第21話
【二十一】
ヴェロアはようやくその事実にたどりついた。眼前に拘束されていた少女が黒魔女ことアリエス本来の姿なのだと。そしてそれこそが、アリエスが探していたものなのだということに。
「キミが黒魔女…… アリエスの本当の姿なんだね?」
その確認の言葉を投げ掛ける。
「そうだよ」
力強くそう答えが帰ってくる。これでヴェロアには先ほど自分の名が呼ばれたことに合点がいった。
事態を静観していた副校長が、ねっとりとした小憎らしいほどの笑いを漏らした。
「ふふ…… ふはは…… ようやく観念したか? 黒魔女よ」
「は? 何を観念したって? 勘違いしてんじゃないわよ観念するのはオマエの方でしょ」
「威勢のよさだけは相変わらずのようだな。いや、変わらないのは身体の方もか……」
「な!」
その瞬間アリエスの顔が上気するのをヴェロアは見逃さなかった。それは怒りによるものなのか、それとも羞恥によるものなのかは判断はつかないが、キッと睨みを利かせるアリエスの口は、真一文字に結ばれたままだった。
「長い間手間をかけさせてくれたが、それも今日で終いということだな。これで洗脳が完了するわけだ」
「洗脳?」
おおよそ耳慣れないきな臭い一言が届く。
「オマエの思い通りにことが運ぶなんて思わないことね。 ワタシは助かるためにここに戻ってきたんですから。そのいけ好かない面に、一発お見舞いするためにね」
副校長の売り言葉に、語気をいっそう強めたアリエスは威勢よくそう返したのだった。
現状からすれば、アリエスをこんな目に合わせたのが副校長とその一派であろう教官たちであることは疑いの余地はない。なぜそんなことをしたのかはわからないが、それに洗脳という言葉が関係しているとするなら、常軌をいっしている。
「ククク…… 言うではないか黒魔女よ。では問おうか。いったいその状態で何が出来るというのだね?」
「ワタシが動けなくてもちっとも問題ないわ、そこにいるヴェロアがオマエたちを懲らしめてくれるんだからね」
副校長が何かを言い返すより先に、すぐさまバカ笑いを披露する女性教官。
「アハハハ…… これは傑作ね。知らないのかしら? 知らないわよね。十年もそのみっともない格好で居続けたんですものね。いいわ、教えてあげるわ。そいつはポンコツなのよ? 基礎魔法も満足にできやしない、クズの役立たずなのよ」
「ポンコツ? それはおめでた色のオマエの頭のことでしょ? 能力の見極めも出来ないで教官気取りとは、笑わせてくれるわね」
目の前で繰り広げられる壮絶な舌戦に、完全に取り残されるヴェロア。事情はいっさいわからないが、ただひどく侮辱されたのだけは理解できた。自分も何か言い返してやりたいという思いはあったが、それよりも先に聞くべきことがあった。
「アリエス、洗脳ってなに…… どういうことなの?」
震える声で力なく問いを投げ掛ける。
「そうだね。いい加減ヴェロアにも話さなきゃだね。そんなにボロボロになるまで尽くしてくれたんだからね」
険しかった表情を少しだけ和らげると、アリエスは質問に答えた。
「この魔法学校にはね、魔法士を育成するという他に、もうひとつの裏の顔があったのよ」
「え? 裏の顔って?」
「貴族のように英才教育を受けていた者や、本当に高い能力を持った者たちは、宮廷魔術師団や大きな街の魔法医。騎士団の魔法部隊等といった、卒業後は華々しい表舞台の職に就く」
「まあ、貴族の場合は、一級品に育たなくても。なんだけどね」
含みを持って言葉を足すアイリーシェ。それが貴族優遇を意味しているのだと気づく。
それはミエリから最近聞かされたことで、試験の時の貴族の受験者と教官とのやり取りが発端だった。貴族と学校には昔から続く関係があるという事実に、衝撃を受けたことも記憶に新しい。
ところがアリエスの口をついて出たのはそれだけではなく、ヴェロアはその時以上に、愕然とするのだった。
「そして中間層の成績を修めた生徒たちは、洗脳によって能力を高めて地方の街へと送られるのよ。そこで魔法をいかした職に就く。洗脳を受けた生徒は高値で取引されるの。そしてさらに成績の低かった生徒たちもまた洗脳されて、すべての能力をまんべんなく平均値にまで高められる。こちらは各地の戦場に送られるの生きた駒としてね。そしてここにも売買が成立するのよ」
