第13話 鋼鉄の騎士と、涙が呼び寄せる試練
ギルドの扉をくぐった瞬間、夕暮れの喧噪が少しだけ遠のいた。
「君か。アレン・クロフト」
背筋に、冷たい刃みたいな声が走る。
振り向くと、銀の胸当てと紺のマント、真っ直ぐな長剣。
陽の名残を映す鋼のような青い瞳が、真っ直ぐ俺を射抜いていた。
(うわ、本物だ……)
ギルドで何度か見かけた、フロンティアの治安維持を担う若き騎士団長。噂のエリート。
「……はい。アレン・クロフトです」
「エルザ・シュタインだ」
名乗りは短く、無駄がない。
彼女の視線が一瞬、俺の胸元――【アイテムボックス】と仮身分証に落ち、それから表情ひとつ変えず顔へ戻る。
「少し、話がある。時間は取れるか」
「今から宿に戻るところでしたけど……大丈夫です」
「ここでは人目が多い。付いて来い」
命令形。拒否権ゼロ。
(あー……完全に“事情聴取ルート”ですね)
逃げても印象が悪くなるだけだ。俺は素直に、その背中を追った。
◇
案内されたのは、ギルド脇の訓練用の裏庭だった。
木人と砂場。今は夕刻で、騎士の姿もほとんどない。門番だけが遠巻きにこちらを見ている。
「ここならいいだろう」
エルザさんは足を止めると、いきなり核心を突いてきた。
「単刀直入に問う。――君の【アイテムボックス】は、普通の収納スキルではないな?」
「……」
おおう、ストレート。
誤魔化すか、一瞬迷う。
(この目の前の人相手に適当な嘘ついたら、一発で“敵”扱いされますよね)
ギルドとの仮契約には「詳細秘匿」も含まれている。でも「普通です」はさすがに無理がある。
「“普通”の基準がどこか分かりませんけど……荷物の出し入れは、ちょっと得意です」
「得意、ね」
エルザさんの口元が、わずかに動いた。笑ってはいない。
「ギルド記録と依頼報告は確認した。初日で薬草採取の異常な成果。輸送護衛では、荷馬車数台分の荷を劣化なしで一人で運搬。商人組合からも“別格”と報告がある」
「頑張りました」
「褒めてはいない」
ぴしゃり。
「君の能力は、“有能”で済む範囲を超えている。軍の補給線を、一人で代替し得る力だ」
(やっぱりこの人も、そこに行きつきますよね)
カイにも言われた話だ。物流。兵站。戦争。
俺が「便利」で片付けていた部分を、彼女は最初から「軍事バランス」で見ている。
「質問を変える」
一歩、距離を詰められる。視線の圧が増した。
「君は、自分の力がどれほど危ういものか、自覚しているか?」
「……多少は」
「“多少”では足りない」
切り捨てるような声。
「規格外の力に酔い、街を巻き込む惨禍を招いた者を、私は何人も見てきた。強すぎる魔術師、自分を英雄だと信じ込んだ召喚者、己の奇跡を万能だと思い込んだ治癒師」
そこで、ほんの一瞬だけ彼女の瞳が揺れた。
「かつてこの街にいた治癒師は、人を生き返らせようとして禁忌を犯し、アンデッドを生んだ。制御できぬ“奇跡”は災厄だ。私は部下を、それで失った」
淡々とした口調の奥に、色濃い怒りと悔しさ。
(……本当に、見てきたんだ)
「力は、正しく管理されて初めて価値を持つ。野放しの力は、ただの災害だ」
「俺は、災害になるつもりは――」
「“つもり”の問題ではない」
冷たい青が、俺を縫いとめる。
「ギルドは君を“保護対象”として扱っているが、同時に“潜在的危険物”としても見ている。私はそれを公的に認める立場だ」
「危険物扱い、ですか」
苦笑が漏れそうになる。
祟り、元凶、穢れ。
村で貼られたラベルと、言葉が違うだけで中身は似ている。
「だからこそ命じる。君のスキルの詳細を開示し、今後はギルドと騎士団の監督下で活動すること。それが、この街で暮らす最低限の責任だ」
「つまり……鎖につながれてろ、ってことですよね」
「秩序のための枷だ」
(やっぱり、そう来ますか)
よく分からない力は怖い。だから手綱をつけたい――理屈は理解できる。
でも。
「それは、お断りします」
はっきり言った。
エルザさんの目が細くなる。
「理由は」
「俺の力は、俺が守りたいもののために使います。全部話して、全部預けて、“はいそうですか”って管理されるためのものじゃない」
「……愚かだな」
切り捨てるように吐かれる。
「君は自分の価値も危険性も正確に理解していない。その無自覚さが、いずれ君自身と、“守りたいもの”を破滅させるぞ」
「それでも、選ぶのは俺です」
「選択の結果が他者を巻き込むから問題なのだ」
平行線。分かり合える気配ゼロ。
そこまで言って、彼女は懐から封書を取り出した。
ギルドと騎士団、二つの紋章の封蝋。
「君の意思に関わらず、暫定規定は通達される。内容は三点」
