第2章 天才、入学する

第5話 魔法都市エルミオン

 街の入り口をくぐった瞬間、僕は速度を落とした。


「うわあ……! 何だコレ……!」


 魔法だ。

 いや、もちろん魔法は知っている。

 それ自体に驚いたわけじゃない。

 

「みんな魔法が使えるのか……!」


 魔法は特別な才能の結晶で、限られた人が扱う高度な技術である。

 少なくとも、僕のいた辺境ではそういう扱いだった。

 でも、ここ――魔法都市エルミオンは、違った。


 子どもたちが道端で水球を作って投げっこしている。

 主婦らしき人は風の魔法を使って洗濯物を乾かしている。

 荷運びの若い男性は、土の魔法で坂道を作って台車を転がしていた。


「……すごいな、これ」


 思わず言葉が漏れる。

 今まで、魔法って珍しいものだと思っていたから。

 まさか日常のあちこちに転がっているなんて。

 胸の奥で、なにか小さく弾ける。

 未知を見つけた時の、あの感覚。

 研究対象が、世界中にあふれている。そんな予感。


「最高の環境じゃないか!」


 僕は思わず頬が緩む。

 その瞬間だった。


「あっ、見て! なにか来たよ!」

「え、なにあれ? 乗り物? 魔導具? どこの工房製なんだ?」

「動いてる……車輪が勝手に回ってる!? なんだあれ!」


 ざわつきが僕の背後から押し寄せるようにして広がった。


「え、ちょっと、わっ……!」


 いつの間にか僕の周りに円ができ、好奇心と恐怖の入り混じった目が向けられていた。

 人々の視線の先には、僕の乗っている簡易走行機構ライナー

 一体どうしたんだろう。珍しがられている?

 こんなに魔法がありふれた町なのに、この程度の魔道具が気になるんだろうか。

 こういう人の密度、得意じゃないんだよね。


「す、すみません、通ります」


 とりあえず最低限の礼だけ言って、僕は簡易走行機構ライナーをゆっくりと前に進める。

 騒ぎはさらに大きくなっていく。

 聞いていたよりも、都市の雰囲気は良いけれど、注目を浴びるのは好きじゃない。

 僕は雑踏の中へ滑り込んでいった。




------




 簡素な宿の部屋に到着した。

 簡易走行機構ライナーは、とりあえず宿の裏に停めさせてもらった。

 椅子に座って一息つきながら、荷物を広げて一枚の紙を取り出した。

 それは、アルマンドさんから貰った魔法学校の特別受験資格証だ。


「試験日時、第1期は……ちょうど明日だ」


 数日おきに、第5期まであるらしい。

 どのタイミングでもいいけど……特に待つ理由も無いし、明日受験しちゃおう。

 淡々と呟くと同時に、胸の奥がふわっと軽くなる。

 入試そのものより、新しい知識に触れられる期待のほうがずっと大きい。


「さて、と……行きますか」


 せっかく都市に来たのだ。

 今日は街をじっくり観察する日にしよう。

 僕は宿を出て、大通りへと足を向けた。




 エルミオンは夕暮れ前になっても、いまだ活気の渦だった。


「凄いなあ、こんなにいっぱいお店があるんだ」


 市場に入ると、露店に魔石が並んでいた。

 淡く光る魔力結晶が、網袋に無造作に転がっている。


「この密度でこの値段……いいなぁ、ここ」


 思わず手に取ってしまう。

 ひとつひとつの魔石を眺めているだけで、時間が溶けていくようだ。

 その時だった。


「あーっ、あぶない!」

「おわっ!?」


 子どもの声と、大人の叫び。

 反射的に顔を上げると、路地の少し先。

 子どもが放った水弾が、通りの荷車を運んでいた男の腕を弾いていた。

 男はそのままバランスを崩し、荷車が大きく傾く。

 上に積まれている木箱が、倒れ込んだ。

 その軌道の先には、小さな女の子。

 