アリエスの言っていることの意味が、まるで聞いたことのない言葉のようにすぐには理解できなかった。様々な単語が目の前をぐるぐると回っているような感覚に陥っていた。それでも徐々に意味が繋がってくると、今度はそれを信じることができないのだった。
「ねぇ、なにを言ってるのさ。洗脳って…… そんなことが本当に……」
質問の意味を即座に理解したアリエスは、つぶさに答えた。
「ヴェロア、キミは基礎魔法が弱いから、自分には才能がないって言ってたよね?」
変な話ではあるが、アリエスの言葉に対して自信をもって頷いた。
「うん、それで試験にも落ちたし、教官もそう言った」
「実はねヴェロア。本当はそれって勘違いなんだよ」
「え? どういうことなの?」
眼光鋭く副校長と教官に一瞥をくれると、アリエスはその続きを口にする。
「教官たちはね、決して『才能がない』とは言わないんだよ」
言われて脳内の記憶を総漁りする。すると確かに教官からは一度も言われていないと気づく。しかしそれでアリエスが何を言いたいのかは、わからないままだった。
「アイツらはね、知っているのよ。そもそも才能なんて言葉が無意味だということをね」
アリエスの言葉通りそれが無駄だというのなら、自分の出来なさは一体どういう道理なのか。ヴェロアの頭はますます混乱しきりだった。
「人はね、生まれてきた時に持っている能力には差はないの。生まれ出でた瞬間から、それぞれに変化していくものなのよ」
そんなことは初耳だった。生まれた瞬間から、絶対的に越えられない才能の差、才能の壁というものが、漠然としてあるものだと今までヴェロアは考えてきた。だから人に出来て自分が出来ないのは、そこに純然たる才能の違いがあるのだと納得してきたのだった。
その考えが今、突如として崩れ落ちたのだった。
「それは純粋に環境であったり、周りの人の思想であったり。おおよそ影響を与えるもの全ての要因で、徐々に変化していくものなの」
「まさか、そんな……」
「今の自分というのはね、全て後天的に作られるものなの。その過程と要因があって、何が出来て何が出来ないかが決まるのよ」
ヴェロアにとってそれは、まさに寝耳に水ともいえる話だった。
だとするならば、自分の四代基礎魔法の出来の悪さは一体どこからくるものなのか、そんなことに考えがおよんでしまう。それはまるで、できないのは自分が悪いからではないのだという思いに支配され、その考えは間違いなのだとかぶりを振る。
ヴェロアの家族は日々の暮らしを農作業に追われ、魔法に関心など持っていなかった。なので幼い頃から誰からも魔法を学ぶことはなく、ただ自分の思うまま魔法と接してきた。それが平均的に低いレベルで出来が悪い理由なのかと、なぜかストンと腑に落ちてしまうのだった。
とすると、自分に召喚憑依魔法などというものが使えるのもまた、後天的な理由によってなのだろうかと疑問をいだいた。
けれどもそちらに関しては、ヴェロア自身に思い当たる節があった。家族も周りの村人も農作業にいそしんでいたため、ヴェロアは一人遊びをすることが多かったのだ。人形を友達に見立てて。
「でも、それと洗脳がどう関係してくるの?」
「洗脳することで、脳を生まれたとき同様に、再び変化できる状態に仕立てあげるのよ」
「え? ちょ、ちょっと待って。それってつまり、苦手な部分も再び成長できるように変化させるって、そういうこと?」
アリエスは頷くことで返事とした。
「でもね、それをすると、自我が無くなってしまうのよ」
落ち着き払った口調でアリエスは漏らした。
「無くなるって、どういうこと」
「考えてみてごらん。一時的にせよ、脳を生まれた時と同じ状態に戻すんだよ? それも全てをリセットする訳じゃなく、記憶や今まで成長した部分は残してね。もちろん無理矢理によ」
ヴェロアは軽いめまいを感じ、前髪の張り付いた額に手をやる。てのひらには血よりも多い冷や汗がべっとりとついていた。
「脳の一部だけが新たに成長するんだ。そこに新しい記憶も経験値も持っていかれるような、そんな感覚にでもなるんじゃないかな。洗脳を受けた者は……」
そこで言葉を切るアリエス。その表情は、怒りにも悲しみにも似ていた。
「自我を失う」
さすがにヴェロアは耳を疑った。生徒を物のように扱って、あまつさえその売買を行っている。それが学校の裏の顔だったなどとは、思いもしなかった。
アイリーシェが後を引き継ぐように口を開く。
「さっき、洗脳を受けた生徒は高値で取引されるって、アリエスが言っただろう?
