第24話

 

【二十四】


 その正体をいち早く察したヴェロアは、身体をひるがえし慌てて通り道を確保する。そのすぐ脇をバサリと翼をはためかせて通過していくのは、無論アイリーシェ。


 悠然と翼を広げて器用に速度を落とすと、アイリーシェはいつもの止まり木に落ち着いた。


「ちょっと! 危ないでしょアイリーシェ。怪我でもしたらどうするのさ」


「ん? その時は…… そうだね、慰謝料でも払ってもらおうかしらね?」


「なに言ってんの、僕が怪我したらの話だよ」


 噛み合わない話を展開するアイリーシェ。その様子を見ていたミエリが、ようやくくすっと笑みを漏らす。


「遅かったじゃない、アイリーシェ。あなたどこに行ってたのよ」


「学校の様子を見に行ってたんだよ」


「そっか」


 そう言葉をかけるアリエスだが、あのグラマラスな人形の身体だった時よりもおよそ三十センチは低くなった今の身長では、止まり木のアイリーシェはかなり見上げなくてはならなかった。それを見て思わず「ぷっ」っと吹き出してしまう。


「何を笑ってるのよ」


「ううん、なんでもないよ」


 キッとした視線を向けられて、慌ててごまかす。


 自らの術を解いて本来の姿に戻ったアリエス。初めて会ったときの、あの暴力的なまでの妖艶な姿が人形だったということもすでに聞かされていた。


 今のアリエスの身体は、少女という言葉がもっともしっくり来るほどに幼い。


 限りなく赤に近い茶髪を二つ太股の辺りまで垂らし、大きな赤い瞳を持つ少女は、ともすればこちらの方が人形なのではないかと思うほど。それでもヴェロアよりは十歳は年上なのだが、そんなことは実際目の前にするとどこかに吹き飛んでしまう。


「しかしあんたは、十年経っても成長しないままねぇ。背も伸びなきゃ、出る所も出てないし」


 まるでそんなヴェロアの思考を読んだかのように、アイリーシェが言い放つ。その声はどこか楽しそうではあるのだった。


 するとアイリスはとっさに両腕で胸を隠すと、顔を赤らめながら抗議の言葉を返す。


「な? ワタシは長い間洗脳の魔力を浴び続けたんだし、魂も肉体になかったんだから、成長しなくて当然でしょ!」


「んん? そんな根拠のない話は、聞いたことがないけど?」


「うるさいわね! これから成長するわよ! ちゃんと十年分の利子つけて、立派にね!」


「ほほほ…… さぁ、どうかしらねぇ」


 姿は変わってしまったが、そのやり取りは紛れもなく以前の二人だと感じた。


 ただ一つ、ヴェロアにはアリエスの口調が変わっていたことだけが気になった。最初に会った時には、もっと妖艶な大人びた感じがあったはず。それを意としてやっていたのかはわからないが、今がやはり本来のアリエスなんだろうと考えるのだった。


「でもさぁ、いいのかねぇ。成長しないお子ちゃまのままじゃ、ヴェロアに嫌われちゃうかもよ? ね、ヴェロア?」


「ん? え? なに?」


 考え事をしていたために話を右から左へと聞き流していたヴェロアは、突然話題を振られて困惑の表情を見せる。


「そうなの? ヴェロア」


 未だ両腕で胸を隠したまま、頬を赤らめて上目使いにと訊ねるアリエス。


「えっと……


 いったいなんの同意を投げられたのかわからないが、意味深な態度と表情を浮かべるアリエスにせまられ、いったいなんと答えていいやらわからずに視線を泳がせる。するとその先に、こちらも興味津々といった面持ちで答えを期待しているミエリの姿が目についた。


 知らないうちに、なにか非常に大きな選択を迫られているのだかははっきりとわかるのだった。


 とにかく自分の胸のうちを素直に出すしかないと覚悟を決める。


「これからのことは誰にもわからないよ。一秒先でさえ、それは未来のことで、そこに確実なものなんて無いんだと思う。大切なのは今をきちんと見つめることなんだと思う」


 それは自身に向けた言葉でもあった。今回は事件を解決できたが、でもそれは自分の力によるところはほとんどなかった。そして未だ基礎魔法が出来ないという事実にもかわりはない。


 詰まるところいくら先のことを考えを巡らせても、結局は明日は今日の積み重ねでしかなく、今日が突然劇的な変化をもたらしてくれるなんてことは、奇跡的なことで、そうそうありはしないのだから。


