第2話 集合時間は深夜0時

 深夜の菊川駅前は暗かった。ネオンなんか一つもない。居酒屋やバーの看板も薄暗く、せいぜい自動販売機が明るい程度だ。私は軽トラのドアを開けて降りた。運転席の母が心配げに言う。


「気をつけて行きなさいね。何かあったら電話しなさい」

「はあい。それじゃ行ってくるね」


 集合時間は深夜0時。私たちが乗る電車は深夜0時9分菊川発東京行各駅停車。今の時刻は、と腕時計を確かめる。アナログ時計にデジタル表示がついてるハイブリッド時計ってやつ。時刻は23時50分。ちょっと早かったかなと思ったけど、駅前にはもうメグとチョコとタナカが揃っていた。オードリーはいない。残念なことにというか、やっぱりというか、オードリーは赤点を取って補講地獄に陥ったため、旅行に行けなくなってしまったのだ。


「こんばんは!」とチョコ。

「こんばんは」とタナカ。

「遅いよ!」と不満そうなのはもちろんメグ。


「ばんわー。まだ時間あるじゃん」

「でも早め早めに動くほうがいいですよ」

「そらまあタナカのいう通りだけどさ」

「これささほさんの分の青春18きっぷです。二枚渡しておきますね。メグさんとチョコにはもう渡してあります」

「ありがとー。オードリー来られなくなったから二枚余るね」

「その二枚はとりあえずタナカが預かっといて」

「わかりました、メグさん」


 おしゃべりしながら駅員さんが一人だけいる改札を抜け、プラットフォームへ。私たちの他に十数人が電車を待っていた。こんな真夜中の電車なのにわりと人が乗るんだな。


「私コーヒー買ってくるわ。荷物見ててね」


 荷物を置いて自販機のところに行く。私は砂糖抜きのブラックが好きなのだけど、缶コーヒーは甘くてミルクたっぷりでベタベタする。でもそういうコーヒーしかないもんなあ、なんで缶コーヒーってこんなに甘いんだろ。などと思いつつコーヒーを買っていたらブザーが鳴って電車がきた。


「電車がきたから乗るよ!」


 メグが大声でいうものだから私は焦って駆け出し、盛大にすっ転んで膝を地面に打ち付けた。痛い。痛いけどみんなのところまで行った。


「何やってんの、バカじゃないの?」


 メグに怒られた。よく考えたらこれこの駅始発の電車だしまだ時間があるから走る必要はなかった。とにかく電車に乗り込み、四人だけどボックス席を二つ確保して荷物を置く。


「ねえ、ささほ案外アホだから気づいてないかもしれないけど、足、ひどいことになってるよ?」


 メグが眉をひそめる。痛む足を見るとなるほどひどいことになっていた。派手にジーンズが破れて膝が露出し、赤い痣ができて血が滲んでいる。痛いわけだ。


「あ、救急セットありますよ、使います?」


 用意周到なタナカが消毒薬とカットバンをくれた。ありがたや。カットバンは五枚使った。傷は深くないけど広い。そうこうしているうちに電車が動き出した。


「痛くない?」


 チョコが心配して尋ねるので大丈夫大丈夫と笑っておく。ホントはすごく痛い。膝を動かすたびにズキズキする。


「ジーンズ破れてるし」

「ジーンズは破けてるくらいがカッコいいよ。デヴィッド・リー・ロスなんかもっと破けてるの穿いてたもん」

「ああいうのはカッコいい人が穿くからカッコいいのだと思うけど?」


 私はメグのツッコミを無視して缶コーヒーを開けながら、何やらごそごそ動いているチョコを見る。チョコは何を思ったか新聞紙とバスタオルをとりだし、荷物を置いてあるボックス席の床に敷き、その上に寝転んだ。


「何やってんの?」

「寝るのです」

「なんで新聞紙とタオル?」

「新聞紙はねータオルが汚れるといけないから。タオルはねー新聞のインクが顔につくとやだから。私は寝ますねーおやすみ!」


 チョコは目を閉じて丸くなった。まるきり猫である。新聞紙敷いて床に寝るとは、と驚いたが、あたりを見回せばチョコと同じように新聞紙を敷いて寝ている人が幾人かいた。とはいえ女の子で床に寝てるのはチョコだけだぞ。


 メグは首枕とヘッドフォンをつけてウォークマンを聴き始めた。何を聴いてるかは想像がつく。THE ALFEEだ。メグは高見沢さん大好きっ子なのだ。メグも目を閉じたので眠るのかなと思ったが、すぐに咳き込みながら目を見開いた。


「もーっ! タバコ臭すぎる! なんで窓があかないのよ!」


 メグの文句ももっともだ。非常にタバコ臭い。煙が漂ってなんとなくそのへんが白っぽい。窓があかないのは一応冷房効いてるからだと思うけどね。


「メグさん、マスクいります?」


 またしても用意周到なタナカがメグにマスクを渡した。ありがとと礼を言ってメグはまた静かになった。私も眠ろうとしたが眠れそうにないので、父に借りたつくば科学万博ガイドブックを読むことにした。


「万博のガイドブックですか? 私にも見せてください」


 眠れないらしいタナカが言う。


「いいよー。一緒に見よう。あと会場着いたらどこに行くのか考えよう」

「いいですね」

「シャトルバスは北ゲートに着くから、ひとまず北ゲートに近い芙蓉ロボットシアターまで走るのがいいと思うんだよね。Aブロックの日立館も行きたいけど北ゲートから遠いんだよなあ」