 瞬間、僕の脳内に演算が走る。

 距離、四歩。

 荷車の重さ、百数十キロ。

 最短で魔法を発動すれば、間に合う。


「――うん、問題ない。鉄糸製アイアンスレッド


 僕は指先に魔力を流し込み、糸状に引き絞った鉄の線を生成する。

 細く、鋭く、そして強靭な線は、空間にスッと伸びていく。

 鉄糸は鞭のようにしなり、瞬時に崩れた荷物へ巻き付いた。


「ハァッ!」


 魔力を強め、糸の張力を一気に引き上げた。

 ギギッと鉄が軋む音。

 木箱の倒れるスピードが遅くなる。

 僕はその隙に女の子の元へ滑り込み、抱きかかえて走り抜けた。


「……ふう、ギリギリだ。計算通りね」


 子どもは間一髪で無事だった。

 木箱は鉄糸で引っ張られ、空中で静止している。


「あ、ありがとう……ございます……」


 おずおずと礼を言う女の子の頭を撫でる。


「君……すごい魔法だな。ありがとう、本当に助かったよ」


 運搬の男が震える声で言う。

 僕は木箱をゆっくり元の位置に戻し、糸を解除した。


「無事でよかったです。……君たちも、次からは気を付けてね」

「は、はあい……」


 魔法を暴走させた子供たちを諫める。

 ……と、その時。

 ひりっと、腕に軽い痛みが走った。


「ああ、擦っちゃったか」


 女の子を抱える時、木箱にひっかけたのだろう。 

 深い傷じゃない。

 気にするほどでもない。

 そう判断して歩きだそうとした瞬間。


「――待って」


 静かな声がした。

 振り返ると、ブロンドの少女が立っていた。


 澄んだ蒼の瞳。

 周囲の喧騒から切り離されたような気配。

 ふわりと風が抜けて、なおも揺らがない立ち姿。

 少女は僕の右腕に目を落とし、柔らかく眉を寄せた。


「血が出てる」


 手を引っ張られる。

 傷口に重ねた彼女の掌から、淡い光が広がった。


「これは……」


 白く、清らかで、ほのかに温かい光。

 触れている個所から優しい温度が伝わって、ただ静かに痛みだけが消えていく。

 文献で読んだことがある。

 世にも珍しい治癒の魔法――いわゆる、『聖なる魔法』を扱う一族がいると。


「……治ったはず。もう動かしても平気」


 少女は淡々とした声で言った。

 感情が読みにくい。

 けれど、傷を治してくれたあたり、心優しい女性なのだろう。


「すごい。文献でしか見たことがなかったけど、実物はこうなるんだね。どういう構造で……魔力は……」


 僕が観察の言葉を並べ始めたところで、


「え、エリシア様! エリシア様ー!」


 大声と同時に、慌ただしい足音が近づいてきた。

 従者らしい男が、エリシアと呼ばれた彼女に駆け寄る。


「やっと見つけましたよ! お、お怪我などございませんか!? まさかこのような通りで……! 皆さま、道を開けてください!」


 男は通りの人々を払おうとする。

 ざわっ、と周囲が騒然とした。


「治癒の魔法……ルーメン? まさか、本物……?」

「ルーメン聖家の令嬢だって……いや、なんでこんな所に……?」


 聖なる魔法を扱うことができるのは、ルーメン一族の中でも限られた者のみ。

 ルーメンと言えば、大陸中に名を轟かせている名家だ。

 が、僕にはどうでもいい。

 興味があるのは──


「――さっきの魔法、もう一回だけ見せてくれない?」

「だめ」


 エリシアは短く言って、僕の言葉を遮った。

 声音は静か。

 怒っているわけではなく、ただ拒否の意志は明確に乗っている。


「一回! 一回だけでいいんだ! お願いっ!」

「もう、どこも怪我してない」

「確かにね、じゃあこれでどうかな?」


 僕は魔法で石つぶてを生成し、ひゅっと飛ばして自分の頬を軽く擦る。

 皮一枚だけ切り裂かれ、頬からは血が垂れた。


「ホラ、怪我しちゃった。治して?」

「ズルはだめ。自業自得」

「ええっ……そんな、せっかく切ったのに」

「……あなた、変わった人」


 落ち込む僕をしり目に、彼女は淡くそう言った。

 そして従者に促され、そのまま通りの奥へ消えていった。


「ちぇ……ダメだったか。いつか、もう一度見てみたいなあ」


 そう呟いて、宿の方向へ歩く。

 頭の中では、先ほどの光の残滓と、魔力構造の推測が渦を巻いていた。

 治癒や浄化など、いわゆる『神秘的』な力を扱うことができるのが、聖なる魔法の特徴。

 既存の魔法理論では説明できない、完全に別系統の魔法だ。


 いずれ、自分も使えるようになりたい。


 そんなことを考えながら、僕はいつの間にか戻ってきていた宿のベッドに倒れ込む。


「……面白いな、魔法都市」


 ぽつりと呟くころには、瞼がゆっくりと落ちていった。

 翌日の入試のことを考える暇もなく、僕はすっと眠りに落ちた。

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