「結局は、今を頑張るしかないんだよね……」


 するとうつむき加減で「うん、頑張る……」と、アリエスはさらに赤らめた顔で呟く。自分の答えとその態度があまりにも結びつかず、妙な居心地の悪さを感じる。首を傾げつつミエリにも視線を向けると、なぜかミエリもうつむいていた。なんだかひどく落ち込んでいるようにも感じ、とたんに心配になる。


 なにか一声かけて、相談に乗るべきなのかとかと考え始めた矢先、あろうことか両の手のひらで自らの胸にあてがい、その大きさを確認するような仕草をするミエリ。


「な!」


 その驚きは幸いにも声にはならず、それを目撃していたのを気づかれることはなかったが、そんな女性二人を見ていたであろうアイリーシェは、カカカという今までで一番悦にいった笑いを披露する。


 いったいどうしてそのような事態になっているのかわからず、非常に気まずい雰囲気に、どうにかして話題を変える必要があると感じる。


「ところでさ、副校長はどうなったの?」


 女性三人もそれまでの様子を一変させる。するとアリエスが代表するように二度三度と首を左右に傾げる仕草を見せる。


「まあ、あれでも相当の使い手なのは確かだからね。厳重な警戒のなかで、取り調べはどうにか進んでいるようだよ」


「それで、学校の方は?」


「あくまで今回の事件は、副校長とその一派が行ったことで、学校自体が関与したわけではないと判断されているようだよ。早ければ来週中にでも再開にこぎ着けるようだよ」


 少しばかり安堵と決意を滲ませてミエリは言うのだった。


「それじゃあ私たち、また魔法を学べるんですね?」


「まあ、そういうことだねぇ」


「副校長の一件がなくても、魔法学校は優秀な人材を排出してきた実績はあるからね。それを簡単に潰すわけにはいかないでしょ。貴族を優遇するあまり、必要な人材がきちんと回らなかったのが発端だからね。これで少しは貴族優遇もなくなるかもね」


 肩をすくめて見せながらアリエスはため息に言葉をのせた。


「あの…… ありがとうございました。助けていただいたおかげで、私はまた魔法を学べます」


 突然立ち上がると、アリエスに向かって頭を下げたミエリ。アリエスが黒魔女と呼ばれていて、十年前から副校長の悪事を暴くために動いていたと、ミエリには必要なことだけを伝えてはあった。


 それで恐らく、自分を助けてくれたのがアリエスだと思ったのだろう。


 拘束されていたアリエスの姿を見ていないミエリが勘違いするのも無理はない話。なにより基礎魔法もろくに出来ない落ちこぼれの同級生が助けたなどというよりは、よっぽど信憑性がある。


 お礼を言われて困惑ぎみにアイリーシェとヴェロアを交互に見やると、優しく言葉を返すのだった。


「うーん…… お礼はワタシじゃなくて、そこにいるヴェロアに言ってあげて。ワタシらはなにもできなかったんだから」


「え?」


 目をぱちくりさせながら顔を向けるミエリと視線がかち合った。困ったように頭を掻く。それでも驚きの表情を見せたのは一瞬のことで、ミエリはすぐさま向き直ると深々と頭を下げたのだった。


「ありがとう、ヴェロア」


 すると、それにつられるようにアリエスも感謝の言葉を述べた。


「ワタシもお礼を言うよ。ありがとう。ヴェロアのおかげで十年という永い悪夢から解放されることができたよ」


「え…… いや、そんなことはないよ。二人がいなければ、副校長の悪事にも気づけなかったし、ミエリを助けることも出来なかったんだから」


「ヴェロア、あたしの大切な友達を助けてくれてありがとう。いくら黒魔女アリエスといえども、一人ではあの状況を乗り越えることはできなかっただろう。本当にありがとう」


 よもやアイリーシェにまでそんなことを言われるとは思っても見なかったため、動揺が身体を駆け巡った。そうなるといったいどんな顔を向ければいいのか困ってしまう。召喚憑依魔法ですらアリエスが教えてくれなければ、使えることなんてわからなかった。しかもそれとて満足に使えたわけではない。


