黒の残響 ― 森の外の罪 ―

第1話 追われる英雄 ― 森喰らいの烙印 ―

朝靄に包まれた王都エルファレスト。

 その城壁の上空を、一羽の黒鴉が鋭く鳴き渡る。


 まだ夜明けの色を引きずる空。

 街路には人々のざわめきが戻りつつあるが、その中に潜む不穏なものに、誰も気づいてはいなかった。


 王都ギルド本部――その最奥の会議室。

 重い扉が閉じられ、内部には緊迫した空気が満ちていた。


「本当に間違いないのか? あの少年が……」


 ギルドの壮年幹部が低く問う。

 机の上に広げられた報告書には、黒い紋様の描かれた腕の絵と、血の月の下で暴走しかけた少年の姿が克明に記録されていた。


「『森喰らい』――古文書に記される災厄の器。

 それが少年リアンの内に再現されたと断じるしかありません。」


 魔術師団代表は震える声で答える。

 彼らは誰よりも知っている。

 それが何を意味するかを。


「――討伐対象に指定すべきだ」


 その言葉に室内が固まる。

 沈黙が重く落ちた。


「待て。彼は結果として森の異変を鎮めた英雄だ。」

「英雄? 笑わせるな。災厄の種を抱えて帰ってきた“危険物”だ!」


 議論は割れた。

 だが最終的に、一人の人物が静かに結論を告げる。


「捕獲し、拘束する。

 力を暴走させれば処分する。

 ――これは人の国を守るための判断だ。」


 決定が下されると同時に、王都の朝日は昇った。

 それは一見、穏やかな光。

 しかし――少年を包むのは、追われる影の始まりだった。



 一方、郊外の古い家。

 リアンは目覚めたばかりの身体に重い疲労を感じながら、静かに窓の外を眺めていた。


 手元には、例の二本のダガー。

 淡く光る刃を見つめると、胸の奥に鈍い痛みが走る。


「……俺は、何者なんだ?」


 英雄を夢見たはずだった。

 幼い頃に見た、憧れの英雄譚。

 セリアと競い合い、強くなると誓った。


 それなのに。


 あの夜、自分は確かに“あちら側”に触れた。

 守るために振るった刃が、森と同じ脈動を求めた。

 血の月に照らされ、暴走の淵で踊った。


「守れるって……本当に、言えるのか?」


 自問しても答えは出ない。

 ただ腕の下に潜む黒い記憶が、脈打つだけ。


 コンコン……


 扉が叩かれた。

 驚いて振り返ると、セリアが立っていた。

 その瞳は優しく、それでいて深い不安をたたえていた。


「大丈夫……じゃないよね。昨日のこと、全部……」


「あぁ。覚えてるよ。」


 それが、より彼を苦しめた。


「リアン、あなたは――危険なんかじゃない。

 あなたは、私が誰よりも信じる……」


 言いかけたところで、家の外が騒がしくなる。

 甲冑の重い足音。

 ギルド兵士の声。


「少年リアンに告ぐ!

 王都ギルドは貴様を拘束対象と認定した!

 速やかに投降しろ!!」


 現実が、無慈悲に侵入してきた。


「そんな……本気で……?」

 セリアの声が震える。


 リアンはゆっくり立ち上がった。

 胸に手を当て、息を吸い込む。


「いいんだ、セリア。

 ――俺は、きっと間違っている。」


「違う! 間違ってなんかない!」


「でも、それを証明できるのは……俺しかいない。」


 恐怖は、あった。

 けれど――それ以上に、決意があった。


 英雄を夢見た少年は今、

 英雄であることを証明する戦いへと踏み出す。


 扉に手をかける。

 外の光が差し込む。


「俺は逃げない。

 俺は……俺の強さが何のためにあるのか、示すんだ。」


 血の月は消えた。

 だが、試練の影は今、彼を追い始める。


 英雄の道は――いつだって、孤独だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る