転生したけど、ここガチで中世ヨーロッパだった件。

みっちーザッキー

序章/第1話 理想の崩壊 ― 現代から泥の世界へ

序章 現代札幌 ― 理想と絶望


 札幌の冬は灰色だ。

 雪は白いはずなのに、街に積もるころには排気ガスで黒ずみ、

 まるでこの国の現実みたいに濁っている。


 榊原悠真、二十八歳。

 大学ではヨーロッパ史を専攻していた。

 だが彼が学んだのは、“理想が血で汚れる”という現実だった。


 戦争、革命、信仰。

 どれも「正義」という名のもとに殺し合う。


 現実が嫌になり、悠真は空想の世界に逃げた。

 アニメ、ラノベ、異世界転生。

 そこには意味があった。

 仲間を守り、剣を掲げ、称えられる英雄。

 「現代より中世の方が、絶対マシだろ……」


 カップラーメンをすすりながら、呟く。

 その言葉は、もはや祈りのようだった。



 翌日。悠真は札幌市立博物館を訪れた。

 ――『黒死病と中世ヨーロッパ』。

 朽ちた鍬、錆びた鎖、血で染まった祈祷書。

 そして、嘴のついた黒い仮面。ペスト医師のマスク。


 「……これが俺の理想郷、か」


 背後から声がした。

 「榊原君、まだ中世に逃げてるの?」


 振り返ると、大学時代の同級生――榊エマ。

 フランス人の血を引く彼女は、学芸員としてここで働いている。

 光を受けて揺れるクリーム色の髪、冷静で知的な瞳。


 「逃げてるって言うなよ。理想を追ってるんだ」

 「ふふ。理想って、現実を知らない人の言葉よ?」

 「いや、俺は知ってる。だからこそ、中世のほうが――」

 「榊原君、その理想に潰されないでね」


 その言葉が、胸の奥に沈んだ。


 照明が一瞬、明滅する。

 ガラスケースの中のマスクが、微かに光を放った。


 「……今、動いたか?」

 「榊原君、触っちゃ――!」


 指先がガラスに触れた瞬間、世界が弾けた。

 光の奔流の中、悠真は見た。


 ――金色の髪の女騎士が、微笑んでいた。

 その顔は、榊エマと同じだった。



幻想 ― 理想の異世界 ―


 夢を見た。


 空は青く、城は金に輝いている。

 甲冑をまとった自分は王の前に跪き、隣には金髪の女騎士。

 その顔は、確かにエマだった。


 「あなたが来てくれてよかった。……私、一人じゃ戦えなかった」


 彼女が手を差し伸べる。

 その指先を取ると、心が満たされた。

 「エマ……お前まで、来てくれたのか」

 「いいえ、あなたが“来た”のよ」


 風が吹き、旗が翻る。

 魔法陣が光り、仲間が剣を掲げる。

 それは、悠真が夢見た“異世界”そのものだった。


 ――これが俺の理想郷だ。


 その瞬間、世界が砕けた。

 金色の空が歪み、女騎士の姿が煙のように消える。


 代わりに響くのは、鎖の音だった。



第一話 泥の世界 ― 理想の崩壊


 ――冷たい。

 頬に泥が貼りつく感覚で目を覚ました。

 鼻を突くのは獣の匂いと、鉄のような血の臭い。


 視界に映るのは、木と土でできた壁。

 藁の寝床。床の隅では豚が眠っている。


 「……あれ? ここ、博物館?」

 声が震える。

 息が白く、天井から冷気が降りてくる。


 どれだけリアルな展示なんだよ……。


 立ち上がろうとして、足首に重みを感じた。

 鎖。

引けば、鉄の輪が鳴った。


 扉が開き、怒号が響く。

 「働け! 止まるな、奴隷ども!」


 外には、泥まみれの人々。

 その手首には、みな鎖。

 遠くで鞭が唸り、血の音が混ざる。


 「……ここ、中世……?」


 泥を掴む。冷たく湿り、腐臭がした。

 これが、彼が理想と呼んだ“中世”だった。




 「顔を上げなさい」


 鋭い声がした。

 修道服のような服に鉄のベルト。

 氷のような瞳で見下ろす女。


 ナタリー・ド・ブリュノワ。領主家に仕える監督官。


 彼女を見た瞬間、悠真は息を呑んだ。

 ――榊エマに、似ている。


 「見慣れぬ顔立ちね。どこの民?」

 「にほん……日本人です!」

 「聞いたこともない国。異端かしら?」


 兵士たちがざわめく。

 「東の呪い子だ」「魔女の使いか!」


 悠真の心臓が跳ねた。

 理解されないという絶望。

 その視線が何よりも冷たかった。




 夜。奴隷小屋。

 腐ったビールと硬いパン。

 「これが……水代わりの酒かよ……」


 嘔吐しながらも、喉を潤すしかない。

 (そうだ。中世では水が汚染されてた。

  衛生が悪く、酒を飲む方が安全――。

  頭では知ってたけど、現実は地獄だ)


 隣の老人が呟く。

 「強い者が祈り、弱い者が死ぬ。それがこの世さ」


 悠真は俯き、かすかに笑った。

 「理想も、神も……結局、勝った奴の都合か」


 脳裏に、エマの声が蘇る。

 『その理想に潰されないでね』


 「……潰されたよ、エマ」


 冷たい風が吹き抜け、焚き火の火が消えた。

 泥の中で、悠真は拳を握る。


 「理想が敵なら――現実で生き残ってやる」


 こうして、“理想郷”は地獄に変わった。


【史実補足】

13世紀のヨーロッパでは、農民の大半が領主の支配下に置かれた「農奴」だった。

彼らには土地の自由も移動の権利もなく、労働・納税・信仰までも義務とされた。

また水は汚染され、飲料としてはアルコールの方が安全とされていた。

理想の騎士の裏で、現実の大半は“泥と飢え”の生活だった。


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