第5話 無自覚バフでクールな団長がポンコツ破壊神になってしまった
手首に残ったあざが、どす黒く変色していた。
昨夜、レオナ団長に掴まれた痕だ。ズキズキと脈打つ痛みが、ここが夢の中ではなく、物理法則の支配する現実であることを主張している。
カーテンの隙間から差し込む光が、白から黄色へと変わっていた。
徹夜だ。眠れるわけがない。
数十人の興奮した女騎士たちに囲まれ、朝まで「もっと力を」「撫でてください」と詰め寄られたのだ。ようやく解放されたのは、朝日が昇って彼女たちが「朝の鍛錬」に向かった数十分前。
静寂を取り戻した部屋で、私は重い瞼をこすった。
ふと、窓の外から異音が響いた。
ベキョッ。
岩が砕けるような、あるいは金属が無理やり引きちぎられるような、湿った破壊音。
(……なんだ?)
窓枠に手をかけ、ガラス越しに前庭を見下ろす。
そこには、朝の鍛錬をしているはずの第三騎士団の姿があった。
いや、正確には「呆然と立ち尽くす」集団がいた。
その中心で、レオナ団長が真っ青な顔をして、自分の手元を凝視している。
私は窓を開けずに、サンダルを突っかけて階段を駆け下りた。
* * *
庭に出ると、空気がピリついていた。
騎士たちが私に気づく。
昨日までの「死んだ魚のような目」ではない。全員、肌が蝋人形のようにツヤツヤで、眼球が血走るほどギラついている。過剰なエネルギーが体内で暴走している状態だ。
「……シズ様」
レオナ団長が、泣きそうな顔でこちらを振り向いた。
彼女の手には、鉄製の水筒が握られていた。
いや、「握られていた」という表現は正しくない。雑巾のようにねじり切られ、中身の水がダラダラと足元にこぼれ落ちていた。
「……水を、飲もうとしただけなんだ」
彼女の声が震えている。
「キャップを開けようとして、少し力を入れたら……本体ごと、ねじ切れてしまった」
足元には、他にも被害物が転がっていた。
柄の折れたブラシ。粉々になった手鏡。そして、真っ二つに割れた石造りのベンチ。
「座ろうとしたら、お尻で割ってしまいましたぁ……」
新人のリリィが、割れたベンチの破片を抱えてオロオロしている。
彼女が動くたびに、足元の土が深々と沈み込み、ミシミシと嫌な音を立てていた。
(……出力、残しすぎた)
昨日の対オーガ戦。
私がブチ切れて流し込んだ【全範囲祝福・極】が、一晩経っても抜けていないのだ。
むしろ、睡眠によって定着してしまっている。
彼女たちの基礎ステータスが、人間の規格をぶち壊してゴリラ……いや、ドラゴンの域に達していた。
「シズ様……どうにか、なりませんか」
レオナ団長が、ねじ切れた水筒を差し出してくる。
鋭利な切断面が指に食い込んでいるが、強化された皮膚は傷一つついていない。
「このままでは……トイレのドアノブを壊してしまいそうで、怖くてトイレに行けん」
切実な問題だった。
日常生活が崩壊する。食事をすればスプーンを噛み砕き、服を着替えればボタンを弾き飛ばす未来が見える。
「……調整、してみます。ちょっとこっちへ」
人目を避けるため、教会の裏手にある薪小屋の影へ誘導した。
レオナ団長と向かい合う。
彼女の全身から、陽炎のような熱気が立ち昇っていた。サウナのドアを開けた時のような、むっとする熱量。
「手を出してください」
「う、うむ……」
レオナ団長が恐る恐る手を差し出す。
私がその手に触れようとすると、彼女の肩がビクッと大きく跳ねた。
「ひっ……!」
「まだ触ってませんよ」
「す、すまない。シズ様が近づくだけで、皮膚が……ピリピリして……」
過敏になっている。
感覚神経までもが強化されすぎているのだ。
私は意を決して、彼女の手首を掴んだ。
ドクンッ!
