ヒカリノムコウ
灯坂しずく
第一章 光、落ちる。
真っ白な雲の隙間から光がいくつも降り注ぐ。光の指す中心。そこには輝く金の糸のような髪を持つ少女が一人。少女が立つ床と思われる場所はいくつもの歯車と時計の針から成っていて、クルクル軽い音を立てて回っている。
少女____ルミナ・ルーメリアはその光り輝く空間で金色のステッキのようなマイクを手に持つ。
歌声が響いた瞬間、空間の光がより一層光り輝き、時計の針は勢いを増して狂おしく回りだした。歌声が熱く響くたびに、彼女の胸元から光の輪が生まれる。光の輪はゆっくりと、しかし確実に外側へ、外側へと広がっていく。シルクのスカートは荒々しくなびき、軽かった針の音は時々ギシギシときしんだ音を出し始める。
ここは世界の果てにある光の都____ルーメリア。そして、彼女はこの光の都を守護する光の巫女である。光の巫女であるルミナは毎日、毎日都のために光の歌を捧げていた。
その時、白い羽衣をまとった光の使者たちが彼女の後ろを息を潜めながら通り過ぎる。するとその内の1人が呟いた。
「ルミナ様、前よりも顔色悪いね。」
その呟きは祈るような震えを帯びていた。その声に気づいたようにルミナが後ろを振り返ると、その使者たちはそそくさとその場から逃げるようにはや歩きで去っていく。
「大丈夫、大丈夫…」
ルミナはその使者たちの消えていった方向を目だけで追いながら、マイクを強く握りしめていた。口は頑張って口角を上げようとピクピク震えている。まるで何か胸に張り詰めたものを抱えているようであった。
巫女には歌を捧げることともう一つ、最近できた新たな仕事がある。それは「清浄」と呼ばれた。それは、黒い色をした謎の強力な霧を祓う仕事。一見簡単そうに思われるが、巫女ではない普通の使者たちにとっては命がけのものであった。
「ルミナ様!霧がまた現れました!」
一人の使者が慌てた様子でルミナの方へ走ってくる。先ほどルミナの顔色について話していた者たちのうちの一人であった。使者の額には汗がにじみ、手を膝に置いてゼエゼエと息を吸っている。
「霧はどこ?」
ルミナは先ほどの様子を感じさせないキリッとした声で状況を把握しようとする。本当は今すぐにでもその使者が来た方向に走って行きたがった。他の使者たちの無事を確かめたかった。だがルミナの足はその場に固定されたかのように動かず、言葉は喉に引っかかってしまった。
「向こうです!他の者が清浄していますが、歯が立ちません…!!」
左手で後ろを指さす。ルミナの問いに使者は息を殺しながら答えた。使者の様子からして、もう清浄している使者たちは満身創痍と言ったところだろう。
「今行くわ。」
話を聞いてやっとルミナの足は動き出した。彼女のパンプスがコンコンと心地よい音を立てながらザワザワする胸を抑える。歌う舞台から遠のいていくに連れて、光の光量は減っていき視界が濁る。進む方向からゴンと何かがぶつかり合う音が反響してくる。その音と一緒に床が静かに揺れた。使者たちが清浄している音と揺れだ。一歩進むたびに霧特有の気圧されそうになる感覚が襲ってくる。霧が目前に迫る。その頃には音も揺れも無くなっていた。霧の大きさは手のひら一つ分くらいだろうか。先ほどまで清浄に参加していたであろう使者たちは霧を中心にして円状に倒れている。ほとんど息の根が無い。ルミナは反射的に目線を少し上に向けた。顔に生気がない使者たちを見ることが出来ない。その惨状の空気に触れるだけで、ルミナは心臓に釘が刺さったような感覚を覚えた。足が震える。
「霧を清浄する。それだけ。…大丈夫。大丈夫だから…」
ルミナは周りに倒れている使者たちにも聞こえないほどの小声で呟いた。彼女は恐怖心に蝕まれ始めていた。何度も行っている清浄、光景だと思っても彼女は全く慣れていなかった。マイクを強く握りしめる。指の先が白く冷たくなる。その間にも霧は大きくなっていった。せっかく使者たちが小さくしてくれていたのに。そう思うとルミナの瞳が潤みだした。だが、潤んだ瞳を煌めかせる光がここには無い。スゥッと息を吸い込む音が鳴った。ルミナは右足を軽く開いた。マイクを握る手を緩める。深呼吸。潤んでいた瞳を閉じ、しばしの無音が訪れる。
