第16話 試験栽培の開始と、“芽が出ない土”

試験区画は、畑の中でも最も土が柔らかくなった場所を選んだ。

昨日の夕方までに何度も耕し、

木灰の層と新しい土を混ぜ、ようやく“植えても良い状態”になった。


セラが布袋を胸の前で抱え、深呼吸した。


「……いきます。

 香り麦の種、植えますね」


「頼む」


袋の口を開くと、

黄金色の粒が指の上を転がり落ちる。


四十年眠っていた命──

その重さは、手のひらよりもずっと重かった。


セラは小さな穴を掘り、

一粒ずつ丁寧に土へ置いていく。


マリアが記録板に書き込みながら言う。


「今日植えるのは、全部で四十粒……。

 一つでも芽が出れば成功です」


アズベルは腕を組んだまま、畑を見守っている。


「四十年前の種が生きてるだけで奇跡だ。

 焦る必要はねぇさ」


視界に淡い文字が浮かぶ。


『発芽率:低

 成功条件:水分調整・温度安定

 補足:発芽まで“最低5日”』


すぐに結果は出ない。

むしろ、結果が出る前の五日間が最も神経のすり減る期間だ。



植え終わり、区画の表面が静かに均された。


セラが手を合わせ、祈るように呟く。


「……どうか、ひとつでも……」


村人たちも遠巻きに見守っていた。


水が戻り、土が動き出し、

ようやくこの地に希望の形が生まれた。


その象徴が、今、この土の中にある。


俺は水壺を持って進み、区画に薄く水を撒いた。


「これから五日間は、毎日“少量だけ”水をやる。

 やりすぎは駄目だ。土が固くなる」


セラが頷く。


「はい。

 気温も見ながら調整します」


視界の表示がわずかに揺れた。


『条件:適切

 土壌:回復継続

 芽の可能性:ほんのわずか上昇』


小さくても、確かに未来に向かって動いている。



翌朝──

俺はいつもより早く畑に向かった。


風の冷たさが増している。

夏と秋の境目のような空気だ。


試験区画に近づくと、

セラがすでにしゃがみ込んで土を見ていた。


声をかける。


「どうだ?」


「……まだです。

 土の色も、昨日と同じ」


そう簡単には出ない。

発芽には時間がかかる。


だが、視界は別の問題を示していた。


『発芽阻害要因:

 ・種の老朽化

 ・夜間冷え込み

 ・昼夜温度差 “大”』


昼と夜の温度差が想定より大きい。

これは良くない。


俺は周囲を見渡し、

アズベルに声をかけた。


「防風の板を数枚用意してくれ。

 夜間の冷え込みを少しでも抑えたい」


「了解した。

 倉庫に余っていた木材で作れるはずだ」


マリアは別の点に気づいたようだ。


「布で覆う方法もあります。

 陽が昇ったら外せば、湿気もこもりません」


「やろう」


次々と対策が決まり、

視界の表示が小さく上向いた。


『環境改善:成功

 発芽率:わずかに上昇』


それでも──

まだ芽は出ない。



三日目。

四日目。


変化なし。


セラの笑顔も、

日に日に固くなっていく。


五日目の朝。

夜明け前から区画の前に立ち、

土の表面を見つめたが──


「……まだ、出ない……」


地面は静かだった。


視界の表示が冷たく現れる。


『発芽:未確認

 種の状態:劣化

 次の判断:必要』


つまり、

そろそろ“成功率の壁”と向き合う頃だ。


俺は土に手を置き、静かに言った。


「──明日まで待つ。

 それでも出なければ、新しい方法を考える」


セラが顔を上げた。


「新しい……方法?」


「ああ。

 土の混ぜ方、水の量、温度管理……

 どれかが足りていない可能性がある。

 次に進む前に、全て洗い直す」


セラは深く頷いた。


「……はい。

 諦めません」


視界の最後の表示は、

どこか希望に近いものだった。


『発芽可能性:低

 だが “ゼロではない”』


小袋の種は、

ただの作物ではない。


領地の未来そのものだ。


その未来を掴むためなら、

何度でも挑めばいい。

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