第4話:あの日のふたりが、また歩き出す。

長期休暇になると、必ずと言っていいほど帰省する。

一真にとっても、それはゆっくりできる貴重な時間だった。

「おじいちゃん、おばあちゃん。お久しぶりです。」

スーツケースを引きながら、一真は深く頭を下げた。

祖父母の家は県外、町はずれの住宅地にあり、市場が比較的近い。

帰省すると真尋はいつものように庭の池で魚に餌をあげ、一真は海や山の方へ散歩するのが好きだった。

「一真、また背が伸びたか?」

祖父は相変わらず優しい目で見つめてくる。

「はい。おじいちゃんの目は相変わらず良いですね。」

一真が笑うと、真尋がすかさず言った。

「おじいちゃん、昔パイロットだったんだよ!」

奇跡のように祖父と同じ台詞が重なった。

親戚との世間話も嫌いではないが、一真はやはり部屋で本を読んだりゲームをしたりする方が落ち着く。

「そういえば、一真は丘上高校に行くんだっけ?」

ふいにおばあちゃんが言った。

「はい。どうしてですか?」

一真が聞き返す。

「吉城さんちの、あなたと同い年の女の子、覚えてる?」

おばあちゃんは隣の家の方を指差した。

一真もつられて目を向ける。

「覚えてます。小さい頃、よく一緒に遊んでました。」

「その子も丘上高校だよ。」

おばあちゃんが嬉しそうに言う。

「すごいね、お兄ちゃん!」

真尋は池の魚をつんつんしながら喜んでいる。

「荷物置いたら、挨拶しに行くか。」

父が背負ったバッグを下ろしながら言った。

部屋の中はほとんど変わっていない。

ただ、天井が低くなったように感じるのは自分が成長したからだろう。

少し埃っぽいのも仕方ない。

「おじいちゃんもおばあちゃんも、年取ったんだな。」

窓を開けて空気を入れ替えながら、一真は向かいの「吉城家」を見る。

窓が開いていなくて少し安心した。

荷ほどきをしていると、父に呼ばれた。

「この魚、向こうに持ってってくれ。」

キッチンでは父が釣ってきた魚を捌いていた。

「分かった。」

一真は慣れた手つきで魚を処理し始める。

「今日の夕飯、真尋が担当だ。」

父が言う。

「……あいつ、この前も魚焦がしてましたけど。」

一真が呆れ気味に返す。

「だからお前が手伝え。」

父は背中を軽く叩いた。

「全部俺が作る未来しか見えませんけど。」

一真がため息をつく。

「お前が妹に甘いだけだ。」

父は軽く笑った。

階段を降りると、真尋が顔を出す。

「お兄ちゃん、夕飯何作るの?」

「その前に部屋片付けろ。」

一真は指をさして言う。

母がクスクス笑った。

「やっぱり一真ね。」

魚を袋に詰め直し、一真は向かいの家へ向かった。

「この量、たぶん一週間は食べられるな……。」

呼び鈴を押して待っていると、バタバタと足音がして——

「ごめんごめん!」

扉が開いた瞬間、ふたりとも一瞬黙り込んだ。

「……一真?」

先に口を開いたのは少女の方だった。

「……千夏子?」

一真も確認するように名前を口にする。

「久しぶり!」

千夏子が明るく笑う。

「久しぶり。」

一真も少しだけ表情が緩む。

袋を掲げて言う。

「これ、うちの魚。よかったらどうぞ。」

「うわ、助かる! …え、骨まで取ってあるの?」

袋を覗いた千夏子が目を丸くする。

「家に年寄りしかいないと思って。」

一真が淡々と言うと、

千夏子はなぜか少し考えるようにしてから、

「ちょっと入ってってよ。お返しできるものあるか見てくる。」

と言った。

「いや、本当にいいよ。たまたま多かっただけで。」

一真が拒むと、

「幼なじみをそんな扱いする?」

千夏子はわざとらしく小首をかしげた。

……負けた。

