第4話

 

【四】


 魔法の基本——それは大気中から必要な精霊エナジーを集め、次いで使用する魔法へと構築し、最終的に魔法として放つ。大きく分ければ、その三つの工程からなる。

 それらの作業をいかにスムーズに行えるかがフェリアーニ魔法学校での評価であり、いわゆる「魔法ができる」ということなのだ。

 

 たとえどれだけ魔力を秘めていようが、またどれだけ規模の大きな魔法を扱えようとも、素早く行うことができなければ決して評価はされない。魔法をスムーズに扱えるか——実用性の高低が、最も大きな意味を持っていた。

 当然ながらそれは、魔法学校の試験にも当てはまる。


「それでは今度は風の魔法を試してみましょうか。準備はいいですか?」

「はい!」

 

 柔和な表情で、優しさを身体中からあふれさせているかのような試験官の指示に、ヴェロアは固い表情を崩さずに答える。

 年格好からすれば間違いなく祖父よりも上であろう試験官。教育者としていまだ現役でいるということは、相当な魔法士であることは疑う余地もない。それだけで普段のヴェロアなら臆してしまうところだが、今日に限ってはそれすら感じることはなかった。


「風の精霊エナジーを大気中から集めるのです。精霊たちから、少しずつエナジーを分けてもらうのですよ」

 

 ヴェロアは今、魔法学校の入学試験の真っ最中。試験が行われるのは、魔法を介する特殊な装置によって作られた閉鎖空間の中だ。その大きさは一辺がおよそ25メートルの立方体で、そこには何も存在しない——いたってシンプルな空間である。

 

 当然試験は一対一で行われるので、外野に集中を乱されることはない。内容は魔法を使った派手な戦闘などであるはずもなく、単に基礎能力を見るためのものだった。


 ヴェロアは顔の前に両手をかざして集中すると、試験官の言葉に倣って大気中から精霊エナジーを集めていく。

 

 大気中には四大元素と呼ばれる、火・水・風・土の精霊エナジーが存在する。それらは魔法を扱ううえで無くてはならないものであり、集めた精霊エナジーを自らの魔力で魔法へと構築するのだ。

 魔法の属性は、四大元素魔法に加え光と闇という二つを合わせた計六つに分けられる。しかし光と闇の精霊エナジーは存在せず、それは四大元素の細かな組み合わせにほかならない。さらに術者が持つ精神状態や意思が関わることによって変化するのだが、その二つの魔法に関しては基礎には含まれないほど、難易度の高い特別なものとされていた。

 

 そして当然のことながら、大気中にはさまざまな精霊エナジーが混在しているため、その中から目的の魔法に必要なものだけを集めるのは決して容易ではない。そうして集めた精霊エナジーの純度もまた、魔法成功の鍵となるのだった。


「いいですか? このとき純粋に風の精霊エナジーだけを集められれば、より早く、より強力な魔法を使うことができます。系統の得意・不得意は、この精霊エナジーを集める速さで決まるとも言えます。例えるならば——“精霊に好かれているかどうか”、でしょうか」

 

 試験官のアドバイスに耳を傾けつつ、ヴェロアも大気中の精霊エナジーを探る。

 

「大気に宿りしあまたの風の精霊たちよ…… 僕の力となれ」

 

 ヴェロアは意識のすべてを風のイメージに費やす。自らを必要とする元素と同じだとイメージすることで、精霊をより身近に感じる。そうして精霊との距離を縮め、エナジーを集めやすくする——とは、子ども向けの魔法基礎教本に書かれていたこと。


「できましたね。そうしたなら今度は、集めた精霊エナジーを脳内で使いたい魔法のイメージとして形にしてゆきます」

「はい!」

「慣れないうちは、目を閉じた方がイメージがぶれなくてよいでしょう」

 

 試験官の指示どおりに目を閉じ、風の魔法を頭に思い描く。自らの身体を風に溶けこませる、そんなイメージを持つ。教官の助言は子ども向け魔法教本の内容と何ら変わらない。すべて基本の中の基本——ヴェロアも当然、頭では理解していた。


「うん、なかなかいいですよ。精霊エナジーを構築できましたね。最後にそのイメージを放出してみなさい。ここでもまた、イメージを保ったままで行うとよいでしょう」

 ヴェロアは身体の前に両手を突き出すと、たっぷり時間をかけて構築した精霊エナジーを、つむじ風のイメージへと変えてゆく。

 意識を指先にまで届かせ、ぽつりと一言。

 

「巻き上がれ…… 風よ」

 

