第30話 青朽葉

 電車の到着を告げるベルが、ひときわ寂しく響いた。

 十一月の森は、もうすっかり冬の入口。

 山の木々は葉を落とし、

 残るわずかな葉が、青朽葉のような色をして風に揺れていた。


 奈月は駅のホームに立ち、息を白くした。

 指先まで冷えて、スカーフの中に顔をうずめる。

 線路の向こうには、低い山影と、古びた踏切。

 遠くの空が曇り始めている。


 「……寒いね」

 声をかけてきたのは、向かい側に立つ遥だった。

 相変わらず背が高くて、

 黒のコートがよく似合う。


 「うん。まさか、ここで会うなんて思わなかった」

 「私も。まるで、待ち合わせしたみたい」


 笑い合うけれど、その笑顔の奥には

 どこか気まずい影があった。

 最後に会ったのは、半年前。

 小さな喧嘩のあと、連絡を絶ってしまった。


 「この辺り、まだ紅葉が残ってるんだね」

 「うん。……でも、もうすぐ全部散る」

 風が吹く。

 青朽葉色の葉がひらりと舞い、

 ふたりの間をすり抜けていった。


 「ねぇ、奈月」

 「なに?」

 「ずっと気になってた。あの日、言い過ぎたこと」

 「もういいよ。私も言い返したし」

 「でも、ちゃんと謝りたかった」


 遥の声は、どこか震えていた。

 奈月は小さく首を振る。

 「私も。……本当は、ずっと後悔してた」


 電車の音が近づいてくる。

 ホームの端で、点滅するライト。

 「もう行くね」と奈月は言った。


 「どこへ?」

 「仕事の転勤。明日には引っ越す」

 「……そうなんだ」

 遥の顔に、一瞬、影が落ちる。


 「それで、今日ここに来たの」

 「最後に、見ておきたかった?」

 「うん。この駅、昔あなたとよく来たから」


 ふたりで線路脇のベンチに座った日のことを思い出す。

 秋の風が少し冷たくなり始めて、

 缶コーヒーの湯気が白く揺れていた。


 あのとき、遥が言った。

 「好きって、簡単に言えないけど、

  奈月といる時間がいちばん落ち着く」

 その言葉を、奈月はずっと胸の奥で反芻していた。


 ――結局、それ以上は何も言わず、

 時だけが静かに過ぎていった。


 電車がホームに滑り込んできた。

 鉄の音が、冷たい空気を震わせる。

 奈月は鞄を持ち直し、遥を見た。


 「……ありがとう。来てくれて」

 「こっちこそ。……元気で」


 それだけ言って、ふたりは微笑んだ。

 けれど、その笑顔の裏で、

 なにかが確かに痛んでいた。


 ドアが閉まる。

 電車がゆっくりと動き出す。


 窓の向こうに見えた遥が、

 ポケットから何かを取り出した。

 それは、青朽葉色の小さなスカーフ。

 奈月が去年の冬に贈ったものだった。


 彼女はそれを、

 そっと首に巻いて、笑った。


 その笑顔が揺れて、

 やがて見えなくなった。


 奈月は頬に触れる風の中で、

 かすかにその色を思い出していた。


 ――褪せゆくようでいて、

 まだどこか、青の光を宿している。


 それはまるで、

 終わりの中で生まれ直す恋のようだった。

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