「じゃあ、お邪魔します。」

一真は靴を揃え中へ。

玄関には柔らかい香りが漂っていた。

きれいに整えられた廊下、磨かれた靴。

全体的にすっきりしている。

「家族は出かけてる。私は疲れてて留守番。」

千夏子は言いながらスリッパを差し出す。

「靴下のままでいいよ。さっき掃除したばっかりだから。」

「普通、掃除した後こそスリッパじゃ……。」

一真は心の中で突っ込む。

客間へ通されると、暖かそうなこたつがあり、どこに座ればいいか分からず立ち尽くした。

「座って。お菓子食べる?」

千夏子はクッキーをくわえながら聞く。

「大丈夫。」

一真は首を振る。

「やっぱり変わらないね、一真は。」

千夏子は魚を冷蔵庫にしまいながら言った。

「何が?」

「無口。」

顔だけ出してニヤリと笑う。

「小さい頃から知ってるから慣れてるけど、初対面なら“変な子”って思われてるよ。」

「……よく言われる。」

一真は苦笑するしかない。

「そうそう。」

千夏子はお茶を二つ持って戻ってきた。

「昔、海で虫に泣かされたの、覚えてる?」

「毎年言うよね、それ。」

一真はうっすら眉を下げた。

「もし同じクラスになったら、今度は守ってよ?」

「分かった。」

一真は短く答えた。

数日間、一真は千夏子に毎日のように散歩へ連れ出された。

海辺では相変わらず虫を捕まえてきて、一真をからかう。

陽の下で笑う姿は、まるで映画に出てくる“初恋の人”のように綺麗だった。

「学校でもこうなの?」

一真が聞くと、

「まさか。家だけ。」

そしていたずらっぽく付け足す。

「一真をいじる方が楽しいし。」

胸の奥に少しだけざわつくものが生まれた。

「千夏子、きっとモテるでしょ。」

「ないよ。」

「嘘ついたら虫食べさせるよ?」

「やめろ!」

千夏子が走り、一真が逃げる。

子供の頃と変わらない追いかけっこ。

その帰り道、二人は古い雑貨店の前で足を止めた。

「アイス奢って。」

「うん。」

一真は財布を取り出す。

店を出ると、千夏子は店先をじっと見てから一枚写真を撮った。

理由は聞かなかった。

「大きくなると、人って変わるよね。」

千夏子がぽつりと言う。

「中学生とは思えない台詞だな。」

一真は心の中で苦笑した。

「丘上高校に行くの、実はお母さんが喫茶店開いたからなんだ。」

「大変じゃない?」

「まあね。でも、学校では大人しめにしてるよ。」

虫を素手で掴む彼女が、内向的……?

一真の口元が緩んだ。

「笑った! 私ほんとだよ?」

「だって……。」

「見た目で“優しそう”“怒らなそう”って思われるの。」

「なら、素でいればいいのに。」

「慣れちゃったのかも。」

空を横切る鳥を見上げながら、千夏子はどこか寂しげに言った。

「一真も、クラスで嫌われるタイプでしょ?」

「……まあ、そうかも。」

曖昧に答える。

「同じクラスになれるといいな。」

千夏子は微笑んだ。

「うん。きっと楽しいよ。」

一真も、珍しく素直に笑った。

ふたりは並んで歩く。

見慣れた風景なのに、どこか大人びて見える。

「昔も……」

一真はぽつりと呟いた。

「こうやって帰ったよね。」

「ねえ、一真。」

千夏子が足を止めた。

一真も立ち止まる。

しかし彼女は、ふっと笑って首を振る。

「なんでもないよ。」

――わざと?

――言いかけたことを隠した?

「またからかわれた。」

一真は苦笑した。

「じゃ、明日は私がおごるから!」

海風の中で揺れる彼女の声は、どこか懐かしく、そして少しだけ切なかった。

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