 感謝されればされるほど、それが自分で良いのかと、ヴェロアは問うのだった。


「あ、そういえばアリエスは、どうして黒魔女って呼ばれているの?」


「え? ああ、そのこと……」


 なぜか一瞬言いよどんだアリエスの態度が気になったヴェロア。


「ワタシがキミと同じように、召喚魔法が得意だという話は以前したでしょ?」


「ああ、うん。憑依魔法ではないけどって言ってた」


 それは契約印が刻まれた時に聞いた話だった。でもそれだけで黒魔女なんて呼ばれかたはしないはずだ。そんな考えを巡らせていると、テーブルの隅に置かれていた占い道具一式の中から動物の骨が積まれたガラスの器をたぐり寄せた。そこから一本の骨をつまんで見せる。


「ワタシが最も得意とする召喚魔法の従者が、アンディットなのよ」


 テーブルに置いた動物の骨に向けて、パチン指を弾いて見せる。ボンっと一瞬煙を上げて、次の瞬間それは十センチほどのスケルトンになってテーブルの上を動き回った。


 そしてなぜか、ヴェロアとミエリに向かって、驚くほど丁寧な挨拶をするのだった。


 今ならわかる、その早さと精度の高さ。恐らく不慮の事態でも無ければ、本当にアリエス一人で副校長の悪巧みを阻止できてたたのだろうとさえ思う。


「こんな感じ…… スケルトンとか、ゾンビとかね」


 召喚魔法と聞いて真っ先に思い浮かぶものといえば、精霊や精獣。ユニコーンやペガサスといった華々しいイメージが多いなか、確かにそれは黒魔女と呼ばれても仕方がないのかもと感じてしまう。


 ヴェロアの表情からそんな考えを察したようで、わずかに口を尖らせて不満の色を示した。


「仕方ないじゃない。それが一番得意なんだから…… それに、見慣れると案外カワイイものなんだよ?」


 スケルトンやゾンビをカワイイと思える自信はないと思いつつも、女子のカワイイなんてそんなものなのかなと考える。


「カカカ、あんたは精霊に好かれてないからねぇ」


 そう吐き捨てたアイリーシェに、手にした骨を投げつけるアリエス。


「うるさい! バカフクロウ」


 そんな二人のやり取りに、たまらず吹き出したミエリ。


「それにしても、キミがあそこでドラゴンを憑依召喚するなんて夢にも思わなかったよ。占いですごい能力を持った人物がこの街に来ると知って、助かるかもしれないって期待が生まれて。でもキミに会ってその期待が揺らいで…… なのにボロボロになっても助け出してくれた。ワタシの見立てに間違いはなかったよ」


「何か、さらっと酷いこと含んでない?」


 知らぬと言った様子でけらけらとした笑いを浮かべながら「そう?」と白を切って見せるアリエス。


「あの時はアリエスの教えを、何度も頭で復唱していていたんだ。それで突然気づいたんだよ。あの契約印に魔法を施せば、ドラゴンを憑依召喚出来る可能性についてね」


「まあ、確かに理論上はいけるけど、普通する? ドルモアに追い詰められたあの場面で」


「でも、他に手段が浮かばなかったからね。この契約印だってアリエスがもたらしたものだったし、ヒントだってアリエスの教えがあったからだし。成功したのは、むしろアリエスの本当に助かりたいという気持ちが強かったからだと思うよ」


「ただ助かりたい。じゃなくて、ヴェロアに助けてもらいたい。その思いが強かったんじゃないのかい?」


 どこか面白がるように笑いながらそう言葉を吐いたアイリーシェ。その顔はまるでイタズラが成功したワルガキのようでもあった。


「な! なに言ってんのよ! このバカフクロウ!」


 赤面しながら再び暴言を返すアリエスという一連のやり取り。


 しかし真剣な様子を先に取り戻したアイリーシェが、くちばしを開く。


「でもね、ヴェロア。あんた、今回のことで自惚れたりなんかしたらダメだからね。今回勝てたのは、あんただけの力じゃないんだから」


「え? どういうこと? アイリーシェ」


「あんたがドラゴンに魂を憑依させようとしたとき、一度失敗しただろう?」


 もちろんよく覚えている。そもそもヴェロアが召喚憑依魔法を実行した時、ただの一度たりとて一発で成功したことなどない。


 それでもあの時はもう他に手段はなく、失敗するくらいならば、自分の魂を差し出してもみんなを助けたいとさえ思った。結果的に成功し、魂を持っていかれることもなくこうしていられる訳だが、確かにそこにはずっと疑問があった。


