4話 夢の世界
少し前の事らしい。 この世界の人々は何の前触れも無く、突如不思議な力を手に入れた。
まるで御伽噺に出てくるような魔法の力を。 何も無いところで火や水を生み出したり、手に触れず物体を動かしたりなど。
しかしその能力は魔法と呼ばれなかった。 強大すぎたのだ。
人々が扱うには大きすぎて強力すぎる力は多くの物を破壊してしまった。
そんな災厄で最悪の異能力は人々に恐れられ、”呪術"と、そう呼ばれるようになった。
◇
零は草が風に揺れ擦れる音で目が覚める。 目の前に映るのは現実世界では
「あー あー」
声を出すと無事に出た。 次に身体の確認をするが特に異状は無かった。 頭も妙にすっきりしており、思考が加速する。 特に理由など無いが、大木の元へ歩きながら考える。
「これが死後の世界ってやつか」
零は突拍子もない独り言を呟く。 それに応じるかのように風に吹かれた草原がザワザワと返事をする。 死後の世界など考えたこともなかったが、現に今、体験しているわけだから認めるしかなかった。 不思議と零には安心感があった。
零は今に至るまで自分は化け物だとそう思っていた。
その理由は零の異能の力、所謂、呪術の性質だ。 基本的に呪術は何かを犠牲にしてこの世の理から外れた異能力を具現化する。 つまり使えば使うほど術者に負担が生じるわけだ。 これは絶対的なこの世界のルールだ。
しかし、零の持つ異能の力はこの世界のルールより逸脱していた。 なぜなら零の異能は驚異的な自己再生能力だったからだ。
治癒の呪術は存在する。 しかしあくまでそれは術者が癒す対象の傷を代わり肉体的な負担を請け負うだけであり、万能とはいえない。 昔、治癒呪術を自分自身に発動したら一体どうなるのかと研究されていた事がある。 ありとあらゆる条件と状況で実験したらしいが等しく同じ結果が出た。
自分の傷は自分では癒せなかった。
単純なことだ。 10の傷を癒すのに10の力を使う為、そうなった。
最終的に研究者達は人間が使用する呪術では自己治癒は不可能と、そう結論付けたのだ。
それなのに零はどんな深い傷でも一切の対価を払うことなく、僅か数秒で完治する。
これを化け物と言わずして何と呼ぶのだろう。
しかしながらこうしてこの不条理な力にもどうやら終わりが来たようだ。 結局異能の性質は分からず終いであったが、それはそれでもういいだろうと大木の下まで歩き続けた零はそう思う。
大木を真下から見上げると、離れてみるよりも大きく感じられた。 樹齢は100年以上あるのではないだろうか。 零は呑気な事を思いながら大木の下で手を枕にしながら寝転び空を見上げる。
どれくらいそうしていたのかは分からない。 不思議と時間が過ぎる感覚は感じられなかったからだ。 1分しか経ってないかもしれないし1時間以上過ぎているかもしれないような感覚だった。
そんな不思議な体験に意識を取られている零だったが、ふと隣に気配を感じ取り、目線だけを運ぶと、そこには”何か”がいた。
恐らく人だろうとは思うが顔はテレビの砂嵐のようにノイズが入り混じり、一切分からない。 ただ白色のワンピースを着ている事と、体格的に女と、そう予測した。
「あー…… アンタが天使の…… いやどう見ても天使には見えないな。 となると悪魔か。 地獄というのは意外と悪くない場所だな。 現世のほうがよっぽど酷い」
砂嵐の何かは少し間を置いて何か音を発した。
「ごめ……んな……さい」
とても聞き取りづらいが、ごめんなさいと零はそう聞き取った。 それからずっと同じ言葉を繰り返す。
「ごめ……んな……さい……ごめ……んな……さい……ごめ……んな……さい」
表情は分からないが、隣にいる何かが泣いているように感じられた。 加えてこのノイズ交じりの雑音に近い声を聞いていると心が乱される。
心にゆっくりと棘を刺されているようなこの不思議な感情を零は言葉にできない。
「謝罪の言葉は一回でいい。 一度以降は言う方も聞く方も毒になる。 最も何で俺に謝るのか分からないが」
謝り続ける何かに気を取られていると気付けば辺りは黄昏時になっていた。 空はオレンジ色に染まり、光りを反射する草達は金色の様に見え、幻想的な雰囲気を醸し出している。 今までこんな景色を零は見た事がない。