 万博会場地図を指さして、タナカと私は 作戦を練る。タナカは手帳をとりだして予定を書きはじめた。


「日立館は予約券をとらないといけないんですよね。明日の朝ポレポレバスに乗って行くのはどうでしょう」

「そうだね、そんな感じかなあ」 


 私は缶コーヒーを飲み、タナカは水筒からお茶をついで飲む。


「私は講談社ブレインハウスに行きたいです」

「講談社とか集英社とか出版社パビリオンはみんな見たいよね」

「オードリーさんも出版社系パビリオンは見たかったでしょうね……」


 少し寂しそうな声でタナカが呟く。


「うん、オードリーは講談社行きたがるよねきっと。三菱未来館もオードリー好きそう。宇宙ステーションあるから」

「そうですね……」


 タナカのテンションが下がってきた。私だってオードリーがいないのは寂しい。でもオードリーが来られないのは自業自得である。もっと明るい話をしよう。


「タナカは外国館巡りしたいんだよね、私はUCCでコーヒー飲みたい。なので午前中は一緒に行動してみんなで観覧車に乗って、午後は各自っていうのどう?」 

「観覧車はみんなで乗りたいですよね。そうしましょう。ところでこの本についてる付箋は、ささほさんがつけたんですか?」

「いやこれ父さんがつけたの。オススメにつけてあるっぽい」

「なにがオススメ?」


 タナカの気分はやや上がってきたらしい。


「えっとね、滝の劇場とサントリー。それといばらき館も意外といいんだって。すごくお金かけてるらしいよ」

「いばら『ぎ』じゃなくていばら『き』なんですねー。初めて知った」 

「あと芙蓉ロボットシアターはこどもっぽいって」

「でもメグさん行きたがってたから外せませんよね」

「だよねー」


 話しているうちに2時を過ぎた。さすがに眠くなってきたのでタナカも私も眠ることにした。寝過ごすといけないから腕時計のアラームをセットしておく。4時過ぎに品川に着くので3時50分にセットしておけばいいだろう。


 さて、おやすみなさい。


 ……… 


 ピリリ、ピリリ、と腕時計が鳴って目を覚ます。他の三人も目を覚ました。まだ眠いので言葉少なに荷物をまとめ、薄暗い品川駅に降り立った。予定では品川駅から山手線に乗って日暮里まで行き、日暮里で常磐線に乗り換える。旅行のプロであるところの父いわく、


「田舎のこどもが東京駅で乗り換えようとしたら迷子になるに決まってるから品川から山手線に乗れ。上野駅もわりとややこしいから常磐線乗り換えは日暮里にしとけ」


 しかし品川駅も田舎之女子高生には難関であった。


「早朝なのになんでこんなに人がいるのですか!」と驚くタナカ。


 私も人が多すぎると思うよ……まだ朝4時ちょっと過ぎなのに。


「常磐線のエキスポライナーまで二時間くらいあるんだよね、どうやって時間つぶすかまで考えてなかったな、どうしようか」


 二時間も立ちっぱなしはつらい。というか膝が痛い。切実にどこかで休みたいと思いつつ、聞いてみた。


「山手線に乗ってぐるぐる回りましょう。山手線はもうじきに始発なのです。何周できるかな?」


 チョコが突拍子もないことを言い出した。


「却下却下。二時間後だともう6時過ぎるわけだから電車混んでくるんじゃない? チョコ、あんた大都会の満員電車に乗りたいの?」


 メグはチョコを一刀両断したあと現実的な提案をした。


「どこかの店に入りましょ」


 しかし朝4時半からやっている店などあるのだろうか。


「チョコの提案も部分的にはいいと思うんです」


 今度はタナカが妙なことを言いはじめた。


「どういうこと?」

「山手線はじきに動くのですから、もう日暮里駅まで移動してもいいのでは?」


 なるほどそれはそうとみんなが頷き、山手線に乗ることになった。しかし……


「や……山手線は……どこ……」

「しっかりしろチョコ、上を向いて歩け!」

「ささほ、上を向いて歩けってどういうことよ」

「駅構内の上の方にたくさん案内表示があるからそれをよく見て歩けっていう我が父の教えですよ、メグさん」


 乗り換えにけっこう時間がかかってしまい、山手線に乗ったときは5時を回っていた。空はもう明るかった。


 ★★★


 1985年、スマホなんてないので、女子高生にも腕時計は必需品です。アナログ時計にデジタル表示がついたハイブリッド時計はアナデジとも呼ばれ、とても流行っていました。


 当時自販機で売っていた飲料はすべて缶に入った甘いものでした。緑茶缶がかろうじて発売されたばかりです。無糖ブラックコーヒーペットボトルなんてまだ全然存在していません。ペットボトル自体はありましたが、1.5リットル入が主流でした。そんなこんなで妥協して飲むミルクコーヒーはたぶん小さめのスチール缶。


 長距離の深夜の鈍行では、ホントに床に新聞敷いて寝る人がいました。喫煙okな当時の深夜の電車内は、当然のようにタバコ臭かったです。


 坂本九「上を向いて歩こう」は、ささほの両親の世代のヒット曲です。坂本九はこの時点では健在ですが、この二週間後に日本航空123便墜落事故で亡くなります。

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