第5話 檸檬
「私、盛り付けは下手なんだよね」
ペドロを生み出した科学者の一人はぎこちなく笑う女だった。楽しくなくても、歪な笑みを浮かべる。みんながよく笑うから、笑うようにしていると以前言っていた。人の真似からニンゲンを始めないといけないのだとか。楽しいわけでもないが練習だと。彼女は他の科学者と違って、メイドとともにペドロに食事を運んできたりする。ペドロの髪を切ったこともある。前髪も後ろ髪も真っ直ぐに切り揃えられて、あとで他のメイドが整え直された。そのときも笑っていた。悪かったの意味で笑っているから、これが「苦笑」というものだと教えてくれた。
ある日、彼女がいつもの歪な笑みでレモンタルトを切り分けた。ハサミの不慣れさはなく、タルトは完璧に6等分に分けられている。余ったレモンを使い切るために、メイドと厨房に立って作ったのだ。しかし、彼女は外側のタルトの部分を切り落とし、縦に置いて盛り付けた。ピラミッドのような盛り付け方にそばにいたメイドも目を丸くする。
「平面に置くより、立てたほうが自分で食べられるでしょう?」
彼女は切った端を自分の口に入れながら話した。タルト生地が小気味よい音を立て、欠片が口からぽろぽろと落ちる。食べながら喋ってはいけないと理解し、ペドロはタルトの頂点を噛んだ。爽やかな匂いは先に試したレモンと同じだが、いくらか和らいでいる。焼き菓子の匂いを知った。レモンのムースを載せた薄い生地もほぐれ、飲み込めたが。
「味はわからない」
「残念」
「というか、これではてっぺん以外食べられないじゃないか」
「そこが一番美味しいよ」
そう言うくせに、彼女はタルト生地の硬い部分が好きらしく、また一切れの端を切り落として食べた。再びペドロの前にピラミッドが建った。
「私もそちらを食べさせてくれ」
「仕方ないなあ」
食べかけを口の前に差し出され、噛もうとしたら遠ざけられた。歯がかちんと空振って、ペドロは眉を顰める。ふふと笑う彼女を見た。これが自然に溢れた笑みなのか当時のペドロには判断ができなかった。
「君は意地が悪い」
「まあ、悪趣味な組織の一員だし」
レモンが余ったのはペドロの味覚の確認のためだった。辛いもの、甘いもの、酸っぱいもの、苦いもの。結果的にとことん不味いものもペドロは食べた。拷問に、飢餓に、病気に強い人間を作ろうとした結果がペドロだ。
「ここを出るときは美味しいものを食べなよ」
「味もわからないのに?」
「せっかくなら、人間らしく生きたらいい」
「首だけの私が」
「そう、君は私より無垢なニンゲンだよ」
かつて彼女はペドロの首を切り落とした。本当は殺すはずだった。身体がなければもう苦しまないと思った。だが、運命はおかしなほうに転がっていく。未だにペドロは生きている。彼女は居なくなったのに、自分はまだ。
「ヴィクセン、御婦人のレモンを拾って差し上げなければ」
前を歩く老婆の紙袋からこぼれ落ちたレモンを見て、ペドロは彼女を思い出した。味はわからなくとも、舌と喉は嫌がっていた。強がってみせたペドロの意図を彼女は最後まで汲んではくれなかった。
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