 と呟いた。しかしここでもまた、集中を保ったまま魔法が現れるのを待つことになる。

 それから、早くなった鼓動が40回ほど焦りを刻んだところで、ようやく地面付近の空間が揺れ始め、次第にそれが大きくなっていき、つむじ風が姿を現した。


 一連の流れをじっと注視していた試験官は「なるほど……」と漏らすと、手にしていたノートをおもむろに開き、そこに何かを書き込んでゆく。その表情があまり芳しくないことを、ヴェロアは見逃さなかった。

 それがすべての工程の採点であり、とても残念なものなのだということは想像に難くない。


「なるほど。ヴェロアくん、魔法を発生させることはできるようだけど、すべてにおいて時間がかかりすぎていますね」

「……はい」

 

 身を縮めるように返事をするヴェロアは、まともに試験官の顔を見ることもできずに視線を落とす。上級魔法の中にそんな効果を発するものがあるのかどうかはわからないが、いっそこのまま風に溶けて消えてしまいたいとさえ考える。

 

 改まって指摘されるまでもなく、それは明確な事実としてヴェロアも痛感していた。好き勝手に魔法を操っていた時には気づかなかったが、こうしてスタートを区切られると、自分の魔法発生までの工程がいかに遅いかを現実として突きつけられるのだった。

 自然と目頭が熱くなると、拳を極限まで握りしめて自らの力のなさに唇をかむ。自分に天地をひっくり返すような稀有な才能があるとまでは思っていなかったが、よもやここまでできないなどとは想像すらしていなかった。

 

 狭い村の中だけで世の中というものをまるで知らなかった自分が、恥ずかしさや情けなさを通り越して、ひどくみじめな気分になってゆく。

 すでに火の魔法・水の魔法とも同じ結果を重ねたヴェロアは、誰の目から見てもわかるほどに落胆しきっていた。


「ヴェロアくん、まだ最後に土の魔法があります。どんな人にも得意・不得意はあります。むしろ何でも高いレベルでこなせる人の方が珍しいのですから」

 

 そんな様子をさすがに不憫に感じたのか、試験官はもっともらしい言葉を穏やかな表情で口にする。

 しかしそれが気休めにもならないことは、当の本人が一番わかっていた。

 

「たった一つでもずば抜けた得意分野を持っていれば、それを極めるだけでも十分に一流としてやっていけます。あきらめないでがんばるのです」

「……はい」

 

 何とも情けないほどに薄弱な返事しか出てこないが、それでも試験官の励ましを受けると、最後となる土の精霊エナジーを集めることに集中する。

 ここまでやって来たのだから、最後まで希望を捨てることなど簡単にはできないと、いままで以上に気合いを入れて土魔法に挑んだヴェロア。

 しかしながら、結果はまったくといっていいほど一緒だった。


「うーむ…… これは本当に困りましたねぇ」

 

 腕を組み、顔をしかめたままそうもらす試験官。白髪姿と相まって、とても重大問題に悩んでいるようにも感じられる。その態度が物語るように、試験は惨憺たるものだった。もはやただうつむいて自分の足先を眺めることしかできないヴェロアに、試験官が匙を投げる代わりに質問を投げた。

 

「基本となる四大元素魔法のどれもが突出していないという人も、決して珍しくはないのですが…… それでも、よもやこのレベルでとなると。エナジーの収集・構築といった基礎は理解できているようですし、魔法自体も発生させることはできています。まったく出来ていないわけではないとすると、何か思い当たる節はありますか?」

 

 聞かれたところで、どう返事をしてよいものやら困ってしまう。それはむしろこちらの方が聞きたいほどである。

 

「いえ、特に思い当たることは……」

 

 弱々しく首を振る。当然ながらそれがわかっているのなら、学校になど来ずに原因を直したり、それにとらわれない方法を模索した方がよほど有意義なのだから。

 

「そうですか…… 原因がわからないとなると……」

 

 言葉尻を濁す試験官。むろん結果など聞くまでもなかった。

 基本となる魔法がこの有り様だと、その上の魔法を使えるまで上達するには、気の遠くなるような時間と、言い表せないほどの努力が必要になる。そんなことは、怪我をすれば血が出て痛いというくらい当たり前のこと。

 

 詰まるところ自分には「才能がない」ということなのだ。

 悔しいが、そう結論づけるほかなかった。自分の不甲斐なさが、根拠のなかった自信が、その身を引き裂かんばかりに襲いかかってくる。いっそすべての記憶すら抹消してしまいたいほどに。


