第2話 召喚されて2秒で堕落するってマジですか?
『Cランク、木こりの召喚が完了』。システマチックに女神はその言葉を吟じる。
ルーカスにはそのランクだとかが何かは分からなかったが、何となく、”ハズレ”であることは分かった。
「あなたは何ができますか?」
「……木を切ることができます」
「……勇者になってほしいのですが……」
「え。正気ですか?」
自らの危機を感じたルーカスは、眼前が創世譚にて語られる救世の女神──やんごとなき、に100を掛けてもまだ遠いその一柱に、とっさにそう言い返してしまった。
一方、女神は蟻が威勢よく鳴いているのを眺めるような態度で答える。
「この世界で何が起きているのかご存じでないの?」
「それは……」
一切、知らないわけではない。
ルーカスがここに呼び出されるまで、彼は故郷の村で木こり仕事に従事していた。
村の中心の広場では、村の聖職者が、繰り返し終末論を説いていた。
しかし、実際に目にした訳ではない。
村は自給自足の環境にあったし、領地内で完結する狭い世界だったから、遠い国で何が起ころうと直接的な影響はない。
聖職者が話を盛っている可能性だって感じていた。
口ごもるルーカスに、女神は認識の程度を察したらしい。
指先で青白く発光する四角い枠を描いた。
そこには奇妙に隆起を繰り返す大地が映されていた。
なんの種族は考えたくもないけれど、焦げた動物のようなものも映し出されていた。
「な、なんだこれ……」
「これが、魔王の侵攻です。今回は、わたくしの顕現により延焼が止まりましたが、次はないわ」
「…………」
ルーカスは現状をよくよく理解した。
よくよく理解してしまったから──。
「これを、俺にどうにかしろって? 無理ですよ!」
「そんなこと言わないで。ハズレとはいえ、もう残されたたった一人の勇者なんですよ」
「今ハズレつったか!?」
女神の考えが分からなすぎる! ルーカスは辟易した。
彼女は本当に”別の世界”の生き物なのだろう。
何なら、自分たちの窮地を箱庭遊びか何かだと思っているのかもしれない。
「もっとどこかの国の王子様とか、選ばれし云々とか、それっぽいのいないんですか?」
「いた……、のだけれど。もっと凄い勇者を! と思ってリリースしていたら、回数を使い切っちゃって」
「馬鹿なんですか!?」
それで最後に召喚を試み、成功したのが自分だったらしい。
ふざけるな。ルーカスの率直な感想はそれだった。
「これが救世の女神だと……?」
「はい! アルマと呼んでくださっても構いませんわ」
「最悪ちょっと殴るぞ」
なんなんだよ! ルーカスは深いため息をついた。
権能を持て余した子供。そういう印象だ。
もしくは、我々の世界の危機を遊びか何かだと思っているのだろうか。
ルーカスは最早敬うのも馬鹿らしくなってきて、彼女のことを望み通り呼び捨てにしてやることにした。
「それで、勇者になってくれるのですか?」
「…………」
ルーカスは思案した。
この世界に残された最後の希望が、自分。
何かになるつもりはない。何かになろうとして失敗することのほうがずっと恐ろしい。
故郷の景色を思い出す。
森で区切られた小世界と、塩味の淡白な豆のスープ。
父に母、沢山のきょうだい──。
自分は長男だった。
まだ幼い弟や妹の面倒をみて、母が忙しい時は死にかけの祖母の介護もして。
その上たった1人の成人だったから、木こりの仕事も任されることになった。
それで満足だ。それで十分幸福だ。
でも、思えば何かと押し付けられてばかりの人生な気がする。
死ぬまでこれが続くのだろう。
村から出ることなんて、考えやしない。
出たところで、木をうまく切ることができるだけの人間なんて、生きていけはしないだろうから。
「……勇者になったら。アルマは、俺に何をしてくれる。金をくれるのか? それとも愉快な仲間でも?」
ルーカスは自らの口から大胆な台詞が出たことに驚いた。
こんなにも欲深い台詞を、女神の前で吐けるとは。
女神は意図の分からない微笑を讃えながら、『そうね……』と唇に指先をやった。
