第17話

 

【十七】

 

 決意の表情を浮かべ、アイリーシェは体育館までやって来た。今日は休みであるため校内に人の気配はなく、そこまで誰とも出会うことはなかった。


 わざわざ休みの日に学校にきた理由は他でもない、特別指導なるものを受けるためだった。


 だがそれはあくまでもそういう名目というだけであって、その特別指導がもっと違う別の目的によって行われていることを、アイリーシェはすでに周知していた。そしてその上で、あえてこうしてやって来たのだ。


 得たいの知れない生物の断末魔のような軋み。それを辺りに響かせる重い鉄の扉を引き開けると、淡い栗色の髪を揺らめかせて覗き込んで中に人の姿を探す。さしものアイリーシェも、すぐに足を踏み入れる勇気を今は持ち合わせてはいなかった。


「失礼しまーす、アイリーシェ・セルトランです。特別指導を受けに来ました。誰かいませんかー?」


 警戒はしながらもあくまで平静を装って名乗りをあげる。音が去り、再び静まり返った体育館に、今後はアイリーシェの声だけが響く。


「いなかったら、帰りますよー……」


 半分冗談ではないその先をボソリと続けてみる。


「ああ、待っていたよ。アイリーシェ君」


 ガラリと奥の扉が開けられると、中から出てきたのは教官が一人だけだった。コツコツと足音を響かせながらやって来た教官のその顔は、必要以上に笑顔で、それがかえってアイリーシェの警戒心に火をつける。


「やあ、よく来てくれた。休みなのにすまないね」


 後に続く者がないかに注意を払っていたアイリーシェは、この特別指導は目の前の教官が一人で行うのだと理解した。


 そんなアイリーシェに向け、くどいほどの笑顔で話を急ぐ。


「もうわかっていると思うけど、これはキミの基礎能力を引き上げようというものだから」


「はい、もちろん理解しています」


 基礎魔法でわずかに手こずっていたアイリーシェは、数日前にこの特別指導の話を持ちかけられたのだった。


 いつまでも基礎でつまずいているわけにはいかないだろうと教官が話すと、やはり自分のできに問題を感じていたアイリーシェも、それには納得させられるところがあったのだ。


 しかしそれがあくまで建前であることを、アイリーシェは親友のアリエスと共にすでに調べあげていた。


「うん、苦手な分野をなくすことが出来れば、それは君の目標に近づく大きな一歩となるわけだからね」


 まるで聖人を気取った恩着せがましいいいぐさだという思いを、アイリーシェは湧き上がる憤りと共に隠す。


「この特別指導は決して難しいことをするわけじゃない。あくまで授業の延長というようなものなので、そう固くなる必要はない」


 努めて平常を装っていたつもりだったが、わずかな緊張を見透かされた。そういった意味の緊張を隠し持っていたわけではないが、そんなことで精神的優位に立たれるのも非常に癪だと感じ、上目使いに髪と同じ栗色の双眸で教官を捉えると確信に迫る一言を投げつけた。


「でもそれって、あたしの思ってるのとは違う手段で行うんですよね? それを教育と言っていいのかなぁ」


「なにを言っているんだい? それはどう言うことかな?」


 あくまでしらを切り通すつもりでいる教官を見て、腕組みしたアイリーシェは得意気に口角の端を持ち上げると「ふふん」と笑う。そして調べあげた事実を一つづつ提示していく。


「あれ? 変ですね。あたしくらいの成績で特別指導を受けたっていう生徒は、過去にもたくさんいましたよねぇ。ここ数年でもざっと三十人を越えるくらいの生徒たちが。しかもその全てが同じ進路を辿ったっていうね」


「ど、どこでそれを……」


 たまらず口にすると、それが事実だと認めた瞬間でもあった。さすがの教官も顔色を変えざるを得ないようだった。悪事を知られたのだから、それは至極当然の反応。


「まあ、調べさせてもらいましたから。色々と…… ね」


 笑顔を見せつつも、あくまで飄々と言い放つ。それは相手が教官一人であるならばという余裕からくるものだった。


 仮に戦闘になったとしても、簡単に落ちるとは思わないし、最悪でも逃げ出せるという目論見がアイリーシェにはあった。魔法学校の教官たちにはまだ知られていない、アリエスとの特訓の成果が。