脈拍が掌に伝わってくる。速い。
まるでエンジンの回転数が限界を超えた車だ。
「んっ……ぁ……」
触れた瞬間、レオナ団長が膝から崩れ落ちそうになった。
私が支える。重い鎧が、ガシャンと私の肩にぶつかる。
「だ、団長? しっかりして」
「ダメだ……腰に、力が入らない……。シズ様に触れられると、体の中の熱いものが……暴れ出して……」
彼女の瞳孔が開いている。
焦点が定まらず、荒い呼吸と共に熱い吐息が私の首筋にかかる。
端から見れば、完全に危ない薬の禁断症状か、あるいは情事の最中だ。
(集中しろ。バルブを閉めるイメージだ)
私は彼女の体内で渦巻く金色の奔流を、イメージの中で鎮めにかかった。
強引に抑え込むのではなく、細く、緩やかな流れに整える。
あふれ出る水を、排水溝へ流すように。
数分後。
レオナ団長の呼吸が、ようやく整い始めた。
「……どうですか?」
手を離すと、彼女は呆然と自分の掌を見つめ返した。
「……静かだ。嵐が去った後のように」
彼女はゆっくりと立ち上がり、近くにあった薪を一本手に取った。
恐る恐る、指に力を込める。
メキッ、と音がしたが、粉砕されることはなかった。ただ折れただけだ。
「できた……! 加減ができる!」
レオナ団長が、子供のように目を輝かせて私を見た。
その安堵の表情に、私も胸を撫で下ろす――暇はなかった。
ズザザザッ!
砂利を踏みしめる音が殺到した。
小屋の角から、数十人の女騎士たちが顔を覗かせている。
リリィが、バリアが、その他全員が、レオナ団長と同じようにギラついた目でこちらを見ていた。
「団長だけ……ズルいです」
誰かが言った。
それを合図に、欲望の堰が切れた。
「私のも! 私の暴走も止めてください!」
「コップを3つ割りました! 早く鎮めて!」
「ああっ、体が熱いんです! シズ様の手で冷ましてくださいぃぃ!」
ゾンビ映画のワンシーンのように、騎士たちが手を伸ばして迫ってくる。
彼女たちが一歩踏み出すたびに、地面がめり込み、小屋の壁がミシミシと悲鳴を上げた。
「ちょ、並んで! 一人ずつ!」
私の叫びは、熱狂の渦に飲み込まれた。
* * *
正午。
教会の裏庭は、野戦病院のような有様になっていた。
芝生の上に、ぐったりと横たわる騎士たち。
全員、「調整」を終えて虚脱状態にある。
頬を赤く染め、荒い息を吐き、時折ビクンと身体を痙攣させている姿は、とても聖職者の住処とは思えない背徳的な空気を醸し出していた。
「……はぁ、はぁ……最高……」
「シズ様の指……奥まで……響いた……」
「もう一本……いけるかも……」
うわ言のように漏れる感想が、いちいち誤解を招く。
私は最後の患者――バリア副団長の調整を終え、汗だくになって座り込んだ。
マナを消費したわけではないが、精神的な疲労が半端ない。
カチャリ。
乾いた音がして、冷たい水が差し出された。
レオナ団長だ。
彼女はまだ、少し手が震えていた。
コップを両手で包み込むように持ち、小動物のように慎重に扱っている。
「……すまない。負担をかけた」
彼女は私の隣に腰を下ろした。
鎧が触れ合う距離。
「でも、わかったことがある」
「なんですか」
「シズ様の『調整』がないと……我々はもう、まともに動けない体になってしまったようだ」
レオナ団長が、コップの縁に口をつける。
カチッ。
前歯が当たって、小さな音がした。
その拍子に、コップにピシッと亀裂が入る。
「……あ」
水が漏れ出し、彼女の太ももを濡らした。
「また、やってしまった……」
レオナ団長が泣きそうな顔で私を見る。
その瞳の奥にあるのは、申し訳なさだけではない。
どこか、この状況を――「自分ではどうにもできないから、シズ様に頼るしかない」という状況を、甘受しているような昏い色が混ざっていた。
「シズ様。……明日も、お願いできるだろうか」
濡れた太ももを拭おうともせず、彼女は私の袖を掴んだ。
その指先は、力を入れないように必死に制御されているせいで、小刻みに震えている。
芝生の上で転がる騎士たちが、一斉にこちらを見た。
無言の圧力。
明日も。明後日も。その次も。
逃げ場はどこにもなかった。
私はレオナ団長の手から、ヒビの入ったコップを取り上げた。
粉々になる前に回収する。今の私にできるのは、それくらいしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます