第13話 鋼鉄の騎士と、涙が呼び寄せる試練

ギルドの扉をくぐった瞬間、夕暮れの喧噪が少しだけ遠のいた。


「君か。アレン・クロフト」


 背筋に、冷たい刃みたいな声が走る。


 振り向くと、銀の胸当てと紺のマント、真っ直ぐな長剣。


 陽の名残を映す鋼のような青い瞳が、真っ直ぐ俺を射抜いていた。


(うわ、本物だ……)


 ギルドで何度か見かけた、フロンティアの治安維持を担う若き騎士団長。噂のエリート。


「……はい。アレン・クロフトです」


「エルザ・シュタインだ」


 名乗りは短く、無駄がない。


 彼女の視線が一瞬、俺の胸元――【アイテムボックス】と仮身分証に落ち、それから表情ひとつ変えず顔へ戻る。


「少し、話がある。時間は取れるか」


「今から宿に戻るところでしたけど……大丈夫です」


「ここでは人目が多い。付いて来い」


 命令形。拒否権ゼロ。


(あー……完全に“事情聴取ルート”ですね)


 逃げても印象が悪くなるだけだ。俺は素直に、その背中を追った。



 案内されたのは、ギルド脇の訓練用の裏庭だった。


 木人と砂場。今は夕刻で、騎士の姿もほとんどない。門番だけが遠巻きにこちらを見ている。


「ここならいいだろう」


 エルザさんは足を止めると、いきなり核心を突いてきた。


「単刀直入に問う。――君の【アイテムボックス】は、普通の収納スキルではないな?」


「……」


 おおう、ストレート。


 誤魔化すか、一瞬迷う。


(この目の前の人相手に適当な嘘ついたら、一発で“敵”扱いされますよね)


 ギルドとの仮契約には「詳細秘匿」も含まれている。でも「普通です」はさすがに無理がある。


「“普通”の基準がどこか分かりませんけど……荷物の出し入れは、ちょっと得意です」


「得意、ね」


 エルザさんの口元が、わずかに動いた。笑ってはいない。


「ギルド記録と依頼報告は確認した。初日で薬草採取の異常な成果。輸送護衛では、荷馬車数台分の荷を劣化なしで一人で運搬。商人組合からも“別格”と報告がある」


「頑張りました」


「褒めてはいない」


 ぴしゃり。


「君の能力は、“有能”で済む範囲を超えている。軍の補給線を、一人で代替し得る力だ」


(やっぱりこの人も、そこに行きつきますよね)


 カイにも言われた話だ。物流。兵站。戦争。


 俺が「便利」で片付けていた部分を、彼女は最初から「軍事バランス」で見ている。


「質問を変える」


 一歩、距離を詰められる。視線の圧が増した。


「君は、自分の力がどれほど危ういものか、自覚しているか?」


「……多少は」


「“多少”では足りない」


 切り捨てるような声。


「規格外の力に酔い、街を巻き込む惨禍を招いた者を、私は何人も見てきた。強すぎる魔術師、自分を英雄だと信じ込んだ召喚者、己の奇跡を万能だと思い込んだ治癒師」


 そこで、ほんの一瞬だけ彼女の瞳が揺れた。


「かつてこの街にいた治癒師は、人を生き返らせようとして禁忌を犯し、アンデッドを生んだ。制御できぬ“奇跡”は災厄だ。私は部下を、それで失った」


 淡々とした口調の奥に、色濃い怒りと悔しさ。


(……本当に、見てきたんだ)


「力は、正しく管理されて初めて価値を持つ。野放しの力は、ただの災害だ」


「俺は、災害になるつもりは――」


「“つもり”の問題ではない」


 冷たい青が、俺を縫いとめる。


「ギルドは君を“保護対象”として扱っているが、同時に“潜在的危険物”としても見ている。私はそれを公的に認める立場だ」


「危険物扱い、ですか」


 苦笑が漏れそうになる。


 祟り、元凶、穢れ。


 村で貼られたラベルと、言葉が違うだけで中身は似ている。


「だからこそ命じる。君のスキルの詳細を開示し、今後はギルドと騎士団の監督下で活動すること。それが、この街で暮らす最低限の責任だ」


「つまり……鎖につながれてろ、ってことですよね」


「秩序のための枷だ」


(やっぱり、そう来ますか)


