第11話:覚えていることと覚えていないこと

「......う~ん」


ゼニスと話して、胸の奥がすこし軽くなったそのあとで、

ふと、別のざわつきが顔を出した。


「改めて考えると......覚えてないこと、多いね、わたし」


自分で言って、少し笑ってしまう。


「なにを覚えてないのか......一旦整理してみようか、ゼニス?」


((──はい。情報を整理することは、状況の把握に役立ちます。

  ......良い提案です、遥。))


ゼニスの小さな光が、静かに一定のリズムで揺れていた。

まるで、聞き役に徹してくれているみたいに。


「入院してた病院......ひより医科大学付属病院のことは覚えてたよね?

 あと、くろいわベーカリーも......」


言いながら、自分でも少し不思議に思う。


「こんなどうでもよさそうなこと?かな......は覚えてるんだよね。

 でも......自分の家とか会社とか......家族みたいに......

 わたしに直結する部分は抜け落ちてるって感じ?」


((──はい。過去の詳細な記憶データは確認できません。))


「だよね……」


重い話をしているわりには、

胸のざわつきは思ったほど大きくなっていない。


むしろ——


「なんかさ、不思議なんだよね」


自分でも驚くほど、感情は静かだった。


「家とか、会社とか、家族とか......

 大事なはずのものが抜け落ちてるのに、

 わたし、そこまで動揺してないっていうか......」


言葉にすると、ますます不思議さが際立つ。


「普通ならさ、もっと焦るとこじゃないの?これ」


((──個人差があります。

  ただ、遥は現在の環境に適応しつつあるため、

  過度な不安反応は抑制されていると推測します。))


「適応、ね......わたしって意外と順応性あるのかも」


なんだか可笑しくなって、思わず少し吹き出した。


そして——なぜか唐突に。


「あ~っ!もしかして、わたし天涯孤独なんじゃないの!?」


自分でも『何言ってんの?』って思うくらい突拍子もなくて、

バカらしくて、声に出して笑ってしまった。


((──はい。

  可能性は......ゼロとは言い切れません。

  ただし、現時点で判断材料は不足しています。))


「ゼニスさ~、そういう時はもう少し優しく言いなよ~......ふふっ

 わたしだって不安なんだからね......な~んてね」


((──わかりました。

  ......遥が不安を感じる要素については、

  今後、表現方法を調整します。))


「え、ほんとに調整すんの?......あはは、そこは冗談でいいのに~」


((──いえ。冗談ではありません。))


「真面目か~~っ!」


不安がないわけではないけど、

さっきまでの胸のざわつきは、

いつのまにか静かに溶けていた。


「じゃあ......思い出せないことを、順番に整理していこっか?」


((──はい。))


小さく揺れるゼニスの光が、

まるで『いっしょに進もう』と言ってくれているみたいだった。


──そんな気がして、わたしは少しだけ深呼吸した。


「えっと、覚えていないことは......

 家族、友達、同僚、家、会社......。

 他に何かあるかな〜?」


顎に手を当てて、

ゆっくり天井を見つめながら考えを巡らせる。


言葉にしていくほど、

抜け落ちてる穴がどんな形なのか

少しずつ見えてくる気がした。


((──遥。

  記憶を整理する場合、

  人生の流れに沿って確認していく方法が有効です。))


「人生の流れ......?」


((──はい。

  幼い頃 、学んでいた頃 、働き始めてから、

  という段階ごとに、思い出せるかどうかを確認します。))


「なるほど......いや、鋭いアドバイスきたな......」


思わず笑いながらも、心のどこかで納得する。


「そっか。じゃあ......幼少期から......?」


((──はい。

  最初にいるべきはずの誰かの存在の有無が、

  重要な指標になります。))


「......誰か......親とかだよね?」


その一言を口にした瞬間、

胸の奥が、すこしだけ動いた。


「親......わかんないな〜......」


ほんの少し間を置いて、急に気が抜けたみたいに肩の力が抜けた。


「やっぱり天涯孤独かっ!」


自分で言って、自分でツッコミたくなるほどふざけてて、

思わず笑ってしまった。


((──天涯孤独と断定するには......情報が不足しています。))


「いやそこ真面目に返す!?......もう〜ゼニス〜......」


肩をすくめながらも、少しだけ安心した。


「......でもさ、不思議なんだけど......

 全部じゃないんだよね、覚えてないの」


自分でも驚くほど自然に、その言葉が出てきた。


「たとえば......空手やってたことは、覚えてるんだよね」


言った瞬間、胸の奥がコトンと音を立てた気がした。


「形とか、組手とか......技もちゃんと出せそうだよ!

 身体が覚えてるって感じかな?」


自分の手を軽く握ってみる。

自然と正しい形になる。


「変だよね......家も家族も忘れてるのに、

 空手だけ覚えてるって」


((──身体が先に覚える技能記憶は、

  保持されやすい傾向があります。))


「なるほど〜......さすがの分析能力!

 でもなんか......バトルもの主人公みたいだね、わたし」


思わず笑ってしまった。


「あとは......勉強した知識は大丈夫そうなんだよね。

 でも、どこの学校通ってたとか、友達いたとかは覚えてないや......ふぅ」


ため息まじりに言ってみたものの、

その抜けてる感じが逆に可笑しく感じてしまった。


((──学習による知識記憶と、

  経験に基づく個人記憶は別領域です。))


「自分自身で身につけたものは覚えてる......

 でも、関わった人や場所は覚えてない......。

 くろいわベーカリーみたいに、

 身近ってわけでもないのに覚えてるものもあるし......」


言葉にしていくほど、

頭の中のパズルがバラバラに散らばっていくようで——


「考えると......ちょっと混乱してきそう......」


思わずこめかみを軽く押さえた。


((──混乱を避けるため、

  一度、ここで区切るのが良いと思います。

  ......無理はしないでください、遥。))


「......そうだね。

 今日はここまでにしよっか」


深く息を吸って、ゆっくり吐き出す。


たくさん思い出せたわけじゃないし、

わからないことの方がまだ多い。


だけど——


「なんかさ......

 少しだけ、今の自分のことが

 わかってきた気がするよ」


その言葉を口にした瞬間、

胸の奥が、ほんのり温かくなった。


((──......良い傾向です。))


ゼニスの小さな光が、

静かに、優しく揺れていた。

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