 試験官はパンと手を一度打つと、もはや揺るぎないほど明らかな結果を告げる。

 

「それでは今回の試験はここまでとしましょう。ヴェロア・サルトルアくん。残念ですが、結果は不合格となります」

「……はい」

 

 わかっていたこととはいえ、それでもその言葉を突きつけられると力が抜け、がっくりと肩が落ちる。

 そんな落ち込みきったヴェロアに、試験官は最後に一言こう投げかけた。

 

「ですが…… それでも魔法を学びたいという気持ちがあるのならば、一つだけ入学できる方法があります」

「え?」

 

 もはや精気も抜けきってしまっただろう身体に最後のむちを入れ、どうにか顔を持ち上げると、ヴェロアは覇気のない視線を試験官に向けた。深刻なまでの困り顔はもうそこにはない。ただの優しそうなお年寄りの笑顔へと変えた試験官。

 

「金貨1万枚あれば、特別入学が可能になります。魔法を学びたいという気持ちを、私どもは決して無下にはいたしません」

「い、1万枚…… ですか」

 

 その言葉を聞くや否や、血の気がさーっと引いていくのが自分でもわかった。放心したまま次の句が出ないほど、金貨1万枚というのはヴェロアにとって気の遠くなる金額だったのだ。

 田舎で農作業にいそしむ両親と四人の兄。その全員が稼ぐ金貨は一年で約4,000枚。それでも決して贅沢などできない暮らしが、かろうじて保たれるくらいでしかない。

 

 わずかに芽生えた希望さえも、一瞬にして露と消えた。もはや立ち直ることすらできないほど、完璧に打ちのめされた気分。


「期限は明日の夕刻までです。わたくしどもフェリアーニ魔法学校では、どんな生徒であってもその魔法能力を開花させる知識と技術を持っています。きっと楽しい学校生活と未来を約束できます。どうか一考してみてください」

 

 試験官がヴェロアと対照的な笑顔を浮かべてそう言うと、閉鎖空間が解除された。静かだった空間から解放され、次第に周囲の喧騒が耳に飛び込んでくる。

 失意のどん底に叩き落とされたままのヴェロアは、気がつくと学校の校庭に集まった受験生のただ中に戻っていた。

 

「はぁ……」

 

 深いため息を漏らすと、両膝をかかえて落ち込んだ。いっそこのまま、物を考えぬ岩にでもなってしまいたいとさえ思う。


 試験はすべて閉鎖空間で行われるため、他人がその様子を知ることはできない。そのため合否を推し量るには、試験終了後の当人の様子から判断するしかなかった。

 今のヴェロアのように明確に落ち込んでいる者は、当然のごとく不合格だとわかる。近くの教官や顔見知りの受験生同士で談笑している者については、こちらは合格と思って間違いはない。

 

 そして、そのどちらともつかない表情を浮かべている者。結果自体は不合格ではあるものの、まだ金貨1万枚という入学金を払える可能性を持った者だろうと、ヴェロアは考察する。

 

「まだ可能性が残っている人たちなんだ…… いいなぁ」

 

 金貨1万枚など、逆立ちしたところで到底支払えないヴェロアのような者は、そうしてうらやみ、ただただ落ち込むことしかできない。

 

 その額がいったいどういった基準でもとめられたのかはわからないが、考えれば考えるほどにため息は底無しに湧いて出るのだった。もはや何度目かもわからないため息が吐かれると、ヴェロアはふとあることに気がついた。

 何とはなしに目を向けた先にいる、談笑を交わす合格したとおぼしき受験生たちに共通する事実に思い当たり、首をかしげる。

 

「たぶん試験に合格した受験生なんだろうけど…… やけに身なりが良い人たちばかりだ」

「あれはマルグラートや付近の街の貴族なのよ」

 

 ヴェロアのこぼした疑問には、思いがけず早くに答えが示された。声のした方に目をやると、こちらも試験を終えたらしいミエリが柔弱な笑みを浮かべていた。

 なぜ貴族限定なのかと考えながらも、すでに意識はミエリの表情が浮かないことに向いている。あまり傷口を広げるのもいかがなものかと思ったが、そこは自分も不合格の身。下手に気を使うのもかえって不自然かと考え、自嘲しながら声をかける。

 

「試験はどうだった? 僕はやっぱり不合格だったよ。わざわざここまで来たのに、全く才能がないという事実を突きつけられただけだった。全然ダメダメだ」

 

 ミエリを気にして自虐的な雰囲気に持っていく。だが、うつむき加減のミエリは、金色の前髪に見え隠れする瞳を曇らせていた。顔を向けることなく「うん」と短い言葉だけが返ってくる。

 そんな落ち込むミエリを前にしても、ヴェロアには慰めるだけの言葉が、その経験値がないのだった。いっそ笑ってくれた方が話を続けやすかったが、そんなことは言っていられない。

 

 もちろん不合格なのは自分も一緒なのだから他人の心配をしている場合ではないのだけれど、それでも元気のないミエリを見ると、無性に胸が痛むのだった。


 かける言葉を探しながら、無粋と思いつつもヴェロアは合格者たちの会話に聞き耳を立てた。

 

「お父上には、以前にもお世話になっているからね。入学したら頑張ってくれよ」

「ええ? 手加減してくださいよぅ」

 

「ダメダメ。お父上から、みっちり鍛えてくれと言われてるからね」

「そんなぁ…… ひどいな、教官」

 

 ミエリの言葉を裏づけるかのような会話内容。試験官と面識のあるということに疑いの余地はない。


「貴族と学校の間には、昔から深いつながりがあるの。学校は貴族の学生を宮廷魔法士にしたり、大きな街の魔法医として送り出したり。その見返りに貴族からは多額の寄付をもらう。そういった持ちつ持たれつの関係なの。だから貴族には、端から上級クラスの入学が約束されているの」

「え? でも、それって……」

 

 ヴェロアの頭に「ズルじゃないか」という思いが湧き上がった。だがすぐに、試験の最後に試験官が示した「金貨1万枚」という言葉がよぎる。それとて有り体に言えばズルだ。それにすがることができないからといって、貴族たちの行いをズルいなどと言う資格は自分にはない——と、ハッとする。

 

 隣に並んで同じように膝をかかえるミエリは、その視線をどこでもない遥か遠くに向けながら、やりきれない様子で続けた。

 

「だから魔法学校の試験に受かるためには、貴族になるか、大きく秘めた才能を見いだされるか……」

「もしくは金貨1万枚を払うか。ってことなんだね」

 

 少しばかし言いよどんだミエリの言葉を引き継ぐ。それを肯定するミエリは、金色の長い髪をふわりと揺らし、弱々しくうなずいて見せた。


 田舎の村育ちで、まだ15歳のヴェロアは、そういった世の中の仕組みに触れることなく育ってきた。村にも領主はいるが、それはもはや家族同然の存在で、助け合うことが当たり前だった。

 誰かを出し抜こうとか、おとしめようとか、過度に誰かが支配するとか——そんなこととは無縁ともいえる場所でずっと暮らしてきた。

 

 だからヴェロアは今そこにある理不尽さに対して、どんな感情を持つのが正しいのかもわからない。ただモヤモヤとした行き場のない嫌な思いが、身体の中を徐々に支配してゆくのだった。

 そんな姿を見たミエリが、くすりと笑いを漏らした。そしてヴェロアの中に巣食う負の感情を和らげるかのように、ゆるやかな口調で自らについて語り始める。

 

「私はね、魔法医になりたかったの」

「へえ、ミエリは人々を助けるお医者さんを目指してるんだね」

「これでも小さい頃から回復医術魔法が少し使えたから、街の医院で魔法医のお手伝いをしていたのよ」

 

 そう言ったミエリが、少しだけ元気を取り戻したように見えてホッとする。なんとも形容しがたい不思議な思いが胸に広がり、戸惑いつつも純粋に驚きと称賛の声を上げた。

 

「それってすごいじゃない! 小さな頃から魔法医の手伝いをさせてもらえるなんて」

 

 ミエリは膝小僧に頬をくっつけたまま顔だけを向け、はにかんで見せる。不意に作られた距離の近さにドキリとしてしまい、わずかに鼓動が早くなるヴェロア。

 

「でも7年前に、その魔法医が軍医として戦場に赴くことになって……」

「戦争?」

 

 今も各地で戦争が続いているのは知っていた。大人たちの会話にも頻繁にのぼる内容だったから。それは近隣諸国が相手であったり、モンスターの軍勢であったりとさまざまだが、戦いである以上そこには傷つく者がいて、となれば当然それを処置する医者も必要になる。

 

 他にもさまざまな魔法職が戦地に赴いていて、戦況によっては魔法学校を出たてのひよっ子ですら必要とされる場所すらあるという。

 魔法医は魔法職の中でもとりわけ才能がものをいう職業で、ゆえにその数は他と比べて圧倒的に少ない。さまざまな治療を行える魔法医は、引く手あまたの存在。

 

 ミエリの言うように初歩的な回復魔法が使える者が、その手伝いをすることはままあるものの、もちろんそこには雲泥の差があるのだった。


「その魔法医の先生は、赴いた戦場で命を落としたみたいなの。それからというもの、私の住んでいたイクセリアには魔法医がいなくなってしまって、代わりに私ができるだけの治療を行ってきたの」

「え? ミエリが?」

「なに? ヴェロア。そんなに意外?」

 

 拗ねた子どものような表情を向けるミエリに、不覚にも心を乱してしまう。

 魔法医そのものの絶対数が少ないゆえに、小さな町や村では魔法医が存在しないことはさほど珍しくはない。現にヴェロアのいたマレイの村にも魔法医の存在はなかった。

 

 もちろんそれに代わって、回復魔法などで簡単な治療を行う者はいたが、それは決して医者と呼べるほどのものではなかったというのが正しい。それでも、ちょっとした病気や怪我を治すくらいならば、それで十分に事足りた。

 

 しかし少なくともそれは、自分たちのような子どもが行えるたぐいでは決してなかった。他の一般魔法と違って、回復系の魔法はそのプロセスが異なるため、きちんとした回復を行うには経験がいるからだった。

 

 それをこなせるとなると、ミエリは相当の才能と信念を持っているのだとわかり、ヴェロアは心底感心する。

 

「それって、すごいじゃない」

「ううん、そんなことない。いくら回復魔法が使えたところで、私にできることなんてほんのわずかでしかなかったの。目の前で尽きていく命を、私には止めることができなかった…… ちゃんとした魔法医なら救えた命が、いくつもあったの」

 

 回復魔法とて万能ではないのだから、それは当然である。いくら技術が高かろうが魔法医もまた、しょせん人だ。

 ミエリに救うことができない命でも、魔法医なら救える——それは間違いないとしても、ならばそのすべてを救えるかと問われれば、答えは否。

 

 もちろんそんなことはわかったうえで、それでもちゃんとした魔法医の治療を受けるまでの「命のつなぎ役」すらできなかったことを、ミエリは悔いているのだとわかる。

 

「でも、それはミエリのせいじゃないでしょ? そのときミエリにできて、ミエリにしかできないことを全うした結果なら、それは受け入れるしかないと思うよ」

「うん、それはわかってる。そのときの悔しさがあるからね。もっとちゃんとした魔法医になって、たくさんの人の役に立ちたかったの」

 

 ようやくミエリの本心を理解できたヴェロアは、次の瞬間、ミエリの目から大粒の涙がとめどなくこぼれ落ちるのを目撃することとなった。

 まるで自分が泣かせてしまったような気がして、何と言葉をかけていいのか、その答えにたどり着けないまま、ただただ困惑しきりのヴェロア。

 

 おろおろとしながらもあれこれ考えたあげく、村にいたとき近所の子どもが泣くとそうしたように、そっと頭を優しく撫でた。

 

「今回も両親が反対するのを、無理を言って受験しに来たの。もしかしたらって思って…… でもダメだったぁ。金貨1万枚なんて、とてもじゃないけど払えないよぅ」

 

 そうこぼすと、ミエリは顔をくしゃっと歪め、あふれる涙も拭かずに膝に顔をうずめてしまった。

 魔法医の手伝いができるほどのミエリをもってしても合格しないとなると、自分が受からないのなど当然だと思う。


「でもさ、僕なんかと違って、そこまで回復魔法が使えるのなら、もう少し経験を積んだら合格するんじゃない? 今回はダメでも、次は……」

 

 そうは言ったものの、ミエリが魔法医になることを急いでいるのだということに、薄々気づいてはいた。恐らくそれは、救いたい・助けたい誰かがいるということなのだろう——と、ぼんやりではあるが察しはつく。けれどもそれ以上は何も尋ねることも、慰めの言葉さえも出てはこないのだった。

 

 どうしても合格したかったのに落ちた身としては、ミエリの気持ちは痛いほどよくわかる。才能の差は大いにあれど、金貨を工面しないことには入学すらできないという事実は一緒なのだから。

 ミエリのことを考えると、同時に自分の置かれた状況も考えることになる。最後の頼みの綱は、もう希望としては全く機能していない。

 

「僕も1万枚なんて、どうしたって無理だ。どうにもならないや……」

 

 力なくその一言を空に向かって投げた。抜けるように青い空も、ヴェロアの心を癒してはくれなかった。

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