5−2. 崩れる信頼

 体育館へ戻ると、空気がびりついていた。

 昨夜から続く緊張がそのまま残り、床に落ちた影さえざわめいているようだった。


 矢島、田所、山中、佐久間の四人が中央付近で不安定に固まっている。

 僕たち四人が戻ったことに気づくと、矢島が真っ先に詰め寄ってきた。


「どうだった!? 高橋と加瀬、見つかったのか!?」


 桐生がわずかな沈黙のあと、短く答えた。


「……理科室で“標本(二)”になってた」


 その言葉は、体育館の空気を一瞬で凍らせた。


 佐久間が口元を押さえ、山中が肩を抱いて震え、田所は顔を逸らしたまま硬直した。


「標本……?」

 山中が消え入りそうな声で言う。


「ああ。瓶の中だった」

 桐生が続ける。

「偶然じゃない。“配置”があった。誰かの手で並べられてた」


 矢島はゆっくり目を見開いた。

 理解が追いついた瞬間、その顔は怒りとも絶望ともつかない表情に変わった。


「……嘘だろ。あいつら昨日まで普通に……普通に話してたんだぞ……!」


 地面に落ちた矢島の影が、一拍遅れて揺れた。

 まるで、その怒りを後から模写するみたいに。


     ◇


「次は……誰なんだよ」

 田所が声を震わせて言う。

「田村、森川……そして今朝の二人で“三つ目”まで来てるんだろ……?」


 白石はノートを抱えながら頷いた。


「……展示には“順番”があります。

 七十年前、神代校長が記した“創作日記”の通りなら、

 誰かがその流れを“再現”している可能性が高いです」


「再現ってなんだよ……! ふざけんなよ……!」

 矢島は突然叫んだ。


 その怒声に、体育館全体の影がざわりと遅れて揺れた。

 世界が後から反応しているような錯覚に襲われる。


「先生は何してたんだよ!

 田村も森川も……高橋も加瀬も……全部見てただけだろ!」

 矢島は相沢先生に詰め寄った。

「なんで何もできねぇんだよ!」


「矢島君、落ち着いて——」


「落ち着けるわけねぇだろッ!」


 矢島は近くの机を蹴り飛ばした。

 ガン、と体育館全体が震えるほどの音が響く。


 ボールかごが倒れ、ボールが跳ねて転がっていく。


「俺たち全員、この校舎に殺される順番待ちじゃねぇか……!!」


「矢島君!」

 相沢先生が駆け寄った瞬間、矢島は先生の手を激しく払った。


「触んな! 教師のくせに、何もできねぇくせに!」


 相沢先生は後退り、膝をついた。

 その手が震えている。


     ◇


「……このままではあなた自身が危ない」

 相沢先生はゆっくり立ち上がり、矢島の前に立った。

「矢島君、保健室に行きましょう。落ち着く必要があるわ」


「隔離かよ……」

 矢島は吐き捨てるように言う。


「隔離じゃない。“守る”んです」

 相沢先生は言い切った。

「あなた自身を。それに……周りの子たちを」


 矢島はその言葉に、短く息を呑んだ。

 怒りの熱が、ほんの一瞬だけ抜けたのが見えた。


「……勝手にしろよ」

 矢島の声は、さっきまでの怒号とは違う。

 もう壊れそうな、乾いた音だった。


「ありがとう。行きましょう」

 相沢先生は矢島の腕を取り、ゆっくりと出口へ向かった。


 無理やりではなく、寄り添うように。

 矢島も抵抗しきれず、足を引きずるように歩く。


 扉の向こうは、霧の白い光に満たされている。

 二人の影がその中に吸い込まれていった。


     ◇


 体育館には、佐久間・田所・山中の三人が残された。

 三人とも、不安と恐怖で硬直したまま動けない。


「……展示が進んでいるのは確かです」

 白石が絞るように言う。

「形が決まり、保存され、展示される。

 三段階目まで来ている……」


「三つ目まで……」

 山中が呟く。

「じゃあ、次は……?」


「誰にも分からない」

 桐生の声は低かった。

「だからこそ……ここで争ってたら本当に終わる」


 田所は頭を抱えてしゃがみ込む。

 佐久間は泣きそうな顔で俯き、山中はその肩を支える。


     ◇


 その時、体育館の影が一斉に“一拍遅れて揺れた”。

 床いっぱいに黒い滲みが広がるような動きだった。


「……もう、影がズレてる」

 美咲が震え声で言う。


「限界が近いんだ。

 世界と俺たちの“接地面”が崩れてる」

 桐生の言葉が、妙に現実的に響いた。


 その直後、廊下の奥で

 ——ぱきん

 と硝子の割れるような音がした。


 誰も声を出せなかった。


 それが何かの“始まり”であることだけが、全員に伝わった。


     ◇


「もうここにいるのは危険だ。

 資料室に戻る。神代の理論の続きが何か残っているかもしれない」

 桐生が言った。


 白石はノートを抱え、美咲は不安げに僕の袖をつまんだ。


 僕たち四人は体育館の出口へ向かった。

 扉を開けると、霧の白さが廊下を満たしていた。


 影が一拍遅れて追いかけてくる。

 その遅れは、まるで見えない“展示の導線”に沿って動いているようだった。

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