「あたしみたいなのが言うのもなんですけど、苦手を無くして平均的な能力の生徒を量産するのって、教育としてはどうなんでしょうね? まあ、戦場に送る駒としては、それはそれで申し分ないんでしょうけど…… それは教育とは、かなり違いますよね?」


「何が言いたい? 何が目的だ?」


「当然、公表しますよ? もちろん、洗いざらい全てをね」


「そんなことができると思っているのか?」


 全く想像通りの返答に、呆れたアイリーシェはゆっくりと首を振る。


「ウーン…… 出来るか出来ないかじゃないんですよ。やるかやらないかなんです」


「ほざくなよ、入学金を払った落ちこぼれ風情が」


 にたりとした笑いを浮かべて言う教官に、落ちこぼれの生徒一人をどうこうするくらいは容易いと考えているのがわかる。


 確かに自分は入学の試験には落ちたし、辛うじて金貨一万枚という大金を支払って入学したのは紛れもない事実。


 それでもこの学校に来て、クソ生意気で不器用で、しかし最高の親友に出会うことができた。それがきかっけとなり、魔法の能力も一気に開花した。基礎授業をただこなし、結果だけを見ている教官ごときには、想像すら及びもつかないだろう。その思いをこれでもかというほど表情に乗せる。


「試してみますか? 本当に落ちこぼれかどうか」


 アイリーシェはそう口にすると、揃えた指先をクイクイと動かし「かかってこい」と挑発する。


「ふんっ、面白い。後悔するなよ」


 もとよりそのつもりであったのだろう教官は、すでに魔法を放つ準備は整っていた。


「風の精霊たちよ。我が前に立つ罪人に気高き罰を与えたまえ。吹き荒れろ、誅罰の陣風!」


 言うが早いかバッと両手を向け魔法を放つ教官。それによって突如周囲から巻き起こったつむじ風が、アイリーシェに襲いかかる。


 先を越されはしたが、それをただ呆然と受けてやるつもりはない。


 アイリーシェ負けじと、魔法でそれに対抗する。


 わずかな時間で精霊エナジーを集めたアイリーシェは、それをいとも容易く魔法に変えると、右手を突き出して発動させる。


「大地の精霊。雄大で深く優しい懐に、我が身を包み込まん。大樹の障壁!」


 そのまま天に突き上げるようにして右手を掲げると、足元から上がってくる光がアイリーシェの身体を包み込んで、それは見事な大樹へと変化する。


 教官が放った魔法の風をもろともせずに、光の大樹はしっかりとアイリーシェを守った。


「なんだと?」


 悪い夢でも見た後のように両の眼を剥いた教官。それもそのはず。アイリーシェの魔法は、自ら精霊と同化して魔法の効果を高めるという高等魔法なのだから。


 それが入学して一年と経たない、おまけに入学金を支払った落ちこぼれの生徒に扱えるなどとは、まさに夢にも思わなかったことだろう。


「バカな! なぜ貴様ごときに高等魔法が使える?」


「バッカねぇ、乙女の秘密を、そう簡単に教えてあげるわけないっしょ」


 アイリーシェは眉根を寄せて舌をだす仕草を見せると、そう吐き捨てたのだった。


「ふざけるな!」


「誠実なる水の精霊よ、悪しき者に抗う力を我に。貫け、迸る水神の矛」


 怒りのあまり完全に油断していた教官。その一瞬の隙をつくと、アイリーシェは反撃となる攻撃魔法を放つ。


 つきだしたてのひらの先から勢いよく発生した何本もの水の渦は、それらがさらに絡み合うように螺旋を形成すると教官を襲う。


 さらなる驚きを見せた教官は、逃げるということすら思考から削除されていたようで、ただただ声を荒げるだけだった。


「水と土の高等魔法両方を操るだと! なぜそんなことが? あり得ん、あり得んだろうがぁぁぁ」


 立ち尽くしたままの教官に魔法が命中する瞬間、絡み合った渦がほどけると腕や腿、そして腹を無惨にも貫いた。


 あまりの勢いに教官の身体は、成す術なく流されて転がる石ころのように、床を何度も跳ねた。そして奥の壁にしこたま叩きつけられると、やっとの思いで顔だけを持ち上げる。


「ウソだ…… 出来そこないが、なぜこんな…… こんなバカなことがあるわけが」


 それは土と水という、本来対局な位置にある相容れない二つの魔法を、しかもその上位魔法を使いこなしたことへの驚きによって出た言葉。


「乙女の成長ってのは、神秘でいっぱいなのよ。今日のか弱い乙女が、明日も可憐な乙女でいるなんて思わないことね。そんなこともわからないようだから、女性にモテないのよ。理解した?」