 よく分からない力は怖い。だから手綱をつけたい――理屈は理解できる。


 でも。


「それは、お断りします」


 はっきり言った。


 エルザさんの目が細くなる。


「理由は」


「俺の力は、俺が守りたいもののために使います。全部話して、全部預けて、“はいそうですか”って管理されるためのものじゃない」


「……愚かだな」


 切り捨てるように吐かれる。


「君は自分の価値も危険性も正確に理解していない。その無自覚さが、いずれ君自身と、“守りたいもの”を破滅させるぞ」


「それでも、選ぶのは俺です」


「選択の結果が他者を巻き込むから問題なのだ」


 平行線。分かり合える気配ゼロ。


 そこまで言って、彼女は懐から封書を取り出した。


 ギルドと騎士団、二つの紋章の封蝋。


「君の意思に関わらず、暫定規定は通達される。内容は三点」


 淡々と読み上げる。


「一つ。街外で高危険度と分類される依頼への単独参加を禁止。必ずギルドが認めたパーティ、または監視役を同行させること」


「……妥当ですね」


「二つ。スキルの詳細な性質を公然と喧伝しないこと。軍事・経済バランスを大きく乱す行為が確認された場合、事情聴取および拘束の可能性あり」


「それも、自分のために守ります」


「三つ。呪い、大規模な魔物の異常、その他“異常な現象”を認識した場合は、独断で対処せず、必ずギルドと騎士団に報告すること」


 最後の一文に、心臓がひゅっと鳴った。


(呪い……)


 昨日、丘で薬草を摘んだ時。さっき街の外を見た時。


 【アイテムボックス】が告げた“負の価値”のざらつきが、頭をよぎる。


「以上だ。異議は?」


「……ないです。全部、元々そうするつもりでしたし」


 監視という言葉は気に入らないが、中身自体は常識的だ。


「そう言うならいい」


 エルザさんは封書を押し付けてくる。


「勘違いするな。私は君を信用していない。ギルドが庇護対象と判断したから、今すぐ拘束していないだけだ」


「はい」


「だからこそ、行動で示せ。君の力が、“脅威”ではなく“盾”たり得ると、私に証明しろ」


 真正面からの要求。


 俺は一拍おいて、素直に頷いた。


「機会があれば、そうします」


「機会など――」


 言いかけた瞬間。


「エルザ団長! ここにいらしたのですね!」


 ギルドの方から、切羽詰まった声。


 振り返ると、扉が勢いよく開き、緑のローブを翻した細身の影が駆けてきた。


 長い尖った耳。橙色の髪。翡翠色の瞳。


 エルフの女性だ。


 彼女は荒い息のままエルザさんの前で立ち止まり、その視線がすぐに俺へと流れ――一瞬、はっと目を見開いた。


 だが、今はそれどころではないというように、エルザさんへ縋る。


「お願いです……エルザ様……!」


「落ち着け。何があった」


「森が……私たちの里が、“呪い”に蝕まれています……!」


 周囲の空気がぴん、と張り詰める。


「仲間たちが、次々と“石”に……! 原因も分からない“石化の呪い”が広がって、このままでは、皆――!」


 言葉が震え、涙がこぼれ落ちる。


「ギルドには何度も書状を送りました。でも、“危険すぎる”“エルフ領には深入りできない”と……誰も来てくれなくて……!」


 その悲痛さに、エルザさんの眉がわずかに寄った。


「……“蝕まれし森”か」


 小さく呟かれたその名前に、ギルドの入り口から顔を出した職員たちがざわつく。


「マスターを呼べ!」


「は、はいっ!」


 職員が駆け戻っていく。


 俺の胸の奥で、ひゅう、と冷たい風が吹いたような感覚。


 北東の森の方角から、あの“負の価値”のざらつきがはっきりと伝わってくる。


(やっぱり……あれ、だ)


 エルザさんが気づいたように、ちらりと俺を見る。


 監視の目ではない。判断を測る視線。


 そこへ、慌ただしくギルドマスターが現れた。


「騒がしいと思えば……これは、エルフのお嬢さん?」


 エルフの女性――シルフィが、縋るように顔を上げる。


「ギルドマスター……! 書状をお送りしたのは私です……! どうか、今度こそお力を……!」


 マスターは苦い顔をした。本物の困り顔だ。


「事情は聞いている。しかし、エルフ領の奥地に人間の戦力を大規模に送り込むのは、外交上も難しくてね……」


「そんな理屈より、命が先でしょう!」


 シルフィが叫ぶ。


「石になった仲間たちは、日に日にひび割れが広がって……このままでは砕けてしまいます……!」


 その声は限界ぎりぎりの悲鳴だった。


 マスターは黙り込み、次にエルザさんを見やる。


「エルザ君。どう見る?」


「放置すれば“蝕まれし森”は拡大し、いずれフロンティア周辺にまで呪いが及ぶ危険があります」


 エルザさんの声は冷静だが、その内容は重い。


「ただ、森の奥は危険度が高い。正面から大部隊を送り込めば、被害は避けられないでしょう」


「ふむ」


 マスターの視線が、そこで俺に止まる。


「そして、ここに一人、“特殊な器”がいる」


(はい、雑な振りいただきました)


 内心でツッコむ余裕は、少しだけあった。


 シルフィも、その視線に釣られて俺を見る。


 潤んだ瞳が、驚きと期待に揺れる。


「あ……あなたが……“奇跡のポーション”を……?」


「えっと……アレン・クロフトです」


 名乗ると、彼女は一歩近づきかけ――足元がふらりと揺らぎ、その場に膝をついた。


「お願いします……!」


 床についた手が震えている。


「どうか、私たちの仲間を……森を、助けてください!」


 大粒の涙が、石畳に落ちて小さな染みを作る。


「『石化の呪い』は、もう限界なのです……!」


 俺は思わず息を呑んだ。


 リリアの顔が一瞬、重なる。


 守れなかった過去。


(今度は……目の前で、見て見ぬふりなんてできない)


