第2話

 翌朝。

 いつもの時間のいつもの車両に乗り込み、いつものように列車は宇田川を運んだ。

 宇田川が出社して来た事に周りは少しザワついたが、宇田川は気にする事なく課長のデスクに向かった。


「課長、昨日はすみませんでした。」


「何だお前。三日間は自宅「わかってます。ただ、ちゃんと説明を聞いてください。お願いします」


「……。説明ったって…もう専務が先方と話をして、ちゃんと取りなしてくださったんだし」


「いや、でもまだ俺の話、ちゃんと聞いてもらってません。なんとかお時間頂けないでしょうか?」


「…。はぁっ。…ちょっと待ってろ。」


 五分程待った後、また例の会議室に通された。

 上座には専務が既に座っていた。


「宇田川君。何か話があるんだって?私もそんなに暇じゃないんだけどね。」


「すみません専務。昨日先方にお話いただいたようで、ありがとうございました。ご迷惑をお掛けしました」


「ああ、まぁそれは君の為じゃないよ。今回は少額の取引だったけど、これから先、何倍も取引の幅を広げられる会社だ。みすみす金のなる木を手放すはずがないだろう?」


 暗に、それだけ価値のある取引先をお前はオシャカにしかけたんだぞという脅しにも聞こえた。


「ごもっともです。申し訳ありません。」


「もうお詫びの言葉は要らないからさ。君の言う話って何か聞かせてくれないかな?」


「はい。では恐縮ですが。

昨日、課長の電話に出るまでは確かに160万と記載していたのは間違いありません。電話を終えて、時間が迫っていたのでそのまま送信しました。『送信』という項目をクリックした以外、何も触れていません。なのに数字が変わってしまっていた。…思うに、その電話に出ている間…事務員のデスクにある電話器で席を外している数分の間に何か起こった…としか考えられないのです。」


「…つまりキミは…キミが席を外している数分の間に、このオフィス内の誰かがキミのパソコンを触って数字を改竄した…と。そう言いたいわけだね?」


「言い辛いのですが、そうとしか…」


 黙って聞いていた課長が横から口を挟む。


「お前は…一晩掛けてそんなくだらない言い訳を考えて朝からノコノコやって来たのか?何でやつだ。罪を認めるどころか誰かに擦り付けようとするなんて…。俺はお前を信用し過ぎてたようだな。」


「えっ?いや、そんなつもりは…」


「そんなつもりはなかろうと、言ってる事はそう言う事だろう?」


「まぁまぁ、課長、落ち着いて。キミ。宇田川君?」


「あ、はい…」


「僕にはね、キミが嘘をつく為にわざわざ出社して来たとも思えないんだよ。」


「…ありがとうございます。信じていただけ「いや、全面的に無条件で信じるわけにも行かないのはわかるよね?」


「…はい…」


「うん。だからさ。そのいたずらって言うのかなぁ。キミの作成した見積書に手を加えた人をね、探して証言させてみてよ。」


「えっ…」


「『えっ』ってキミ。当たり前だろう?何か間違った事を言ってるかな?」


「あ、いや…」


「それが出来ないならこちらも全面的にキミの話を信じるってことは出来ない。わかるよね?」


「…はい…」


「まぁ宇田川君だっけ?キミの言いたいことはわかった。キミの主張も考慮して、今後の事を決めるから、まぁ今日のところは、ね?」


「…わかりました。でも、俺…ホントに…」


「何回も言わせたいの?」


 宇田川はビクッと身を縮めた。蚊の鳴くような声で


「お時間いただきましてありがとうございました。本当にご迷惑をお掛け致しました。申し訳ありませんでした。……失礼致します…」


 昨日と同じように宇田川は、地獄へつながるドアを開けるような気持ちでノブに手を掛けた。

 結局、進展はしなかった。というより、ますますマズい方へ向かってる気がする。

 誰かに罪を擦り付けたい気持ちなどまるでなかった宇田川にとって、課長に指摘されて初めて自分が罪から逃れようと必死に言い訳しに来たと見られてもおかしくない状況だと気が付いたのだ。