「あ、うん」
「当然だよ。どんなことでもいうことを聞く従順な道具なんだからさ。やつらにとっちゃね」
冷たい言いぐさに、怒りが渦巻いているのは明白だった。アリエス同様に、このアイリーシェもまた内に怒りを秘めているのだと理解する。
弾かれたように視線を、ソファーに横たわるミエリへと向けた。そして弱々しい口調の言葉が漏れる。
「まさか、行方不明になっていた生徒たちが受けていた特別指導って……」
傷のせいだけでなく、血の気が引き真っ青になった顔で、アリエスとアイリーシェを振り返る。
「そう、ヴェロアの考えてる通りだよ。それが洗脳だったんだよ」
アリエスの可憐な唇からこぼれた言葉は、真冬の雨のように冷たいもののように感じられた。
「そんなことって……」
「な? 普通じゃないだろ? その普通じゃないことに、十年前に気づいた美少女がいたんだよ」
アイリーシェが言い放った途端、アリエスの言葉が飛んだのだった。
「何勝手に脚色してんの!? 嘘ついちゃダメでしょ。嘘は」
「なんだって? いったいどこが嘘だっていうの。美少女だったでしょ。まあ、謙遜して『絶世の』とは付けなかったけど」
アイリーシェも負けじと返す刀で言い放つ。
そのやり取りに何か合点がいったのか、副校長はフクロウに向けて言葉を投げる。
「そうか、お前はアイリーシェ・セルトランか。どうりで口が減らないと思ったぞ」
「ふんっ、それは誉め言葉として受け取っておくわよ」
「確かに、最初に我々の企みに気づいた人物だったな。それでも、美少女ではなかったと記憶しているがな」
大きな翼をバサバサと羽ばたかせて抗議の意を盛大に示す。
「失敬な! 十年経って、もうろくしたんじゃないの? 副校長さん。あんたに気に入られたくはないから、良いけどね!」
「アイリーシェはね、教官に話を持ちかけられた時から怪しいと踏んでいたのよ。それで過去にも同じように、特別指導を持ちかけられた生徒が居ないかを調査し始めたの」
「そしたらどうだい、同じくらいの成績の生徒がこぞって同じ進路を辿っているとわかったんだよ。さすがに怪しさ百点満点だよ。なかにはご丁寧に自主退学扱いで、早急に戦地に送られた生徒も存在した」
不満といらだちを同居させたような表情を浮かべながら、口汚く言葉を吐きつける女性教官。
「何が悪いと言うの!? お前たちのような低能力者の能力を引き上げてやるのよ。感謝されこそされど、批難される云われなどないでしょう?」
「何言ってんのさ……」
その言い口に怒りを通り越して、ヴェロアの思いは呆れに達してしまうほど。
「それって、教育者失格なんだよね。生徒の能力を伸ばせませんって言ってるようなもんだもんね。まあ、生徒の能力をはっきりと見極められないんだから、その時点で失格なんだけど」
アリエスも小馬鹿にすように吐きつける。
「黙りなさい! 動けもしない小娘が!」
「あたしは自らが囮となることで、真相を突き止めようとしたのさ。でもまさか副校長が一番の糸を引いているとは思っても見なくてね。あたしは洗脳を仕掛けた副校長一派と、壮絶な魔法の応戦になった」
「だから脚色するなってば!」
「何でいちいち止めるのさ。せっかくいいところなのに、話の腰を折るんじゃないよ。この巨乳コンプレックス娘!」
予想すらしなかった一言を、よもや仲間のはずのアイリーシェから浴びせられるとは思っても見なかったのだろう。アリエスの青白かったその顔が、みるみるうちに真っ赤に変わっていった。
「だからわざわざあんなのに姿を変えてたんだろう?」
それが照れなのか怒りなのか。その真相を押し隠すようにアリエスは言うのだった。
「違うわよ! あれはたまたまあって、他に適当なのがなかったから仕方なく……」
その言葉はなぜか、語尾にいくにつれて力がなくなってゆく。
くちばしをわずかに開き、小首を左右に揺らしらアイリーシェは「どうだか」と返した。
よもやこの状況で二人の言い合いを目にするとは思ってもいなかった。ヴェロアもまた状況を失念すると、アイリーシェを一人と数えていいものか迷ったが、それでも質問を投げる。
「ねえ、二人は仲が良いの? それとも悪いの? 二人はいったいなんなの?」
「友達よ!」
「友達だ!」
図らずもそこだけは一致する答えが返ってきた。
今の今まで言い合っていたアリエスだったが、その表情にわずかに陰りを見せ、悔しさに満ちた声で言った。
「ワタシが駆け付けた時には、もう手の施しようがなかった…… アイリーシェは、一度死んだのよ」