淡々と読み上げる。
「一つ。街外で高危険度と分類される依頼への単独参加を禁止。必ずギルドが認めたパーティ、または監視役を同行させること」
「……妥当ですね」
「二つ。スキルの詳細な性質を公然と喧伝しないこと。軍事・経済バランスを大きく乱す行為が確認された場合、事情聴取および拘束の可能性あり」
「それも、自分のために守ります」
「三つ。呪い、大規模な魔物の異常、その他“異常な現象”を認識した場合は、独断で対処せず、必ずギルドと騎士団に報告すること」
最後の一文に、心臓がひゅっと鳴った。
(呪い……)
昨日、丘で薬草を摘んだ時。さっき街の外を見た時。
【アイテムボックス】が告げた“負の価値”のざらつきが、頭をよぎる。
「以上だ。異議は?」
「……ないです。全部、元々そうするつもりでしたし」
監視という言葉は気に入らないが、中身自体は常識的だ。
「そう言うならいい」
エルザさんは封書を押し付けてくる。
「勘違いするな。私は君を信用していない。ギルドが庇護対象と判断したから、今すぐ拘束していないだけだ」
「はい」
「だからこそ、行動で示せ。君の力が、“脅威”ではなく“盾”たり得ると、私に証明しろ」
真正面からの要求。
俺は一拍おいて、素直に頷いた。
「機会があれば、そうします」
「機会など――」
言いかけた瞬間。
「エルザ団長! ここにいらしたのですね!」
ギルドの方から、切羽詰まった声。
振り返ると、扉が勢いよく開き、緑のローブを翻した細身の影が駆けてきた。
長い尖った耳。橙色の髪。翡翠色の瞳。
エルフの女性だ。
彼女は荒い息のままエルザさんの前で立ち止まり、その視線がすぐに俺へと流れ――一瞬、はっと目を見開いた。
だが、今はそれどころではないというように、エルザさんへ縋る。
「お願いです……エルザ様……!」
「落ち着け。何があった」
「森が……私たちの里が、“呪い”に蝕まれています……!」
周囲の空気がぴん、と張り詰める。
「仲間たちが、次々と“石”に……! 原因も分からない“石化の呪い”が広がって、このままでは、皆――!」
言葉が震え、涙がこぼれ落ちる。
「ギルドには何度も書状を送りました。でも、“危険すぎる”“エルフ領には深入りできない”と……誰も来てくれなくて……!」
その悲痛さに、エルザさんの眉がわずかに寄った。
「……“蝕まれし森”か」
小さく呟かれたその名前に、ギルドの入り口から顔を出した職員たちがざわつく。
「マスターを呼べ!」
「は、はいっ!」
職員が駆け戻っていく。
俺の胸の奥で、ひゅう、と冷たい風が吹いたような感覚。
北東の森の方角から、あの“負の価値”のざらつきがはっきりと伝わってくる。
(やっぱり……あれ、だ)
エルザさんが気づいたように、ちらりと俺を見る。
監視の目ではない。判断を測る視線。
そこへ、慌ただしくギルドマスターが現れた。
「騒がしいと思えば……これは、エルフのお嬢さん?」
エルフの女性――シルフィが、縋るように顔を上げる。
「ギルドマスター……! 書状をお送りしたのは私です……! どうか、今度こそお力を……!」
マスターは苦い顔をした。本物の困り顔だ。
「事情は聞いている。しかし、エルフ領の奥地に人間の戦力を大規模に送り込むのは、外交上も難しくてね……」
「そんな理屈より、命が先でしょう!」
シルフィが叫ぶ。
「石になった仲間たちは、日に日にひび割れが広がって……このままでは砕けてしまいます……!」
その声は限界ぎりぎりの悲鳴だった。
マスターは黙り込み、次にエルザさんを見やる。
「エルザ君。どう見る?」
「放置すれば“蝕まれし森”は拡大し、いずれフロンティア周辺にまで呪いが及ぶ危険があります」
エルザさんの声は冷静だが、その内容は重い。
「ただ、森の奥は危険度が高い。正面から大部隊を送り込めば、被害は避けられないでしょう」
「ふむ」
マスターの視線が、そこで俺に止まる。
「そして、ここに一人、“特殊な器”がいる」
(はい、雑な振りいただきました)
内心でツッコむ余裕は、少しだけあった。
シルフィも、その視線に釣られて俺を見る。
潤んだ瞳が、驚きと期待に揺れる。
「あ……あなたが……“奇跡のポーション”を……?」
「えっと……アレン・クロフトです」
名乗ると、彼女は一歩近づきかけ――足元がふらりと揺らぎ、その場に膝をついた。
「お願いします……!」
床についた手が震えている。
「どうか、私たちの仲間を……森を、助けてください!」
大粒の涙が、石畳に落ちて小さな染みを作る。
「『石化の呪い』は、もう限界なのです……!」
俺は思わず息を呑んだ。