「ドラゴンへの憑依が成功した二回目。あの時はアリエスが密かに隠し持っていた最後の魔力を借りたからなのさ」


 アイリーシェの驚きの発言に力なく視線を向けると、アリエスは申し訳なさそうにうつむいた。そしてようやく合点がいったのだった。


 自分では単なる思い付きで魂を差し出せば憑依魔法が完成するのではと思ったが、それは間違いではなかった。本当に魂を使う一歩手前までいっていたのだと。


 それを、最後の一線を越える手前で止めてくれたのが、アリエスだったのだと。


「キミがそれくらいのことで自惚れるような性格じゃないと知っているから言わなかったけどね。でも、あくまで魔力を貸しただけ。憑依魔法を成功させたのは、紛れもなくキミの実力だから」


「ありがとう。でも、やっぱり……」


「あー、もう! だから黙ってたのよ。自惚れるような性格じゃないけど、落ち込む性格だってのはわかってたから。もう、やめやめ。みんな助かったんだから、それで良いの」


 最後の最後まで気を使ってもらって申し訳なく思うが、アリエスが助けを求め、アリエスと契約し、そしてできた契約印があったからこそみんなが助かったのは間違いがない。


 左腕の模様を撫で感慨に浸るが、ふとヴェロアはあることに気がつき契約印とにらめっこする。


 そんなヴェロアの様子に気づいて、アリエスが小首を傾げながら尋ねる。


「どうしたの?」


 左腕にある、二匹のドラゴンがハート型を形成している黒魔女の契約印。その模様を指差しながら、目を剥いた驚きの表情をアリエスに向けて口をパクパクとさせる。あまりの動揺から、声をだすことすらままならずに空気だけが漏れる。


「あんた、いったいどうしたっていうの。獲れたての魚じゃあるまいし」


 ようやくその言葉が口をつ出ると、それはあまりに情けないほど弱々しいものだった。


「模様……」


「ん? 模様がどうかした?」


「模様が消えてない……」


「うん?」


「アリエスの仕事の手伝いは終わったはずなのに……」


「ああ、そういうこと?」


 ようやくその言葉の意味するところを理解した様子のアリエスは、忘れていたかのように何やら一枚の紙を取りだすとヴェロアの目の前に突きつけた。


「え? なに?」


 何やら嫌な予感を感じつつも、ヴェロアはそこに書かれている内容を確認する。そして一瞬にして頭が真っ白になった。


 嫌な予感は、完璧なまでに的中したのだった。


 ヴェロア・サルトルア殿

 貴殿の今回の働きによって得た報酬、金貨五百枚を返済分として受領いたしました。

 返済残額:金貨二億九五百枚

 黒魔女 エルターナ・アリエス・ベルトーラ


 それは紛れもない領収書であった。それも金貨五百枚分の。


 しばらく完全停止していた頭の動きがようやく動きだすと、それに伴って身体も反応を示す。領収書を持った手がプルプルと震えだしたのだった。


「え? アリエス、ちょっと…… なに? これ」


 一体どこに問題があるのか、全くわからない言った風に、大きな瞳で子供のようなキョトンとした表情を投げつけるアリエス。しかしその容姿から、それはとても魅力的ではあった。それこそ頬が上気してもおかしくないほどに。


 だがそれは時と場合を選ぶもので、間違っても今のタイミングでないことは明らかだった。


「何って、領収書だよ? ヴェロア知らないの?」


 むしろ今度はヴェロアの方が何をいっているのかわからないと言いたいほどだった。


「知らないの? じゃなくて、知ってるよ」


「んもう、じゃあ何よ?」


「そういうことじゃなくて、どうして金貨五百枚しか減ってないのかってことだよ。ちゃんとアリエスの仕事をこなしたじゃないか」


 崩れんほどの泣き顔にでもなっているんじゃなかろうかというほどに、自分でも情けない声が漏れる。


 立てた人差し指をぷっくりとしたみずみずしい唇にあてがうと、「うーん……」と考える仕草を決め込んだ。そして春のそよ風のような笑顔で言い切った。


「相場だから?」


 ヴェロアはポカンとした表情を浮かべたまま『相場って何? どこに決まり事があるの? 誰が共有してるの?』と、言いたいことも湧き上がる疑問も山ほどあった。しかし口をつでたのは、なんとも力ない一言だった。


「そんなのアリエスのさじ加減じゃないか」


 さらに抗議の意を唱えようかとするヴェロアに向けて、有無を言わさず笑顔でこう付け加えるのだった。


「まだまだこれからも、完済するまでワタシのためにがんばってね?」


 その言葉とともにアリエスは、魔女というよりも小悪魔のようなウインクを飛ばして見せたのだった。

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