思わず景色に見蕩れていると、隣にいた何かは両手でゆっくりと零の頬に触れる。 それと同時に瞼が重くなる。 死の間際、意識が遠のいて行くような感覚だった。
「ごめ……んな……さい…… いき……て……」
初めて、砂嵐は謝罪の言葉以外の音を発した。 意味は分からないが遠くなる意識の中で何故かその言葉が零にはどうも懐かしいものだと、そう感じたのだ。
◇
「この仕事はここで打ち切るわ」
岬は迷い無くはっきりとそう言った。
「ダメだ、続ける。 明日の早朝にまた出発する」
零は、あの変な夢から目が覚めると祠の前に倒れていた。 時間は大体3時間ほど経過しており、胸には刀傷のようなものがあった。 恐らく後ろから刃物で刺されたものだと推察できる。 今までどんなに深い傷を負ったとしても瞬時に回復していたが、今回不思議な事に黒のローブにつけられた傷は完治するのが非常に遅い。
身体を何とか動かせるようになった零はすぐに町村の捜索に取り掛かったが、どこを探しても見つかるどころか、森の中を歩いた跡すらなかった。
結局日が暮れ、辺りが闇に包まれたところでこれ以上の捜索は不可能だと判断し、町村の車を運転して零一人らびりんすまで帰ってきたわけだ。
「どうして? アンタ死にかけたんでしょ? これ以上関わるのは危険すぎるわよ!」
岬は怒っていた。 いやこれは怒っていると言うよりも怯えていると言った方が正しいだろうか。
「危険なのは最初から分かっていたはずだ。 何かある事は岬も予想がついてただろう」
岬は昔から頭に血が上ると感情的になりすぎる節がある。 零は冷静に岬を諭すように言葉を選ぶ。
「わかってるわよ! でもそれは相手が人間だからと思っただけで…… レイの話聞いてるとその黒衣のローブって……」
「人間じゃないかも知れんな」
呪術が世界に広まった時、普通の人間よりも遥かに扱いに長け、最前線で世界を破滅に導いた存在。 彼等、彼女等が行使する異能の力は人知を超えた先にある。 国家の力を持ってしてでも排除しきれない災害に近いそれを、ただの個人で相手にするなど正気の沙汰ではないだろう。
「そう思うならどうして分かってくれないの!? あんなの人が勝てる相手じゃないのよ!」
「今ここでやめるなんて言ったら最悪俺もお前も依頼主に潰されるかもしれんぞ」
「それは…… そうだけど……」
岬は小さな声で納得する。 零は嘘を付いた。 ここでこの依頼を蹴ったとしても正直なんともならないだろう。 もし、零が口にした通りになったとしてもその時は殺される前に脅威を排除すればそれで終わる。 そういう腹積もりだった。
「レイはさ……大丈夫でしょ?」
零は岬とは付き合いが長いが、自身の持つ呪術の力について詳しく話していない。 岬は訳あって件の化け物を非常に嫌っている。 もしも零の正体が化け物の仲間だったとしたら岬は一体どんな顔をするだろう。
「俺はそうかもしれんな」
「約束覚えてる……? レイが私を守ってくれるって」
岬は消え入りそうな声でそう話す。
「もちろん覚えている」
零は煙草に火を付け深く煙を吸い吐き出す。
「だったらいいじゃん! 例え狙われたとしてもレイが守ってくれればそれで……」
「俺は過去、守ると誓った人を守れなかった」
岬が言い切る前に口を挟む。
「そして今、町村を守れないかもしない」
「それは…… しょうがないじゃない……」
「2度失敗する奴は3度目も同じ事を繰り返す。 だからここで逃げる選択肢なんてあり得ない」
2度ある事は3度あると昔の人はいい事を言うものだ。 今回、町村をここで切り捨てていけば零はめでたく2度目の敗北となるわけだ。 しかしまだ間に合う。 死体がまだ見つかってない。 今回、岬の制止を振り切ったのも只々、敗北という絶望をもう一度味わいたくなかったからだ。
零は席を立ち、岬に背中を向け歩き出す。
「レイも…… 私を置いて行くの……?」
岬の嗚咽の混じった言葉を聞こえないふりをして零はらびりんすを後にした。
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