EP 24

市場経済崩壊(プライス・デストラクション)

「リベラ先生! お腹すいたー!」

「今日の給食、また固いパンなのー?」

帝都スラム地区、『天使の相談所』。

昼時、リベラは子供たちの無邪気な、しかし切実な訴えに心を痛めていた。

ゴルド商会からの資金(と、佐藤の私費による補填)で、最低限の食事は提供できている。だが、先日のザクス事件の混乱で物流が滞り、帝都の野菜価格は高騰中。新鮮なサラダや果物など、スラムの子供たちには夢のまた夢だった。

「ごめんね、みんな……。佐藤さんが『予算はカツカツだ』って、財布の紐を締め上げてて……」

リベラが溜息をついていると、

「あらあら。お野菜が足りないんですか?」

緑色のドレスをひらめかせ、エルフの姫君、ルナ・シンフォニアがやってきた。

彼女は今日から、佐藤の命により「社会奉仕活動(インターン)」として、この相談所に派遣されていたのだ。

「ルナさん!」

リベラが駆け寄る。

「そうなんです。お肉やパンは何とか確保できてるんですが、ビタミンが不足してて……」

「びたみん? よく分かりませんが、要するに『美味しいお野菜』が食べたいってことですね?」

「はい。でも、今の市場価格じゃとても……」

「お任せください!」

ルナは、愛用の『世界樹の杖』をくるりと回した。

「昨日の夜、佐藤さんに『借金を返すために働け』って言われたので、張り切っちゃいます! 私、家庭菜園には自信があるんです!」

「え? ここで育てるんですか? でも、種を蒔いても収穫は何ヶ月も先に……」

「ふふっ。エルフの『家庭菜園』を甘く見ないでくださいね?」

ルナは、相談所の裏庭――痩せた土が広がる荒れ地――に立ち、ポケットから一粒の種を取り出した。

そして、杖を大地に突き立て、祈るように詠唱した。

「母なる大地よ、恵みを! 飢えた子らに、お腹いっぱいの緑を!」

「――世界樹式・超促成栽培(オーバー・グロウ)!!」

ドクンッ!!

大地が脈打った。

次の瞬間。

ズゴゴゴゴゴゴゴゴ!!!!

「きゃあああ!?」

リベラの悲鳴は、爆音にかき消された。

裏庭の土が爆発したかのように盛り上がり、そこから太い「蔦(つた)」が、まるで生き物のように噴き出した。

蔦は瞬く間に相談所の屋根を超え、スラムの路地を侵食し、空を覆い尽くす。

そして、その蔦から、ボコッ、ボコボコッ!と、常識外れな大きさの実が、次々と実っていく。

子供の頭ほどもあるトマト。

馬車のような大きさのカボチャ。

黄金に輝くトウモロコシ。

わずか数十秒。

スラムの一角は、豊かな(というより魔境のような)「大農園」へと変貌していた。

「ふぅ! 出来ました!」

ルナは額の汗を拭い、ニッコリと笑った。

「これなら、みんなお腹いっぱいになりますよね?」

「す、すごーーい!!」

子供たちが歓声を上げて野菜に飛びつく。

「甘い! トマトが果物みたいに甘いよ!」

「このカボチャ、生で食べられるぞ!」

リベラも、目の前の光景に感動で震えた。

「すごい……すごいです、ルナさん! これなら食費はタダ! 余った分を売れば、相談所の運営費も潤います! これぞ『神の恵み』です!」

「えへへ、それほどでも〜」

二人の天使(とエルフ)は、手を取り合って喜んだ。

彼女たちは、まだ気づいていなかった。

「タダより高いものはない」という、経済の鉄則に。

一時間後。ゴルド商会支店長室。

「さ、佐藤顧問……!! ど、どうなってるんだ!!」

ヴァリス支店長が、いつもの冷静さをかなぐり捨て、執務室に飛び込んできた。

佐藤は、ちょうどマルスの更生プログラム(予算案)を練っている最中だった。

「どうしました、支店長。そんなに慌てて」

「市場だ! 中央市場を見てみろ!」

ヴァリスに引きずられるようにして、佐藤が窓の外を見ると、そこには異様な光景が広がっていた。

市場の方角から、荷車いっぱいに積まれた野菜を持った人々が、列をなして歩いている。

だが、商人の顔は真っ青で、逆にスラムの住人たちがニコニコと野菜を配り歩いている。

「……何が起きた」

「価格破壊(プライス・デストラクション)だ!!」

ヴァリスが絶叫した。

「一時間前だ! スラムから『極上の野菜』が大量に流れてきた! しかもタダ同然の値段で!」

「タダ同然?」

「ああ! 『天使様からの贈り物だ』とか言って、金のない貧民たちが無料で配ったり、銅粒一枚で売りさばいたりしている! 味は最高級、鮮度も抜群。……おかげで、ウチの商会が苦労して輸入した野菜の在庫が、一瞬で産業廃棄物になった!!」

佐藤の顔色が変わる。

「……まさか」

「それだけじゃない!」

ヴァリスは頭を抱えた。

「近隣の農村から野菜を売りに来た農家たちが、市場の入り口で立ち尽くしている! 自分の野菜より立派なものがタダで配られてるんだ、売れるわけがない! 彼らは今日、現金を得られない。つまり、肥料も、明日のパンも買えずに村へ帰ることになる!」