「え?」
悔しさを最大限に携えた表情でそう漏らしたアリエス。
「それでもアイリーシェの魂をどうにか移動させようとワタシは考えたの。フクロウにすることが精一杯だったけどね」
「ホント、迷惑な話だよ。よりにもよって猛禽類だなんてさ」
「なによ。自由に空飛べるんだから、よかったじゃない」
「勝手に人類の夢を押し付けないで欲しかったわ」
アイリーシェの合いの手が入ると、どうにも話が進まないと感じる。しかし、そこに割って入って注意するなど到底出来るはずもない。アリエスの話が事実だとするなら、当然ながらアイリーシェとて怒りは存分に溜め込んでいるはずだから。
副校長に対峙する以上、二人の怒りをちゃんと受け止める必要があると、ヴェロアは考えるのだった。
「結果として、ワタシは捕らわれの身になり洗脳を受けることになってしまったの。どうにか魔力を駆使することで、すぐに洗脳が完了することは免れたけれど、それでも時間をかけて洗脳されれば、いずれは奴等の手に落ちてしまう。だからワタシは最後の手段として、自らの魂を肉体から分離させたの」
「ええ? そんなことができるの!?」
思わず上げた声に、くすりとした笑いに乗せた言葉が返ってくる。
「魂は入れることが出来るんだから、出すことも当然出来るでしょ? ちょっとコツはいるけどね。いずれそれも教えてあげるね」
それは見た目少女の、少女らしい笑顔と共にヴェロアに届いた。けれどもその笑顔に対して逆に、なぜか背筋にうすら寒いものを感じずにはいられなかった。
「ワタシは自らの魂をあの店まで飛ばして、魂の受け皿を探したのよ。そしてあの人形に憑依したの」
そこまで言い終えると、アリエスは頬を桜色に染めながらその先の言葉を続けるのだった。
初めて目にしたあの暴力的なまでにグラマラスなアリエスが、人形に自らの魂を憑依させた姿だったのだと納得した。
「たまたま、たまたまあの人形しかなかっただけなんだから……」
それはまるでイタズラがばれて、いいわけをする子供のように感じる。先程の二人のやり取りを思いだし、心の奥がほんの少しだけ和む。
「ホントかねぇ」
「本当よ! それでもいつか魔力がつきれば、魂は肉体に戻ってしまい洗脳を受けるか、もしくは永久的に肉体に戻れなくなるかしかない……」
「それで僕に依頼したんだね。その身体を探し物として」
アリエスは申し訳なさそうにコクンと頷いた。
「そのどちらの結果が待っているのかわからないけれど、魔力がつきるまでに肉体を取り戻す必要があったの。あのまま人形に憑依していても、タイムリミットはもう少し先だったはずなんだけど、思ったよりも時間がなくなってきてて……」
拳を握りしめ口を真一文字に結んだまま、ヴェロアは考えを巡らせていた。
アリエスが探していた肉体。それを探す時間は初めて出会った時には、すでにほとんど残されていなかったのだ。だから自分のような出来損ないにすがるしかなかったのだと。
すると途端に、そんなアリエスに応えるだけの力がない自分が、非常にもどかしく、腹立たしく、不甲斐なく思うのだった。そしてそう思えば思うほど、アリエスを見ることが出来なくなり、視線を床に落とすしか出来ないのだった。
「ごめん、アリエス」
自分でも情けないほどの弱々しい一言が漏れる。
「え? 何を言って……」
「僕の実力が足りなくて…… 僕みたいな出来損ないで…… もっと時間があれば、僕なんかよりもっとすごい人に助けを求められたのに。もっと時間があれば、キミを助け出せるだけの力が僕にもついたかもしれないのに……」
驚きの表情に、悲しさをトッピングしたような表情を浮かべるアリエス。
言葉が口をついて出る毎に、ヴェロアの背中が小さくなっていく。不甲斐なさに震える丸まった背中にその声が届く。
「違うよ! ずっと待ってたの。ワタシを助けてくれる力を持った人を、何年も待ったんだ。色んな人が街にやって来るのを、ずっと占ってたんだよ。そんな時キミがこの街に来ることを占いで知って、ワタシがどれだけ喜んだことか……」
「アリエス?」
上げた視線がアリエスと重なった。その潤んだ大きな目をみるとわかる。それはアリエスの心の底からの気持ちなのだということが理解できた。
「ワタシのわがままでこんなことに巻き込んでおいて、こんなムシのいいことを言えた義理じゃないんだけど…… 勝って、ヴェロア! キミなら出来るの。ううん、今この街にいる大勢の人のなかで、キミにしかできないんだよ。だから…… だから……」
