第7話 世界トレンド
二人の配信が、臨界点を超えた。
きっかけは、有馬健斗の件でプロの注目を集めたこと、白銀家の圧力で生まれた「完璧すぎる食レポ」、そして、そこから回帰した、以前にも増して親密になった二人の空気感。
その振れ幅の大きすぎるドラマ性に、海外のインフルエンサーが火をつけた。
『This relationship between these two Japanese high school girls is nothing short of art.』(この日本のJK二人の関係性は、もはやアートだ)
『#ReikaTongue is not just a food review. It is a confession of the soul.』(#玲華舌 は、単なる食レポではない。魂の告白だ)
切り抜かれた動画は瞬く間に翻訳され、#玲華舌 は、#ReikaTongue として、本当に世界トレンドの1位を獲得した。
スタジオには、見たこともない企業のロゴが入ったダンボールが山積みになっている。高級食材、最新の調理器具、タイアップの企画書。
だが、ひかりも玲華も、その山には一切触れなかった。
***
その日の配信。
コメント欄は、日本語、英語、韓国語、フランス語が入り乱れ、激しい濁流となって画面を埋め尽くしていた。
> ▷ from NY! We love you!
> ▷ 玲華様、世界へ
> ▷ #ReikaTongue !!
> ▷“L’énergie entre vous deux aujourd’hui est incroyable. On ne peut pas détourner les yeux.”(今日の二人、なんだか特別だね…ずっと見ていたくなる。)
> ▷“Reika’s words hit different today… Hikari’s reactions are priceless.”(今日の玲華の言葉は一味違う…ひかりの反応もたまらない。)
> ▷“세계가 드디어 이 둘을 알아보기 시작했네.”(世界がついにこの二人に気づき始めたね。)
> ▷ 今日の空気、なんか胸がぎゅっとなる…尊すぎる。
> ▷“C’est plus qu’un live, c’est une œuvre.”(これは配信以上のものだ、作品だよ。)
> ▷“I can’t believe I’m witnessing this live. Their synergy is unreal.”(これをリアルタイムで見ているなんて信じられない。二人のシナジーが現実離れしてる。)
> ▷ 圧がすごいw
> ▷ ひかりん、緊張してない?
「……皆様、こんばんは」
玲華の声も、さすがに少し硬かった。
ひかりは、いつも以上に無心で手を動かす。今日のメニューは「層(そう)の抹茶ティラミス」。海外の熱狂に応える形でありながら、ひかりの技術の粋を集めた、繊細な一品だ。
「ひかりの手元は、いつも通りですね」
玲華が、世界中に向けてではなく、ひかりの耳元にだけ届けるように、小さく呟いた。
「……はい。いつも通り、玲華さんのために、作ります」
その一言で、スタジオの空気が、いつもの二人のものに戻る。
> ▷ 尊い
▷ She just said something in Japanese. (今、日本語でなんか言った)
▷ (Translation: “Like always, I’m making this just for Reika.”) (訳:いつも通り玲華のためだけに作るって)
> ▷ (´;ω;`)ブワッ
やがて、美しい緑色の層が織りなすティラミスが、静かに玲華の前に置かれた。
世界中が、息を飲む。
玲華が、スプーンを入れ、一口。
そして、目を閉じる。
「……これは……」
玲華の唇が、震えた。
「……雪原です。
どこまでも、どこまでも続く、真っ白な、雪原に、私はいま、一人で立っています」
コメント欄が「?」と「What?」で埋まる。
「とても、静かで……美しくて……完璧な世界。
この抹茶の、鮮烈な苦味だけが、この白い静寂の中で、私が確かに『ここにいる』という、唯一の足跡のようです。
マスカルポーネの、この優しい甘さが、その雪景色を『これは素晴らしいものだ』と、肯定してくれます」
玲華は、目を開けた。その瞳は、潤んでいるように見えた。
「……こんなにも、綺麗なのに。
こんなにも、世界は完璧なのに。
……どうしてでしょう。
少しだけ、寒い、です」
玲華は、ひかりを真っ直ぐに見つめた。
「ひかり。あなたの料理は、いつも、あんなに私を温めてくれるのに。
……どうして、今日は、こんなに寒いんでしょう」
> ▷ え
> ▷ 泣いてる?
> ▷ 寒い……?
> ▷ どういうこと?
> ▷ #ReikaTongue が深すぎる
ひかりは、息ができなかった。
(違う)
(寒いのは、玲華さんじゃない)
(寒いのは、私だ)
世界中が熱狂し、玲華の隣という、誰もが羨む場所に立っているというのに。
ひかりの心は、フランス行きのパンフレットを握りしめた、あの夜からずっと、冷たい孤独の風に吹かれていた。
玲華に言えない秘密。
玲華の「ずっと」に応えられない、未来。
成功すればするほど、#ReikaTongue が世界に認められれば認められるほど、自分は「玲華専属」という立場から、逃げ出そうとしている。
その罪悪感が、ひかりを凍えさせていた。
「……きっと、空調が」
ひかりが、かろうじて絞り出した声は、震えていた。
配信が終わり、熱狂が去ったスタジオ。
積み上がったダンボールの山が、二人の「成功」と、ひかりの「孤独」を、皮肉なほどに際立たせている。
「ひかり」
玲華が、ひかりの冷たくなった手を、そっと見つめた。
「本当に、寒かったですか?」
「……いえ。抹茶が、冷たすぎた、だけです」
嘘だった。
玲華は、その嘘に気づいていた。ひかりが、自分ではない、どこか遠くを見つめていることに、気づき始めていた。
成功の絶頂で、二人の心は、確実に、すれ違い始めていた。
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