「♪〜」
ルミナの歌が小さくとも確実に響き始めた。声に震えや恐怖心は一切感じられない。閉じていた瞳が開かれる。それは相変わらず不安や恐怖で濡れているように見えた。しかし、今度は光に照らされて眩しく反射していた。彼女の胸から生まれた、熱い光の輪が照らしていたのだった。ルミナは一歩、また一歩と黒い霧に近づいていく。進む距離は足の半分にも満たないが、パンプスの音は力強かった。彼女が前に進むたびに霧はシュウと煙を上げて小さくなっていく。焦げたような苦い匂いが鼻先をかすめる。それでもルミナは歌い続けた。彼女は、霧を清浄するという一心で前に進み続けた。やがて霧が手を伸ばせは届く距離になると、それは完全に消えて無くなった。周りの濁っていた空気がだんだん明るくなっていく。その瞬間、彼女は安堵の表情を見せた。彼女の視界がほんの少し低くなる。こわばっていた分かかとが浮いていたみたいだった。
「ルミナ様、ありがとうございます。」
声のする方向に顔を向けると、先ほどまで地面に突っ伏していた使者の一人が律儀にも深々と頭を下げていた。使者は光に当たることで、傷を癒やすことができるのだ。
「いいえ、あなた達のお陰でもあるのよ。…ありがとう。」
ルミナは慈悲深い笑顔を使者に向けた。そのマイクを握る手はまだ小刻みに震えていた。
ルミナは最近、やけに嫌な予感を感じていた。ずっと胸がザワザワする。危険信号を出している。そう分かっているのに、その正体がまったく掴めていない。特に気にするような点が無いのだ。いつものように光の中心で歌を歌う。集中出来ていないせいか、あまり胸が熱くならない。どうも周りの様子が気になって仕方がない。
「…次はあなたが鬼ね!」
遠くで甲高い声が聞こえた。使者のまだ小さい子達だ。ルミナは器用に目だけで小さな使者たちを追い始める。小さな使者の片方が人差し指を口に当てて、シー、とポーズを取っているのが見える。その様子を見て、あぁ、おサボりかな。なんてルミナは微笑ましく思った。歌の光が少しだけ明るさを取り戻した気がした。
今日も清浄は無かった。顔色の心配をしてくれた使者たちが発見した霧の後、極端に清浄が減っている。普通なら、最近平和でいいね。なんて感想が出てきそうだが、ルミナにはどうも嵐の前の静けさのように感じてならない。明日、使者たちに相談してみようか。いや、こんなことを言ったって、結局「ルーメリア想いのルミナ様、流石です!」と言われて終わってしまうだろう。それか、「そんなこと気にするのは、自分の体調を万全にしてからにしてください。」と巫女である私がお説教を食らう羽目になるに違いない。自室への帰路につきながら、彼女はいかにも考え事をしています、と言う顔をしていた。
「…ルミナ様!」
背後からものすごい勢いで誰かに右足を掴まれた。爪が足に食い込んで少し痛みが走る。それでも、その手の冷たさに、ルミナは心配が勝ってしまった。体勢を崩さないよう、持ちこたえていると、掴んできたであろう人物が彼女の名前を勢いよく呼んだ。下を向いているせいか、その人物の声はくぐもって聞こえる。掴まれた足をそのままに、ルミナは後ろを向く。
「ルミナ様…」
その人物は目線を上にして、今度は懇願するようにルミナの目を見つめた。目にいっぱいに零れそうな涙を貯めていた。
「どうしたの?」
ルミナは懇願に答えるように優しい声で返事をする。後ろを振り向こうとするが、どうもぎこちない。霧が発生したのか、はたまた別の何かが起こったのか。そのような思考が一瞬で脳内を駆け回る。一層危険信号の色が濃くなったように感じられた。その人物と目があった。合ってしまった。思わず目を見開く。その瞬間、ルミナは全身を忙しく駆け回る冷たい風を嫌でも感じることとなった。その人物は、歌っている最中に見かけた小さな使者の片方だったからだ。嫌な予感がする。ルミナは一生懸命に足を掴んでいる手を丁寧に剥がし、向き直ってしゃがみ、その手を己の手で包む。その間にも小さな使者は泣くのをこらえるうめき声や鼻水をすする音を絶え間なく立てていた。
