第16話 試験栽培の開始と、“芽が出ない土”
試験区画は、畑の中でも最も土が柔らかくなった場所を選んだ。
昨日の夕方までに何度も耕し、
木灰の層と新しい土を混ぜ、ようやく“植えても良い状態”になった。
セラが布袋を胸の前で抱え、深呼吸した。
「……いきます。
香り麦の種、植えますね」
「頼む」
袋の口を開くと、
黄金色の粒が指の上を転がり落ちる。
四十年眠っていた命──
その重さは、手のひらよりもずっと重かった。
セラは小さな穴を掘り、
一粒ずつ丁寧に土へ置いていく。
マリアが記録板に書き込みながら言う。
「今日植えるのは、全部で四十粒……。
一つでも芽が出れば成功です」
アズベルは腕を組んだまま、畑を見守っている。
「四十年前の種が生きてるだけで奇跡だ。
焦る必要はねぇさ」
視界に淡い文字が浮かぶ。
『発芽率:低
成功条件:水分調整・温度安定
補足:発芽まで“最低5日”』
すぐに結果は出ない。
むしろ、結果が出る前の五日間が最も神経のすり減る期間だ。
◇
植え終わり、区画の表面が静かに均された。
セラが手を合わせ、祈るように呟く。
「……どうか、ひとつでも……」
村人たちも遠巻きに見守っていた。
水が戻り、土が動き出し、
ようやくこの地に希望の形が生まれた。
その象徴が、今、この土の中にある。
俺は水壺を持って進み、区画に薄く水を撒いた。
「これから五日間は、毎日“少量だけ”水をやる。
やりすぎは駄目だ。土が固くなる」
セラが頷く。
「はい。
気温も見ながら調整します」
視界の表示がわずかに揺れた。
『条件:適切
土壌:回復継続
芽の可能性:ほんのわずか上昇』
小さくても、確かに未来に向かって動いている。
◇
翌朝──
俺はいつもより早く畑に向かった。
風の冷たさが増している。
夏と秋の境目のような空気だ。
試験区画に近づくと、
セラがすでにしゃがみ込んで土を見ていた。
声をかける。
「どうだ?」
「……まだです。
土の色も、昨日と同じ」
そう簡単には出ない。
発芽には時間がかかる。
だが、視界は別の問題を示していた。
『発芽阻害要因:
・種の老朽化
・夜間冷え込み
・昼夜温度差 “大”』
昼と夜の温度差が想定より大きい。
これは良くない。
俺は周囲を見渡し、
アズベルに声をかけた。
「防風の板を数枚用意してくれ。
夜間の冷え込みを少しでも抑えたい」
「了解した。
倉庫に余っていた木材で作れるはずだ」
マリアは別の点に気づいたようだ。
「布で覆う方法もあります。
陽が昇ったら外せば、湿気もこもりません」
「やろう」
次々と対策が決まり、
視界の表示が小さく上向いた。
『環境改善:成功
発芽率:わずかに上昇』
それでも──
まだ芽は出ない。
◇
三日目。
四日目。
変化なし。
セラの笑顔も、
日に日に固くなっていく。
五日目の朝。
夜明け前から区画の前に立ち、
土の表面を見つめたが──
「……まだ、出ない……」
地面は静かだった。
視界の表示が冷たく現れる。
『発芽:未確認
種の状態:劣化
次の判断:必要』
つまり、
そろそろ“成功率の壁”と向き合う頃だ。
俺は土に手を置き、静かに言った。
「──明日まで待つ。
それでも出なければ、新しい方法を考える」
セラが顔を上げた。
「新しい……方法?」
「ああ。
土の混ぜ方、水の量、温度管理……
どれかが足りていない可能性がある。
次に進む前に、全て洗い直す」
セラは深く頷いた。
「……はい。
諦めません」
視界の最後の表示は、
どこか希望に近いものだった。
『発芽可能性:低
だが “ゼロではない”』
小袋の種は、
ただの作物ではない。
領地の未来そのものだ。
その未来を掴むためなら、
何度でも挑めばいい。
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