 ふんっと、腕組をして吐き捨てるアイリーシェだったが、思いがけず聞こえてきた声に、突如起こった春の嵐のような衝撃が全身を走った。


「何と無様な格好か…… どうやらお前では相手にならないようだな」


 チリチリと凍りつくように冷静な口調に、わずかに身を縮めるアイリーシェ。空気が一瞬にしてヒリつくのが、嫌というほどに伝わってくる。


 もちろんその声には聞き覚えがあったが、よもやここでそれを耳にするなどとは思ってもみなかった。


「うっわ…… ドルモア副校長……」


 黒みがかった銀の髪を後ろで纏めた体躯のいい男。まさに紛れもない学校のナンバー二のその人だった。


 二度三度大仰にうなづいてことの次第を理解したアイリーシェは、努めて冷静を装って言葉を発する。


「そんな下っ端に大それた計画などできやしないと思ってはいたけど…… ああ、なるほど。裏で糸を引いていた大物は、貴方だったってわけね。副校長さん」


 余裕の態度を見せるアイリーシェ。しかしそれとは裏腹に、深刻な事態を迎えてしまったと心臓はもはや爆発寸前だった。どうにかそれを悟られまいとする。教官一人程度ならば、どうにでもなるという自信はあった。それは目論見通りで、見事に教官を退けることにも成功した。


 だがそれがドルモア相手となると、話は大きく変わってくる。かつては宮廷魔術師団にいたこともあるほどの人物であり、さらに頭の痛いことに、アイリーシェは魔法を使うところも見られてしまっている。些細な油断も期待はできないのであった。


「あーらら、参ったわね……」


 まさに状況は絶体絶命と言えた。しかしこのまま逃げることはもはや叶わないとなれば、方法は一つしかない。


「先手必勝! 水の精霊よ。彼の者の暴虐に、怒りの涙を流したまえ。慈悲深き女神の涙雨!」


 手をかざし叫ぶ。それがアイリーシェの出した結論だった。


 刹那、ドルモアの頭上から数多の雨粒が降り注ぐ。それは沸騰したように、はたまた硫酸のように、相手の身体に触れた途端ダメージを負わせる魔法。


 精霊エナジーをいっさい集めている素振りを見せなかったドルモアに、今からでは防ぐ魔法を発動するのも間に合うはずがないと確信する。アイリーシェはその攻撃がドルモアを捕らえることを信じて疑わなかった。


 ところがその希望は、無惨にも打ち砕かれることとなる。


「火を司る精霊たち。我が身に降りかかる悪意を飲み込みたまえ。猛る煉獄の火柱」


 落ち着き払った口調で、右手をスッと挙げた。


「な! ウソ……」


 すると目の前の大気が揺れ、ドルモアの身体も揺れると、それが陽炎によるものだと理解したアイリーシェ。


 そしてドルモアを中心に巻き起こった火の渦が、あっという間にうねる火柱となって雨を消し飛ばしたのだった。その勢いでわずかに四方に飛散する炎の塊を、アイリーシェも痛んだ教官もすんででかわす。


「どうして…… 一瞬にして魔法を放つなんて」


 そんなことは「ありえない」と言おうとして言葉を飲んだ。


 稀代の魔術師として名を馳せた校長にこそ及ばないものの、それでも数々の実績を残してきたドルモアを相手にしているのだと思い直す。到底推し量ることもできない力を持っていたとしても、何ら不思議はないのだ。


 さしもの実力差に、アイリーシェは額に冷や汗をにじませる。


「おやおや、さっきまでの威勢はどうしたかね?」


 せせら笑いを浮かべて蔑視するドルモア。


「これでも状況を把握する力と、相手を見極める目は持ってるつもりなのよ。そこに転がってるダメな教官とは違ってね」


 顎で教官を指し示して盛大に負け惜しみを吐くと、その言葉を受けたドルモアも教官に一瞥をくれた。そして面白がるように「まったくだ」と声をあげて笑う。


「水の精霊たちよ、悪戯者に仕置きをもたらしたまえ。抑留する水面」


 するとまたしてもドルモアは、わずかに手を振る仕草を見せただけで魔法を放つ。その行程があまりにも早すぎるため、回避や防御といった判断が鈍り、ゆえに行動がどうしても一呼吸遅れてしまう。