「大丈夫だよ。何があったか話してごらん?」
ルミナは諭すように優しく声をかける小さな使者の手を温めながら、刺激しないように、刺激しないようにとどうにか言葉を繕う。
「……おともだちが…お友達が!!」
泣きながらも、その小さな使者はルミナにどうにか伝えようと泣き声を押し殺す。そのたびに不自然に呼吸が乱れてしまう。ルミナはその様子を見るだけで心が痛んだ。
「お友達が、どうしたの?」
ルミナは動揺や不安が伝わらないように意識しながらまた質問を投げかける。無意識にも、彼女は目線を外した。どうしてもこの子の惨状を見ていられなかった。2人以外に誰もいないこの空間には、小さな使者の声しか響かない。彼女は小さな使者の右の羽衣が少し破けているのを発見した。破けたところが焦げたように黒ずんでいる。当の本人は、なかなか質問の答えを出せずにいる。
「…羽衣はどうしちゃったのかな?」
様子を伺いつつ、ルミナは質問を変えた。もし、今もこの子のお友達が危険な目に合っていたらと考えると、悠長に答えを待っていられないと思ってしまったのだ。ルミナが包んでいた手に少し力が加わる。
「…きりが、霧が出たの!で、羽衣は…えっと…」
小さな使者はルミナと目を合わせながら、文を繋ぐ。続きを考えているのか、泣き声はだんだん小さくなって、涙も跡となって消えていく。小さな使者は、ルミナの手に包まれていた自分の手を取り出した。もう指先は赤く血色が良くなっている。その手で羽衣をギュッと握りしめた。
「もう喋らなくていいよ。よく頑張ったね。」
羽衣を握りしめて静かになってしまった小さな使者に、ルミナは呟いた。頭を撫でで慰める。この子を一人にしたくないけれど、霧の場所には連れていけない。
「最後に、霧の場所を教えてほしいな。」
「あっち。」
ルミナの最後の問いかけに、小さな使者は深く頷くとその方向を指さした。目を凝らすと辺りの空気が濁っているように見える。ルミナは少し焦りを感じた。あんなに空気が濁る範囲が広かったことがあるだろうか。ルミナは顔をしかめた。
「ありがとう。」
小さな使者の方を向かずに、そう言いながらルミナは霧の方へと歩き出す。
ルミナは今までに無い光景を見ることとなった。霧はもはや彼女が入れるほどの大きさだった。それでもって、とても静かでもあった。他の使者たちが気づかなかったのも納得できた。禍々しい。その大きさは、見た瞬間に腰を抜かしそうになるものだった。しかしルミナはいつにもなく冷静だった。彼女はあたりを見回し始める。あの子のお友達を助けなければ。霧のすぐ近くで布の擦れるような音と何やら幼い声が聞こえたような気がした。
「…!大丈夫?!」
小さな使者の突っ伏した姿を見つけた瞬間、彼女は一気に走り出した。羽衣は黒く焦げたようにボロボロ。肌には無数のかすり傷のような傷ができている。立ち上がろうとしているのだろうか。両腕を床につけて腹筋のような動作をしている。大丈夫なはずがない。そう真っ先に感じたのに、口から出たのは“大丈夫?“という問いだった。霧に向かって走る。走る。今は霧のことで恐怖することすら思考に入っていなかった。夢中でその小さな使者を救おうと思っていた。傷だらけの使者を抱える。よし。後は戻るだけ。ルミナの心は安堵していた。
ゴゴッ。
音がした。ルミナの安堵の心を一瞬で現実に戻してくるような雑音。下を向くと、彼女の足首が霧に飲み込まれているのが分かった。
「…え?」
冷や汗が彼女の額をつたう。未知への恐怖と、混乱と、もう何が何だか分からない。彼女は即座に、抱えていた小さな使者を霧のない床に下ろす。申し訳ないと思った。でもこれしか方法がないと、足が飲まれているのを見た瞬間には分かっていた。即座にマイクを取り出す。歌えるかな。上手く、歌えるかな。不安は山にように大きくなる。それでもルミナはやるしか無かった。