ドクンと、その言葉に真っ先に反応した心臓の鼓動がわかる。何度も何度も、それは繰り返す毎に強さを増していく。まるで心臓が、心が、肉体を、脳を煽っているかのように。
「別れの挨拶はすんだのかね? ちゃんと話が終わるのを待ってあげるなんて、教育者の鏡だとは思わんかね?」
「何が教育者の鏡さ。どの口でいうのさ」
「ほう、多少はいい面構えになったじゃないか。ただいかんせん今の君では力不足だ。どう足掻いたところで、君たちに勝ち目はないのだよ」
ギリリと歯噛みするヴェロア。残念なことに副校長の言葉はその通りでしかなかった。どうしたらいい、どうするべきなのかと考えるが、答えなどまるで浮かばない。どうしたところで自分には逆立ちしても太刀打ちできない、そんな状況にあることは変わらないのだった。
スッと女性教官が歩み出るのを、副校長が制する。
「ドルモア様? 何を?」
「ここは私が相手しようではないか。勇敢な少年、君に引導を渡すためにだ」
女性教官にすらまともに反撃もできなかった自分が、副校長を相手にしなくてはならない。教官レベルではない未知の力を思うと足がすくむ。
だがいずれにせよ副校長を倒さなければ、自分たちが助からないのは明白なのだ。詰まるところそれが遅いか早いかの違いでしかないと、ヴェロアは腹を決めるのだった。アリエスが出来るというのなら、それを信じるしかない。アリエスが信じてくれた能力を信じる。
無理だと決めつけて諦めてしまったら、アリエスもアイリーシェも、そしてミエリも見捨てることになるのだ。
そうと決意すると、ヴェロアはあらゆる可能性を模索する。
基本魔法の打ち合いでは、まるで勝ち目は見いだせない。もしも可能性があるとするなら、それは召喚憑依魔法しかないだろう。
アリエスが見出だしてくれて、教えてくれて、期待してくれたその能力。だがそれも、絶対的な切り札とは言えない。属性にとらわれない分、精霊エナジーの収集時間は短縮されたが、それを憑依させ魔法を完成させるためには、より精度の高い依り代が必要になる。
副校長の調査に使った程度の従者では、戦闘はこなすことなどできないし、何より召喚までの時間がかかる。その間に消し炭にでもされてしまうことは明らかだった。
依り代を一から作ろうにも、それはセンスの問題から、魔法を使うよりも何倍の時間が必要になる。考えれば考えほど、状況はどれもこれもよくはないのだった。
ヴェロアが手をこまねいていると、副校長は右手をかざして魔法を放つ構えをとった。
「愚者に正しき道を示さん。導く光の教戒!」
途端、仄に光だしたその手から、無数の細い光が発生する。精霊エナジーを集めていた節も、それを練っていた節もない。瞬時にその両方を行ったのだと理解したときには、恐るべき早さでヴェロアの身体を貫通した後だった。
「うっ、うわぁぁ!」
勢いに耐えきれず、折れた枝のようにヴェロアの身体は床に打ち付けられる。新たに作られた傷に血が滲むと、肩や足や腹、その数は実に十にも及んだ。遅れて激しい痛みが全身を駆け巡ると、意識を保つのがやっとだった。
「うっぐ、いぐぁぁ……」
「ヴェロア!」
アリエスの悲鳴が耳に届く。女性教官から受けたものも含め、出血量がやや多くなりすぎたのかぼやけて定まらなくなる視界。痛みで正常値にはほど遠い思考で、それでもあれこれ可能性を貪る。
同じ技はもう一度喰らえば、間違いなく命を落とすことだろう。予想していたことではあるが、副校長の魔法は教官のそれとはわけが違った。早さも、威力も、そして無慈悲さも。
先ほどの光の魔法は、決めるつもりがあるのならそれで勝負は決まっていた。だが副校長はそれをしなかった。あれだけの数の魔法なのに、ヴェロアの胸部、心臓付近には一発も飛んでこなかった。
副校長は勝ちを急ぐことよりも、ヴェロアがもがき苦しむ方を選択した。そう理解した途端、さらなる怒りが湧き起こる。もうこれ以上怒りの上乗せはないんじゃないかと思っていたことが、あっさりと覆された。
そして隙を見て従者を召喚して、そちらに気を取られている間に依り代を。などと考えていたことが露と消える。そんな子供だましでどうにかなるような相手ではないことを、肌で感じたのだった。
だからといって「はい、ダメです」と諦めて降伏などできやしない。
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