第2話

 大型魔獣を倒したあと、ライトはしばらくその場に立ち尽くしていた。

 胸の鼓動はうるさいほど早く、呼吸も浅い。けれど、不思議と意識は澄んでいた。


(本当に……倒せたんだ)


 今の一撃は偶然ではなかった。

 《超記録》によって見えた“動きの流れ”をもとに、身体が自然と反応したのだ。


 震える手を握り、ライトはゆっくりと深呼吸する。


(ここから……帰らないと)


 置き去りにされた悔しさや悲しさは、まだ胸の奥に重く沈んだままだ。

 けれど、それに呑まれて立ち止まっていれば本当に死んでしまう。


 ライトは剣を握り直し、ダンジョンの通路を見つめた。

 さきほどまでとは違う。

 目に映る通路の形や石の並び、その奥の罠の気配まで、すべてが過去に記録した情報と重なって見えた。


「……行ける。ここなら迷わない」


 自分に言い聞かせるように呟き、ライトは一歩を踏み出した。


 足音がダンジョンの暗闇に吸い込まれていく。

 通路の壁はざらつき、ところどころに魔石の淡い光が揺れていた。

 以前はこの薄暗さが怖かった。

 だが今、ライトの視界には《記録》で書き留めた地図が薄く重なるように浮かんでいる。


 進むべき道を、迷うことなく感じ取れる。


「……俺、こんなに変われるんだな」


 自分の呟きが虚しく響く。

 でも胸の奥に小さな灯がともるように、勇気が生まれた。


 歩き続けると、道の途中でコウモリ型の魔獣が現れた。

 天井から急降下してきたそれは、ライトの顔めがけて爪を振り下ろす。


 以前なら悲鳴を上げていた。

 だが、今は違う。


(右に避けて、そのまま斬る)


 ほんの一瞬でその判断が浮かび、身体が動いた。

 ライトは足を滑らせるように横へ跳び、すれ違いざまに剣を振る。


 空気を裂く音。

 コウモリ型の魔獣は軌道を外れ、壁にぶつかって動かなくなった。


「はぁ……よし」


 心臓は早く脈打っているのに、不思議と落ち着いていた。

 《超記録》は魔物の動きだけではなく、ライト自身の動作にも影響を与えている。

 動きのブレが少なく、まるで戦い慣れた戦士のように踏み込みが安定していた。


(これが……俺の新しい力なんだ)


 胸に熱が灯った。


 少し進むと、また別の魔物が現れる。

 狼型の魔獣だ。獲物を見つけて唸り声を上げる。


「来る……!」


 狼型は素早い。

 だがライトの視界には、すでにその動きの“流れ”が見えていた。


(前足の力の入れ方が弱い。突っ込んでくるふりをして、すぐに横へ跳ぶ気だな)


 狼型が突進する。

 次の瞬間、ライトは一歩引いて刃を構えた。


「……読めてる!」


 狼型はライトの横を通り抜けようとしたが、そこにはライトの剣が待っていた。

 刃が狼の腹をかすめ、血しぶきが散る。


 狼が呻き声を上げるより早く、ライトは追撃を入れた。

 そして狼は動かなくなった。


(俺……こんなに動けたのか)


 驚きと同時に、胸の奥からふつふつと湧き上がるものがあった。


(生きたい。生きて……いつか見返したい)


 その思いが、ライトの足を前に進ませる。


 やがて、通路の先に微かな風を感じた。

 湿った空気の中で、その風だけが冷たさとは別の“外”を思わせた。


「……出口に近い」


 暗闇に慣れた目でははっきりとは見えないが、確かに風の流れが変わっている。

 ライトは自然と歩みを早めた。


 だが、焦ったその瞬間。

 天井が小さく軋んだ気がした。


「……嫌な音だ」


 ライトは一歩下がった。

 その途端、頭上から細かな岩の破片がぱらぱらと落ちてくる。


(崩れる……!)


 咄嗟に後退すると、直後に大きな岩が落下した。

 地面を叩く鈍い音が響き、煙が舞う。


 以前の自分なら逃げ遅れて潰されていた。

 しかし《超記録》が崩落の予兆を見せてくれていたのだ。


「……ありがとう。助かった」


 誰に向けた言葉か分からない。

 ただ、胸の中に温かいものがあった。


 そこから先は急がず慎重に進んだ。

 天井の亀裂を避け、崩れた岩の間をすり抜ける。

 通路はところどころ狭く、身体を横にして通らなければならなかった。


 息が荒くなる。

 汗が額を伝う。


(あと少し……外に出たい)


 その願いだけがライトを前に進ませた。


 そしてついに、通路の先で光が揺れた。

 眩しいわけではない。

 ただ暗闇に慣れた目には、それは十分すぎる光だった。


「あ……外だ」


 喉の奥からかすれた声が漏れた。


 最後の力を振り絞り、ライトは光の方へ歩いた。

 通路を抜けた瞬間、眩い世界が視界いっぱいに広がる。


 青い空。

 草原。

 風の匂い。

 遠くに見える街の屋根。


 そのすべてがライトの心を強く揺らした。


「……生きて……帰ってこれた」


 目の奥が熱くなった。

 涙が浮かびそうになるが、ライトはゆっくりと深呼吸した。


(まだ終わりじゃない。ここからだ)


 胸の奥に渦巻いていた悔しさと悲しさが、決意に変わっていく。


「俺は……生きる。もっと強くなる」


 握った拳に、自分の意思が宿る。


 そしてライトは歩き出した。

 街へ向かう道のりは長い。

 傷も多いし、体力も限界に近い。


 それでも、足取りは軽かった。


 青い空がまぶしく見える。

 まるで世界が「おかえり」と言っているようで、胸が少しだけ温かくなった。


(レグナの街……あそこから始めよう。俺の新しい旅を)


 風が優しく頬を撫でた。

 それは、これから出会う仲間たち、守るべき者たちへの予感でもあった。


 ライトは小さく微笑み、揺れる草原の中へ歩みを進めた。

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