「わたくしの権能は、『繋げる』チカラ。ここに顕現できたのはわたくしの世界とこの世界を『繋げた』から。勇者を召喚できるのは、この世界と各地の勇者候補を『繋げた』から」
『だから……』女神は続ける。
「金庫に繋げることも、王が眠る寝室に、誰にも気づかれずに繋げることだってできる。あとは、好きになさい」
「(後者は暗殺しろってことかよ)」
ルーカスはいよいよ救世の女神にとっての命の価値がわからなくなってきた。
そのうち問いただしたいところだ。こんな奴の配下なんてイヤすぎる。
「まあ、強力な権能を行使するには、沢山の『石』が必要なんですけれど……」
ルーカスはアルマの言葉を聞き流しながら、逡巡する。
……この力の厭らしいところは、結局最後は自分でなんとかしなければならないところだ。
金庫で金を盗んだところで、その後バレないように生活基盤を築くのも自分だし。
王を暗殺したら確かに色々なことを動かせそうだけど、とても慎重にならなければならないだろう。
というかそもそも人命を私欲のためにどうこうするなんて自分には無理だ。
アルマは『あっ』と声をこぼす。
「仲間も、お金もないけれど。伝説の武器や防具なら、召喚の途中にいくつか混ざっちゃったわ。武器は勇者候補と違って、ストックしておくことができるの」
アルマは魔法陣のようなものを描くと、そこから一本の長剣を抜きだした。
それは金の装飾で彩られ、鍛冶屋が涙を流すほどに美しい刃の輝きを持っていた。
中央には学のないルーカスでは名も分からないような、虹色に輝く宝石が籠められている。
「試し斬りしてみて」
アルマがルーカスに剣を手渡し、どこかから演習用の木製人形を引っ張り出してくる。
ルーカスは試しぶりをしてみた。人形はケーキを切るみたいに、なめらかな断面を残しながら半分になった。
断面にはわずかな燐光が残されている。成程、伝説の武器らしい。
「…………」
これ、売ったら大金持ちだろうな。
金があればどこにでもいけるだろう。どこででも生きていけるだろう。
否──、
なんでも、できるだろうな。
「(あ。ヤバい)」
ルーカスは自らの善悪や、力の限界といった箍が外れるのを感じた。
その言葉は、無意識的に口から滑り出ていた。
「俺、勇者なります」
ルーカスは”勇者”という、文字通り『勇ましい者』を示す言葉と、その酷く凡庸で浅ましい動機の摩擦を感じながら、明確にそう宣言したのだ。
・・・
ルーカスは取り急ぎ最強装備だけを残し、伝説の武器や防具たちをかたっぱしから売り払った。
『勇者』は全身に最強装備を装備しながら、夥しいほどの財産を手に入れた。
Cランクの木こりはめでたく勇者となった。最早、見目に貧しい雰囲気など欠片も残っていない。
”見目”に関しては。
「ねえ……」
数日後、救世の女神は困り果てていた。
「救世の旅って、わたくしが情報収集しているばかりじゃない。
世界を救わないんですか? 勇者くん」
「あー……」
『塔』の中にある神殿のような浴槽、その中のやわらかい肢体の山の中から、ルーカスは顔をのぞかせた。
ルーカスは酒池肉林を築いていた。
彼は抑圧を受け続け、金銭的に貧しい育ちの人間だった。
突然”全て”を手にすれば、こうもなる。
そして閉じられた世界の外を知らない。
”全て”を手にした者は、こうなってしまうものなのだろうか?
どうにも危機感のない救世の女神のように。
女神は独り言ちる。
「えーん、やっぱりCランクは人間性も終わってるわ!
こうしている間にも、『魔王』の侵攻は続いているかもしれないんですよ?」
「ニュースがあったら、ソッチが教えてくれるだろ。無いってことは小康状態ってわけだ」
「だったら今のうちに!」
ルーカスは買った娼婦を抱きとめる。
名の知れぬ娼婦は甘い声を漏らした。
「やってるやってる、資金を準備して、仲間を増やしてるとこだろ、どう見ても」
「金で買った1日だけの関係は、仲間とは言いません!」
「遊びみてーな振る舞いのソッチに説教されたかねーわ!」
なんとかしなければならなかった。全体的に。
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