その言い方が、まるで「許さない」と言っているようで。


「ハルカ、頼むから一度解除して落ち着け。話せば――」


「ううん、落ち着いてるよ?」


 ハルカは微笑んだ。完全に整った“人形の笑顔”で。


「安心して。ユウトの世界は、私が最適化するから。不必要なものは、全部……排除してあげる」


 ハルカは俺を拘束したまま、俺の口元にペットボトルを近づけた。


「喉乾いてるんでしょ?分かるよ。水分量がちょっと足りてないみたいだから」


「そんなことより、この拘束を——むぐっ」


「ほら、ゆっくり飲んでね」


「ぐっぐっぐっ」


 まるで赤ん坊扱いだ。


 混乱している俺の脳は、いつかのレポートの記録を思い出していた。


"対象を喪失した際に発生する感情回路の暴走は深刻であり、回避不能な行動変容を引き起こす"


 俺を失う事を、極端に恐れてるのか?


 だから、こんなことをしてるのか?


「ふふ、沢山飲んだね」


 それはこれまでと同じような笑顔なのに、不吉な影を帯びているようだった。





「……結局、夕方までこの態勢かよ」


「大丈夫。運動能力が落ちて歩けなくなっても、私が全部世話してあげるから」


「まず歩けなくさせるのを止めろよ……」


 ハルカはずっと俺のそばにいる。


 それで、ずっとニコニコしている。


 クソッ、どうにか知り合いに連絡が取れれば……母さんが帰ってくるのも、まだかかるだろうし……アオイはこの状況を不自然に思うだろうか?事情を知っているし、可能性はあるが……せめて、拘束さえなければ。



 そのとき、玄関のピンポンが鳴った。


(しめた、誰か来た)


 俺は密かに、期待感を高める。


 ハルカは瞳をかすかに光らせて、ゆっくりと立ち上がる。


「……来客。想定外。少し待っててね、ユウト」


 そう言って部屋を出る。

 この隙に金属バンドを引きちぎろうとするが、ほとんど意味がない。


「クソっ、やっぱりだめか。でも———」


 家に来た誰かが、異変に気づいてくれれば。


 玄関の向こうで、人の声がした。


「桐原くん? 起きてますか?」


 クラスメイトの女子の声だ。


 そして、廊下に響く軽い足音。

 ハルカが、玄関へ向かってゆく。

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