 …もう…ダメかも知れない…。和美に何て言おう…。




 それから二日経ち、宇田川の自宅に電話が入った。

 処分が決定したので明日、出社するように。デスクには寄らず、会議室に直行するように。とのことだった。

いよいよ死刑宣告か…。

 夜、一睡も出来ないまま、またいつもの電車に乗り込み、三日振りの会社にやって来た。

 心臓がうるさい。息苦しい。頭がズキズキする…。


 会議室の扉を開けると、専務と課長が揃っていた。


「おはようございます。お待たせ致しました」


「ん、おはよう。まぁそこに座って」


 専務の向かいに座らされ、死刑宣告を待った。


「えっと…宇田川君?」


「…はい…」


「キミね、処分決まったから。」


「………はい…。」


「あ、まぁそんな怖い顔しないで大丈夫。とりあえずキミには総務部に行ってもらう事になったから。」


「えっ?…クビではないのですか?」


「ふふっ。いくら何でもそんなに簡単にクビ切ってたら社員すぐいなくなるだろう?それに訴えられでもしたらそれこそ面倒なんだから。」


「いや、でも俺…訴えたりしないですよ」


「んー…まぁその話はさておき。課長からね、キミみたいなやる気のある人材を手放すには惜しいと言われてね。まぁ今回のミス?も何かこう…キミもまだ三年目で若いんだしさ、多少は上司にも責任ある事だし…全面的にキミだけを責められないよねって事になってね。」


「ホントですか?」


「ん?不満かな?」


「いえっ、てっきり自主退社かクビかと思っていたもので…。そんな風に言って頂けるなんて思いもしませんでした。」


「まぁ、今後気を付けて、精進してよ。」


「…はいっ!ありがとうございます!精一杯精進して邁進します!ありがとうございます!」


「ん、じゃあ早速総務部…総務室の方へ自分の荷物とか全部持って言ってね」


「はいっ!ありがとうございます!失礼致します!」


 宇田川はヘッドバンキングの勢いで一礼すると、足早に会議室を出た。



 良かった。まだ皮一枚の感じだけど、切れてはいない。繋がってる。なんとかなるかも知れない。配置換えは仕方ない。クビより何倍もマシだ。威圧感たっぷりのあの専務も、本当は器の大きい人なのかも知れない。今は感謝しても仕切れない。

 ん?…待てよ?…総務室…?

 あれ?ウチの会社、総務部とかあったっけ?今まで三年、総務部なんて聞いた事がないかも知れない…。


 オフィスに戻って例の事務員に聞いたところ、


 「総務室は確かにありますよ。でも地下一階だし、部屋はあるけど誰もいませんよ?そんな所に宇田川さん、何しに行かれるんですか?あ、いえね、昔は『総務』あったそうなんですが…。経理やら何やらは専属の会計士さんがいらっしゃるし、庶務の方もそういう仕事の補佐も賄ってるし。雑務なんかもね、わざわざ地下まで行って頼むより事務員に相談した方が早いってなっちゃって。総務がやるような事を皆が分散しちゃったもんだから、今更どれを総務に?このままの方が何かと都合良くない?ってなっちゃって、そのまま…。とは言え新しい会社の方では総務部はちゃんとあるし、こちらの分も纏めてやってるみたいだし。だから今はあの部屋は倉庫代わりみたいなもんだって…」



 それから宇田川の、モグラのような毎日が始まった。

 薄暗く、窓のない部屋にただ一人。自分がパソコンのキーを叩く音だけが聞こえる。

 主に任される仕事と言えば、事務員が面倒がってしないような雑務や書庫の整理、誰も読んだことのないような社歴のまとめをひたすらパソコンに打ち込んで行くだけだった。

 毎日毎日、希望も何もない。気が狂いそうな空間に閉じ込められ、宇田川は徐々に正気も生気も失って行った。

 あれ程自分に尽くしてくれていた和美も、いつの間にか出て行っていた。

 数ヶ月に一度、離婚について話し合いたい、財産分与について、弁護士に会って欲しいと手紙が届くのみだった。


 もう、限界だと思った。確かにあの件は自分にも落ち度があった。そして会社に大きな迷惑を掛けた。しかしもうその償いとしての生活も長過ぎる…。

 退職願を課長に持って行ったが、それは専務に…と言われ、専務に談判に行った。

 しかし専務は受け取ってはくれなかった。

 「キミ程の人材に辞められては困る。会社としては大損害だ」と言うのだ。

 毎日毎日大した仕事もしていないのに?何故?

 詰め寄ったところで退職願は受理されず、もうしばらく頑張ってくれないか?という言葉だけが返って来た。



 もう、何もかもどうでも良くなっていた。

 着古したシャツも、ヨレヨレのネクタイも、雨の染み込む靴も…。

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