リリアの顔が一瞬、重なる。
守れなかった過去。
(今度は……目の前で、見て見ぬふりなんてできない)
そんな俺の心の動きを見透かしたように、ギルドマスターが静かに言葉を継いだ。
「して、アレン君。呪いと蝕まれた森の話を聞いて、どう思うかね?」
「……放っておけないと思います」
迷いながらも、本音が口をついて出る。
「でも、俺一人でどうにかできるとも思っていません。危険度も分からない場所に、無策で突っ込む気はないです」
「実に賢明だ」
マスターは頷き、わざとらしく咳払いした。
「ならば条件を整えよう。これは“エルフの問題”であると同時に、“この街の安全保障”でもある。なおかつ――」
意味ありげに俺を見る。
「君の力が“脅威”か“盾”かを見極める、ちょうどいい試金石にもなる」
エルザさんの青い瞳が、細く光る。
「監視役として、私も同行する」
即答だ。
シルフィが息を呑み、希望の色を取り戻す。
「カイ君あたりも、どうせ面白がって付いて来るだろうしね」
マスターがぼそっと付け足す。
(さらっと既定路線みたいに決めますねこの人……)
内心ツッコみつつも、俺はシルフィの必死な視線から目を逸らせない。
「アレンさん……!」
彼女は膝をついたまま、深く頭を下げる。
「どうか、あなたの力を……“星喰いの器”の力を、私たちに……!」
ゾクリ、と背筋が震えた。
耳慣れたはずの言葉。
古文書に記されていた、『小さき器は星を喰らう』。
(なんで、その名前を――)
「“星喰いの器”?」
思わず聞き返すと、シルフィは涙に滲んだ瞳で頷いた。
「森の古い伝承にあります。“価値あるものも、災いすら喰らう器”が現れた時、森を蝕む呪いはその器に飲まれて消える、と……。あなたが作ったポーションの噂を聞いて……その輝きは伝承と同じだと」
ギルドホールの連中のからかい半分のあだ名じゃない。
エルフの里に伝わる、本物の伝承。
ギルドマスターとエルザさんも、わずかに表情を変えた。
「星喰い、ね……」
マスターが面白そうに呟く。
エルザさんは一度俺を見てから、短く言う。
「マスター。条件付きでの派遣を提案する。監視役として私が同行し、ギルドも正式依頼として扱う。その範囲でなら、治安騎士団としても承認できる」
「うむ。その線だろうと思っていた」
マスターは頷き、改めて俺を見る。
「アレン君。蝕まれし森への救援隊に参加してもらう。危険はあるが、当然、準備と監視は付ける。断るかね?」
断る、という選択肢を丁寧な言葉で消してくる大人の技。
だけど、俺の答えはもう決まっていた。
「……分かりました」
腹を括る。
「できる限りのことはします。ただし、無茶はしません。俺も、生きて帰らなきゃいけない理由があるので」
「当然だ」
エルザさんがきっぱり言う。
「私も無謀な英雄ごっこに付き合う気はない。現実的な手段で、可能な範囲で救う。それが前提だ」
シルフィが、涙の中で何度も頷く。
「ありがとうございます、本当に……!」
ギルドマスターは満足げに手を打った。
「では詳細は中で詰めよう。エルザ君は監視兼護衛。シルフィさんは案内役。カイ君も……まあ、もう聞いているだろう」
「もちろん、最前列でな」
いつからそこにいたのか、柱の影からカイが顔を出してニヤリと笑った。
「いやぁ、やっと“面白くなってきた”な、旦那」
「盗み聞きは良くないですよ、カイさん」
「情報屋の基本スキルだ。気にすんな」
軽口を挟みつつも、その目は真剣だった。
◇
「最後に、一つだけ確認してもいいですか」
ギルドへ戻る前に、俺はマスターとエルザさんを見た。
「この依頼で、俺が“危険物”じゃなく、“役に立つ方”だって証明できたら……扱い、少しはマシになりますか?」
エルザさんはわずかに目を見開き、それから真っ直ぐ頷く。
「結果次第だ。私が自分の目で判断する」
マスターも口元を緩めた。
「ギルドとしても、“野良の災厄”より“味方の切り札”の方が好ましい。君次第だよ、星を喰らう器の持ち主君」
胸の奥で、【アイテムボックス】が静かに脈打つ。
呪い。
蝕まれし森。
石化の仲間。
そして、“負の価値”をも喰らえる器。
(……これは、多分、避けちゃいけない)
北東の空の端が、ほんの一瞬だけ黒く瞬いた気がした。
鋼鉄の騎士の警戒と、エルフの涙の懇願と、ギルドの打算と、情報屋の好奇。
それぞれの思惑が絡む中で、俺は静かに息を吸い込んだ。
「行きましょう。ちゃんと準備して」
守りたいもののために。
そして、俺自身が何者なのかを示すために。
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