 突然襲った足首まで浸かる水の感触に目を落とすと、アイリーシェは目を疑った。一瞬にしてできた水面がそこに広がっていた。それが涼しげな気持ちのいいものだったのはそこまでだった。


 次の瞬間、その水面はビキビキと音をたて一気に凍りついた。アイリーシェの両足を飲み込んだままで。


「な! そんな、ウソでしょ?」


 よもやの事態をアイリーシェは予見することが出来なかった。そのためまんまと囚われの身になってしまった。いくら身をよじろうとも、足を抜こうともがこうとも、その拘束から逃れることができない。


 それでも最後の強がりで、キッとドルモアを睨み付ける。


「まあ、そんな顔をするものではない。大人しくしていれば命を落とすこともない。学校の名誉の一端を担えるのだ。誇りに思いたまえ」


「何をぬけぬけと、そんな言葉が吐けたもんね」


 言葉返しながらアイリーシェは、反撃のために精霊エナジーの収集と魔法への変化をわずかな時間で行っていた。


「そんなもの、はい、そうですか。なんて納得できるわけないでしょ! 荒れ狂え、風の精霊よ! 堕天使の息吹!」


 突撃を指示するように腕を振るうと、アイリーシェの背後には確かに天使のような姿をした風の精霊らしきものが現れる。それによってドルモアの周囲の空気がにわかに動き出すと、渦を描くように四方八方から勢いを増して一気に襲いかかる。


「ちっ、まだこんな手を残していたのか。確かにそこの無能な部下よりは、何倍も優秀かもしれんな」


 そんな余裕を漏らすドルモアは、それに対抗する魔法を繰りだす準備はすでに万端の様だった。


「仕方がない。望み通り死んでもらうしかないようだ」


「そんなこと望んでないわ!」


 そんな返しも華麗にスルーすると、右手を突きだしてアイリーシェを指差す。


 ドルモアの口から、魔法を発するための言葉がはかれる。


「荒ぶる火の精霊。彼の者に大いなる後悔と絶望を。湧き立て、火蜥蜴の咆哮」


 魔法に対し身構えるアイリーシェ。ところがすぐには何の変化も周囲には起こらなかった。


「一体何をした。確かに魔法を放ったはず……」


 いぶかしむアイリーシェ。だがその魔法の効果は、確実に発生していた。アイリーシェの体内で。それはなんとも無慈悲で凶悪な魔法だった。


「う? うぁぁぁぁ!」


 目を剥き、天を仰ぎ、アイリーシェは突如苦悶の悲鳴を挙げる。喉を掻きむしらんばかりに指を突き立てる。


 それで苦痛が和らぐことなどありはしないのだが、叫びはもはやアイリーシェの意思とは無関係に繰り出されるようになっていた。


「あああ……」


 そんな魔法が存在することすら知らなかった。アイリーシェにはなにが起こっているのかわからないが、依然としてその苦痛を内側から起こし続ける。


『熱い。身体が…… 焼けるように、なかから、燃えていく……』


 その感想の通り、まさに今、アイリーシェの全身の血が沸騰しているのだった。喉を通って吐き出される息が、炎に変わったかのようにとても熱く感じられる。


「あぐぅぅ……」


 それまで経験したことすらない痛みと、そこからくる恐怖に、ただ呻き声を漏らしてはすぐに歯を食いしばって耐えようとする。


 逃げ出すことはおろか、その場にのたうち回って痛みを誤魔化すことすら許されないのだった。


 全身を揺らし掻きむしることで、どうにか耐えていた。しかし耐えたところで、状況がよくならないこともまた明明白白だった。


 さらにそんなアイリーシェを絶望の縁に追いやる一言を、ドルモアは吐いたのだった。愉しむような冷淡な笑みを添えて。


「いつまでそうして耐えていられるかね? その魔法は、やがて魂をも蒸発させるのだよ」


 苦痛に辛うじて耐えていたアイリーシェは、その宣告を受けて憎悪にまみれた視線を飛ばす。


 今にも手を叩いて喜びだしそうなドルモアを少しの間睨み付けていたが、アイリーシェはその口を開くと、罵声や怒号を浴びせるのではなく、弱々しく言葉を漏らした。


「ごめん、アリエス。来るな。あたしのことはいいから…… 来ちゃダメだ」

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