「♪〜」
弱々しい光が歌に乗って小さな使者へと降り注ぐ。お願い。起きて。ルミナはその一心だった。霧はその間にも彼女の膝を飲み込んでいる。
「♪〜」
もう何も感じなかった。ただただ熱も力も無い光を出し続けた。そのとき、小さな使者のまぶたがピクリと動いた気がした。お願い。届いて。ルミナは祈るばかりだった。小さな使者の傷が全てなくなる頃、その子は目を覚ました。
「…!逃げて!今すぐに!!」
それに気づいた瞬間、ルミナはそう叫んだ。自分でも驚くような声量に、小さな使者が驚いたのは言うまでも無い。ただ必死そうなルミナの表情、声でどこまで感じ取ったのだろう。すぐに頷くと、小さな使者は一目散に走っていった。意志の堅い目。その小さな使者はそんな目をしていた。どうしてだろう。疑問に思うよりも早く視界が黒ずんだ。いつの間にか霧に全身を飲み込まれていたみたいだ。ルミナは目を閉じる。別に閉じても開いても視界が変わらないことは分かっているのに。ルミナはこの霧に全てを任せてみたくなった。あんなに小さいのに脅威を放っていた霧に、今自分は飲み込まれている。それなのに、何故か嫌な感じはしなかった。
変に風を感じた。ルミナは不思議に思った。霧には風はないはずだ、と飲み込まれた一回で確信していた。音がした。時計の針のような、でもその音よりもはるかに騒騒しい。ゴゴゴと言うような重低音。何かがぶつかり合うような甲高い音。はたまた、不定期にピューンと言った間抜けな音が響く。
「…ここは?」
ルミナは目を開き、そう呟いた。そこは、ルーメリアでは一生目にすることが出来ない、夜の世界であった。角ばった、細長い箱のような人工物がところ狭しと立ち並んでいるそこは、まばらに四角く光っている。それでも光っているところは圧倒的に少なくて、ルミナだけが淡く発光しているように見えた。ルミナは一歩進む。ルーメリアと違ってゴツゴツとした道だった。パンプスと地面との接地面が悪く、左側によろけた。彼女は咄嗟に倒れる方向を向き、両手を横に広げてバランスを取る。ふうっと息を吐いた。前方から風が吹く。ルミナは、自分以外から発生する風を不思議に思った。ルーメリアでは、彼女の歌以外に風を感じさせるものが無かったのだ。冷たい。きっと“夜“なことも関係しているのだろう。どんどん強くなる風に、彼女は違和感を感じた。耳元にキーンとする高音が響く。バッと顔を正面に向ける。バランスを崩さないようにと膝が曲がる。薄目で見ると、正面からナニカが向かって来ているのが見えた。風圧で髪が後ろへ流れる。前髪はオールバックになったが、そんなことを気にしている暇は無い。乾燥した両目で向かってくるナニカを捉えながら、彼女はマイクを胸の前で強く握る。今最大限に出来る臨戦状態を取った。パンプスでは逃げ切れないと悟っていた。ついに彼女は瞬きをする。その瞬間、彼女は首筋に冷たい感触を覚えた。風が止んだ。オールバックになっていた前髪が降りてきた。それでも彼女は瞬きをしたまま目を開くことが出来ない。彼女の瞼はピクピク震えている。口は固く閉じ、呼吸すら拒むようだった。
「…お前、ホントウにヴァイリスか?」
急に聞こえた低い声に体が固まるのが分かる。首筋から冷たい感触が無くなってやっとルミナは瞼を上げることができた。彼女の前には、この夜の世界に映える、黒い少年が立っていた。
「………ヴァイ…?」
ルミナの口から間抜けな声が出た。
あとがき✦✧✦✧✦
初めまして!ヒカリノムコウを連載し始めました、灯坂(ともさか)しずくと申します。
本編ではルミナがさっそく異世界にやって来ましたね〜。これからどうなっちゃうのでしょう…!
次の章は12月以降に投稿予定ですので、気長にお待ちいただけると嬉しいです。
今後とも、どうぞよろしくお願いします🙇
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます