第2話
【二】
その店の入り口は北側に面しているため、昼前の太陽が高い時間帯だというのに中は薄暗い。それは普段、店の雰囲気を演出する意図があってのことだったが、今はそれとは別の理由から明かりが抑えられているのだった。
怪しげな儀式を描いた絵画に、頭蓋骨をかたどったティーセット。そんな、おおよそ通常のセンスでは手に取ることもしないであろう気味のよろしくない品々で、店内は雑然としていた。
奥にあるカウンター代わりの机の上だけが綺麗に整理されており、そこにはかなり複雑な魔方陣が描かれている。それを取り囲むようにして立てられた7本のロウソクがジリジリと炎を揺らすと、神秘的な雰囲気をいっそう引き立てているのだった。
大きさ5センチほどの精巧なミイラの人形が、魔方陣の中央をちょこちょこと動き回っていて、その姿が実にコミカル。
机に頬杖をついてそれを眺めている女性は、人間離れしたといっても過言ではないほどのプロポーションをしている。それがゆえに、机の上にはたわわな二つの膨らみがでんと鎮座し、誰に見せるというのでもないその存在をこれでもかと誇示していた。
「ふふふ……待ってたわよぅ」
女性は艶やかで真っ赤な唇の端を持ち上げ、妖艶な笑みをこぼす。その姿は世の男性であれば、それだけで心奪われてしまうほどの笑みだった。
ようやく待ち望んだ運命の相手がついにこの街にやって来る。そう思うと、自然と表情もゆるむというもの。
あまりにも長すぎてあきらめることも考え始めた矢先の出来事なのだから、その感慨もひとしおといえよう。
いっさいの不安がないといえば嘘になるし、加えて時間がないことも、その気持ちに拍車をかけている。それを考えると、またいつものように気分が、表情が深く暗い闇の底に沈んでいってしまいそうになる。
そんな鬱とした思考を、ゆっくりと頭を振って追い出す。少しでも不安を感じたならば、それはまるで水面に広がる波紋のようにどんどんと大きくなっていってしまう。
そんな負の感情にどうにかあらがいながら、飲み込まれそうな心を奮い立たせるということが、この10年繰り返されてきたのだった。
「ええい、暗いわ! 2つの意味で!」
女性の背後にしつらえられた止まり木の上から、その様子をじっと眺めていたフクロウが不意に言葉を吐いた。
まるで心の中を察したかのように絶妙なタイミングで合いの手を入れてくる相棒。そんな気遣いをさらっとできる彼女が、今は非常にありがたいと感じる。
「何よアイリーシェ。いいところなんだから、占いの邪魔はしないの」
ウェーブした髪を揺らしそちらをちらりと振り返ると、容姿同様の艶っぽい口調で女性はたしなめる。アイリーシェと呼ばれたしゃべるフクロウは、「ふん」と鼻を鳴らすとプイっとそっぽを向いてしまう。
「仮にも黒魔女なんだから、自分の能力でなんとかしたらどうなのさ」
「まあ、そうしたいのはやまやまなんだけどね。あいにくワタシはこの店から出られないし、それにアイリーシェは……フクロウだし?」
そう言って女性は哀れみの表情を作ると、それをアイリーシェに向けるのだった。
「別に好きでこの格好になったわけじゃないわよ!」
届いてくる視線の意図するところに気づいたアイリーシェは、くちばしでつつかんばかりの勢いで声を大にして反論した。
そんな相棒に、白々しいまでのキョトンとした表情を浮かべて見せる女性。
「あら? そうだったかしら?」
「あたしの身体をフクロウに変えたのは、どこの誰だったかしらねぇ、黒魔女のエルターナ・アリエス・ベルトーラさん?」
それが抗議の意なのだろう、片方で30センチはあるかという黒と茶色のまだらな翼をバタバタとさせるアイリーシェ。しかしそんな言葉など、まるで右の耳から左の耳へと通り過ぎているかのように涼しげな表情を見せる、アリエスと呼ばれた暴力的なまでにグラマラスな女性は肩をすくめる。
「あんまり目くじら立てないの……」
言ってから突然小首を傾げたアリエス。その姿が気になったのか、アイリーシェはいぶかしげな表情で尋ねる。
「なんだい、どうしたんだい、アリエス」
「うーん…… ちょっと気になったのだけれど」
何事かを考えるしぐさを見せるアリエスは、その整った顔の眉根を寄せると、固唾をのんで見守るアイリーシェに聞いた。
「この場合は目くじらじゃなくて、目フクロウって言った方がいいのかしらね? アイリーシェ」
「そんなことはあたしが知るか!」
心臓が飛び出るのではないかと思うほどくちばしを開いたアイリーシェが「ふんっ」と吐き捨てると、付き合いきれないとばかりに羽づくろいを始める。
ことさら身体のラインを強調する黒い服に身を包んだアリエスは、笑ってアイリーシェをやり過ごすと再び魔方陣に目を向けた。依然忙しなく動き回る人形をチョコンと指で弾く。
バランスを崩して倒れた人形がボンと音を立てて小動物の骨に変わると、それをつまみ上げ、ご機嫌のよろしくないアイリーシェの目の前に、そっと差し出して見せたのだった。
しかしそれは明らかなほど逆効果で、「あたしは犬か!」というさらなる不機嫌を引き出しただけだった。
いたずらが成功した子供のように口元をゆるめると、「うふふ」と笑みをこぼすアリエス。
「それで?」
「え? なに?」
質問を急いだせいで、その意図が伝わらなかったことにもどかしさを感じたようで、アイリーシェが少々言葉尻を強くした。
「本当に大丈夫なのかってことだよ!」
「なにが?……」
「決まってるだろう、あんたが助かる見込みはあるのかってこと」
大きなブラウンの瞳をくるりとさせながら、いくばくか落ち着きを取り戻したらしいアイリーシェがそう問いかける。
質問の意味を理解すると、黒みがかった紫の長い髪をかき上げ、首をかしげるアリエス。見る者の魂をそれだけでわしづかみにするほどの黒い瞳とはまったく対照的な、白い指を一本だけ立てるとそれを口元に持っていき、考える仕草をして見せた。
だが口にした返事は、いささか歯切れの悪いものだった。
「どうかしらねぇ」
「なんだい、見込み薄なのかい? ようやく現れた相手なんだろう? そんなんで大丈夫なのかい」
「うーん…… 鍵は良くも悪くも、ワタシ次第なのよね」
眉根を寄せると、アリエスはため息とともに沈んだ声に変えて言うのだった。
「うん? それはどういうことなんだ?」
「驚くほどの魔力と能力を秘めているのは確かなのよ。もちろん対抗できるくらいにね。ただ本人はそこまでのことに気づかないまま、魔法学校の試験を受けに来るみたい」
アリエスの言わんとすることに合点がいったのか、アイリーシェがこくりとうなずく。
「それはあれかい? 学校の基礎授業だけじゃ、なかなかすぐには成長しないから、あんたが成長させる必要があるってことなのかい?」
アリエスが立てた人差し指を左右に振ると、ロウソクの炎が赤から青に、そして緑へとその色を変えた。そんな手慰みをぼんやりと行いながら、ぼそりとこぼす。
「ううん。違うよ」
「なんだ、なにが違うっていうのさ」
「まず、今のままじゃ魔法学校に受かることさえ無理なのよ」
バサリと大きな翼を開き、忙しなく目を動かすアイリーシェ。それがフクロウ全般に当てはまるのかはわからないが、それでも動揺の色はありありとうかがえるのだった。
いっさい目もくれず、なおも手慰みを繰り返すその態度に業を煮やしたのか、アイリーシェは言葉を荒げる。
「それじゃ、お話にならないじゃないか! そもそも魔法学校に受かることは必要最低限じゃないのかい」
「受かることなら誰でもできるわよ」
「金貨を払えばそうだろうけど…… そうじゃないだろ。その程度の実力じゃ到底役に立ちはしない。話にならないだろってことさ」
店の外まで聞こえそうなほど力のこもったアイリーシェの言葉。しかし表通りどころか裏通りからも外れた場所とあっては、店の前を通る人影などありはしない。なので抑えるでもなく、アイリーシェは翼をばたつかせ、苛立ちをあらわにする。
しなやかに手のひらをかざして制すると、アリエスがたしなめるように口にする。
「言ったでしょ? 驚くほどの魔法力と能力を秘めてるって。その秘めた能力ってのが、ワタシ好みなのよ」
その「ワタシ好み」という言葉にひどく反応を示したアイリーシェは、納得を示すかのように左右に首をかしげながら、広げた翼をたたんだのだった。
「あんた好みって…… なるほどね。つまり学校じゃ、よほどでないかぎり教えることのない能力ってわけだ」
ようやく振り返ったアリエスは雪のように白いその指で指し示すと、ウインクを添えて「そういうこと」と笑って言った。
「ふうん。でもそれでどうにかなるのかい?」
アイリーシェの言う通り、結局行き着くところはそこになる。どんなに能力があろうとも、結果を出せなければ意味がないのだ。そしておそらくチャンスは一度しかない。考えるほどに深いため息がこぼれるばかり。
「うーん…… さすがに今の実力までは推し量ることはできないんだよね。ワタシの占いじゃ」
「なんだい、なんだい、なんだか頼りないねぇ」
んー、と伸びをしながらアリエスは苦笑いを送る。
「それはしょうがないわよぅ、所詮は占いだもの」
「占いに命運をかけてるあんたが言うな」
逆さに映るアイリーシェは、今度は一回転しそうなほど首をかしげるような仕草を見せて、そう言った。
「だからね、ワタシが教えられることがある分、まだ希望があるのよ」
「なるほど…… ならいいけどさ。いつまでもアリエスがあのままじゃ、あたしもさすがに申し訳が立たないからね」
アイリーシェが思いがけず口にしたその言葉に、アリエスはもともと大きな目をさらに見開いた。むしろそれを言いたいのは自分の方であるのだから。だがすぐにその表情を穏やかなものに変えると、こう返した。
「そんなことないよ、アイリーシェ。どこにいてもどんな姿になっても、ワタシとアイリーシェはずっと友だちだから」
その口調は、妖艶な姿にはおおよそ似つかわしくないほどに子供のような、少女のような雰囲気を感じさせる。
アイリーシェはふたたび翼を羽ばたかせると、こちらもまた負けじと猛禽類とは思えない「カカカ」という笑いをこぼした。
「それじゃあ、あたしも期待しようかね。あんたの言うあんた好みの、そのおもちゃとやらにね」
「あら、おもちゃだなんて、ワタシは言ってないわよ?」
「ん? そうだったっけか?」
アリエスが笑みとともにそうこぼすと、2人は顔を見合った。
いたずらをくわだてる子供たちのような笑い声が店の中に広がると、得体の知れない面や人形も、まるで2人に同調しているかのようだった。
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