第10話 英雄の矛先 ―それでも信じると決めたから―

王都軍本館――作戦会議室。


 レイモンド将軍の指先が、地図上へ滑る。

 その指先が止まった先は、リアンが生まれた辺境の村――アルド里。


「“森の心臓”周辺で魔獣の増殖が確認された」

「英雄リアン・ヴェイルに、討伐任務を命ずる」


 その言葉に、室内にいた全員が息を呑む。

 本来、未完成の英雄を単独で投入する事例など極めて異例だ。


「まだ制御は不完全です」

 監視官トラヴィスが静かに異を唱える。


「だからこそだ」


 レイモンドは不快げに言葉を切り捨てた。


「実戦の地で磨かせる。

 英雄とは、戦場でのみ“完成”する」


 その笑みは鋼のように冷え切っていた。

 誰が見ても分かる――

 これは試練ではなく、処刑だ。



 同刻。軍拘束施設。

 リアンは任務命令書を前に、力なく立ち尽くしていた。


「……帰れるのか」


 故郷へ。

 だが、それは安息ではなく血の匂いを孕む帰郷。


 心が揺れる。

 しかしその奥に、一つだけ揺るがぬ願いがあった。


(セリアに……もう一度、会いたい)


 この願いが、彼に歩む力を与えていた。

 もはや希望は、それだけだった。


「リアン、行くのね……?」


 背後から聞こえた声に、肩が震える。

 振り返ると、そこには――セリア。


 視界が一瞬、白くなった。


「どうして……来てくれなかったんだ」


 声は震えていた。

 心が、溢れていた。


「会いたくなかったわけじゃない」

「あなたを……傷つける存在になりたくなくて」


 セリアの瞳は揺れていた。

 その手は小さく、何度も何度も握り直されている。


「あなたは英雄。でもそれは……

 誰かが決めた英雄なんて、私は嫌」

「私は、リアンを信じたいの。どんな時でも」


 その言葉は、不器用で、真っ直ぐで、救いだった。


 胸が痛い。

 泣きたかった。


(信じてくれている……まだ)


 ただそれだけで、彼はまだ自分を保てた。


「セリア……ありがとう」


 言葉にした途端、魔力が静まっていく。

 両腕の白と黒が穏やかに脈動した。


(俺は……まだ戦える)



 ギルド本部の奥、

 薄暗い通路を一人の女が走る。


 副団長レーヴェと、サポーターのミラ。

 セリアの同志は、わずかに二人。


「本気で国に逆らうつもりかい?」

 ミラが笑う。その笑みは苦い。


「逆らうんじゃない」

「リアンの心を、ただ守りたいだけ」


 その声音には確かな決意が宿っていた。


「彼は、人間なのよ。

 武器じゃない」


 その信念を、もう誰にも折らせない。



 一方、英雄監視室。


 リアンの任務情報を写す水鏡が揺れる。

 幹部たちは沈黙しながら画面を見つめていた。


「英雄は国の顔。

 見せしめにもなるということだ」


 レイモンドが呟く。


「もう逃げ道はない」

「少年には、英雄であること以外を選ばせない」


 その言葉は枷となり、

 少年の運命に絡みつく。



 軍の車両が王都門を抜けていく。

 リアンは振り返り、一つだけ言葉を置いた。


「絶対に、生きて帰る」


 その言葉は誓い。

 同時に、自分自身への命令。


 彼はまだ幼い。

 だが、もう決して弱くない。


 彼の矛先は――

 自分を奪おうとする世界そのものへ向けられていた。


 たった一つ。

 信じてくれる存在のために。

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