「……デフレ・スパイラル」

佐藤の口から、最悪の単語が漏れた。

供給過多による価格の暴落。それは一時的には消費者を喜ばせるが、生産者(農家・商会)を殺し、巡り巡って経済全体を死に至らしめる。

「誰だ! どこのどいつだ! こんなテロじみた真似をしたのは!」

ヴァリスが机を叩く。

佐藤は、ゆっくりと懐から魔界トウガラシを取り出し、一気に飲み干した。

犯人は分かっている。

「家庭菜園が得意」だと笑った、あの方向音痴のエルフだ。

「……行くぞ、支店長。犯人の元へ」

「知っているのか!?」

「ああ。……俺の『インターン』だ」

スラム地区・ジャングル・ゾーン。

そこは、収穫祭(フェスティバル)の喧騒に包まれていた。

「持ってけ持ってけー!」

「ルナ様万歳! リベラ様万歳!」

巨大なカボチャの上で、ルナとリベラが民衆に手を振っている。

「止まれェェェッ!!!」

佐藤の怒号が、拡声魔法も使わずに響き渡った。

祝祭の空気が凍りつく。

「あ、佐藤さん!」

ルナが無邪気に手を振る。

「見てください! 家庭菜園、大成功ですよ! ヴァリスさんに借金も返せますよね?」

佐藤は、鬼の形相でルナに歩み寄った。

その後ろには、殺意を剥き出しにしたヴァリスと、治安維持のために出動したデューラがいる。

「ルナ。……今すぐ、この植物の成長を止めろ」

「え? なんでですか? まだまだ生えてきますよ?」

「止めろと言っているんだ!!」

佐藤の剣幕に、ルナがビクリと震える。

「リベラ! 君もだ! 何故止めなかった!」

「えっ、でも佐藤さん、子供たちが喜んで……」

「子供たちは喜ぶだろう! だが、その親(・・)はどうなる!?」

佐藤は、市場の方角を指差した。

「市場の野菜価格は暴落した! 農家は作物を売れず、商会は倒産寸前だ! 明日、この国の経済が死ねば、子供たちの親は職を失い、結局、今日タダ飯を食った子供たちが、明日から路頭に迷うことになるんだぞ!!」

「そ、そんな……」

リベラの顔から血の気が引く。

彼女は「目の前の飢え」を救うことしか見ていなかった。それがマクロ経済において、どれほどの猛毒になるかを理解していなかった。

「ふ、ふざけるな……」

ヴァリスが、震えながらルナに詰め寄った。

「俺の損害……白金貨100枚じゃきかんぞ……。このエルフを売っても釣り合わん……!」

「ひぃっ! ごめんなさい!」

ルナが杖を抱えて後ずさる。

「……待て、支店長」

佐藤がヴァリスの肩を掴んだ。

「殺すな。……殺しても金にはならん」

「じゃあどうするんだ! 腐った野菜の山をどう処理する!?」

佐藤は、脳が焼き切れるほどの速度で思考を回した。

供給過多。価格崩壊。農家の保護。ゴルド商会の利益。

全てを解決する「ウルトラC」の論理(ロジック)。

「……加工(かこう)だ」

佐藤がつぶやいた。

「加工?」

「ルナ。お前の作った野菜は、魔力で出来ているな? 腐るのか?」

「いえ! 世界樹の魔力なので、収穫してから一ヶ月は鮮度そのままです!」

「よし」

佐藤はヴァリスに向き直った。

「支店長。この野菜を、市場には流すな。生鮮食品としての価値を破壊する」

「じゃあ捨てろと?」

「違う。全て『保存食(加工品)』にするんだ」

佐藤は、即興の事業計画をまくし立てた。

「トマトはケチャップとピューレに。果物はジャムとドライフルーツに。カボチャはペーストにしてスープの素にする。……お前の商会の『缶詰工場』と『乾燥場』をフル稼働させろ」

「加工品……!」

ヴァリスの目が商人のそれに変わる。

「そうか……! 加工品なら日持ちする! 今すぐ市場に出さなくても、価格が戻った頃合いを見て少しずつ放出できるし、遠くの国へ『輸出品』として売ることもできる!」

「そうだ。生の野菜市場とは競合しない。農家も守れる」

佐藤は続けた。

「そして、この加工工場の『臨時工員』として、スラムの住人を雇え。給料は『現物支給(野菜)』と、少額の現金だ。……これで、彼らにも『仕事』が生まれる」

「……なるほど」

ヴァリスはニヤリと笑った。

「タダで配るより、働かせて加工させ、付加価値をつけて他国に売る。……悪魔的だ、顧問殿。あんた、本当に法曹か?」

「生きるための知恵だ」

佐藤は、安堵するリベラとルナを振り返り、冷酷に宣告した。

「ただし」

「ルナ、リベラ。君たちには『罰』がある」

「えっ」

佐藤は、ジャングルのように広がった巨大農園を指差した。

「この膨大な野菜の『収穫』と『工場への運搬』。……全て、君たち二人だけでやれ」

「魔法は禁止だ。手作業で、痛みを伴って学べ。『労働なき富』が、どれほどの毒になるかをな」

「えええええーーー!!?」

その日から一週間。

帝都スラムでは、泥だらけになってカボチャを運ぶ天使とエルフの姿が目撃されたという。

そして、ゴルド商会の新商品「世界樹印のプレミアム・トマトケチャップ」は、後に大陸中で大ヒットすることになるのだが……それはまた別の話である

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