 そんな俺の心の動きを見透かしたように、ギルドマスターが静かに言葉を継いだ。


「して、アレン君。呪いと蝕まれた森の話を聞いて、どう思うかね?」


「……放っておけないと思います」


 迷いながらも、本音が口をついて出る。


「でも、俺一人でどうにかできるとも思っていません。危険度も分からない場所に、無策で突っ込む気はないです」


「実に賢明だ」


 マスターは頷き、わざとらしく咳払いした。


「ならば条件を整えよう。これは“エルフの問題”であると同時に、“この街の安全保障”でもある。なおかつ――」


 意味ありげに俺を見る。


「君の力が“脅威”か“盾”かを見極める、ちょうどいい試金石にもなる」


 エルザさんの青い瞳が、細く光る。


「監視役として、私も同行する」


 即答だ。


 シルフィが息を呑み、希望の色を取り戻す。


「カイ君あたりも、どうせ面白がって付いて来るだろうしね」


 マスターがぼそっと付け足す。


(さらっと既定路線みたいに決めますねこの人……)


 内心ツッコみつつも、俺はシルフィの必死な視線から目を逸らせない。


「アレンさん……!」


 彼女は膝をついたまま、深く頭を下げる。


「どうか、あなたの力を……“星喰いの器”の力を、私たちに……!」


 ゾクリ、と背筋が震えた。


 耳慣れたはずの言葉。


 古文書に記されていた、『小さき器は星を喰らう』。


(なんで、その名前を――)


「“星喰いの器”?」


 思わず聞き返すと、シルフィは涙に滲んだ瞳で頷いた。


「森の古い伝承にあります。“価値あるものも、災いすら喰らう器”が現れた時、森を蝕む呪いはその器に飲まれて消える、と……。あなたが作ったポーションの噂を聞いて……その輝きは伝承と同じだと」


 ギルドホールの連中のからかい半分のあだ名じゃない。


 エルフの里に伝わる、本物の伝承。


 ギルドマスターとエルザさんも、わずかに表情を変えた。


「星喰い、ね……」


 マスターが面白そうに呟く。


 エルザさんは一度俺を見てから、短く言う。


「マスター。条件付きでの派遣を提案する。監視役として私が同行し、ギルドも正式依頼として扱う。その範囲でなら、治安騎士団としても承認できる」


「うむ。その線だろうと思っていた」


 マスターは頷き、改めて俺を見る。


「アレン君。蝕まれし森への救援隊に参加してもらう。危険はあるが、当然、準備と監視は付ける。断るかね?」


 断る、という選択肢を丁寧な言葉で消してくる大人の技。


 だけど、俺の答えはもう決まっていた。


「……分かりました」


 腹を括る。


「できる限りのことはします。ただし、無茶はしません。俺も、生きて帰らなきゃいけない理由があるので」


「当然だ」


 エルザさんがきっぱり言う。


「私も無謀な英雄ごっこに付き合う気はない。現実的な手段で、可能な範囲で救う。それが前提だ」


 シルフィが、涙の中で何度も頷く。


「ありがとうございます、本当に……!」


 ギルドマスターは満足げに手を打った。


「では詳細は中で詰めよう。エルザ君は監視兼護衛。シルフィさんは案内役。カイ君も……まあ、もう聞いているだろう」


「もちろん、最前列でな」


 いつからそこにいたのか、柱の影からカイが顔を出してニヤリと笑った。


「いやぁ、やっと“面白くなってきた”な、旦那」


「盗み聞きは良くないですよ、カイさん」


「情報屋の基本スキルだ。気にすんな」


 軽口を挟みつつも、その目は真剣だった。



「最後に、一つだけ確認してもいいですか」


 ギルドへ戻る前に、俺はマスターとエルザさんを見た。


「この依頼で、俺が“危険物”じゃなく、“役に立つ方”だって証明できたら……扱い、少しはマシになりますか?」


 エルザさんはわずかに目を見開き、それから真っ直ぐ頷く。


「結果次第だ。私が自分の目で判断する」


 マスターも口元を緩めた。


「ギルドとしても、“野良の災厄”より“味方の切り札”の方が好ましい。君次第だよ、星を喰らう器の持ち主君」


 胸の奥で、【アイテムボックス】が静かに脈打つ。


 呪い。


 蝕まれし森。


 石化の仲間。


 そして、“負の価値”をも喰らえる器。


(……これは、多分、避けちゃいけない)


 北東の空の端が、ほんの一瞬だけ黒く瞬いた気がした。


 鋼鉄の騎士の警戒と、エルフの涙の懇願と、ギルドの打算と、情報屋の好奇。


 それぞれの思惑が絡む中で、俺は静かに息を吸い込んだ。


「行きましょう。ちゃんと準備して」


 守りたいもののために。


 そして、俺自身が何者なのかを示すために。

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