ばけものたちのいるところ

@hohohoihohohoihohohoihoi

夏の日



はい。そうです。

名前ですか? …ヤノです。


時系列順に?

ああ、はい。分かりました。


今日は夏日でした。

俺はいっとう仲のいい友人。

あなた方もご存知であろう朝日君と、小さな公園で待ち合わせをしていたのです。


夏休みに入る前に交わした約束。これを楽しみにしていた俺は、今日を指折り待っていました。


約束をした朝日君。

あなた達が知っている彼と同じかは分からないですが、黒の短髪で浅黒な肌をした、いかにもやんちゃで少年然とした子で。

手首にはいつも、ボロいミサンガを着けていて、それが彼のトレードマークだったのです。

けれど、もう夏だと言うのに制服は頑なに長袖のままで。

誰かが「暑くないの」と聞くと、いつも「平気!」と返していたのを覚えています。


彼は半年ほど前にうちの中学校へ転校してきた所謂噂のお人でした。


明るくて、友達も沢山いる人気者。

別に最新の漫画やアニメ、テレビの話題に特段詳しいわけでもなかった。

けれど、その快活とした性格だけで、周りに人を集めるのには十分だったのでしょう。


そもそも彼と親しくなれたのは、彼と俺に共通の趣味があったからでした。

いつだったか、俺がゲームの攻略本を読んでいたのを見つけて声をかけてくれたのです。

俺もそのゲームやってるよ!良かったら一緒に見てもいい?と。


彼の素直な人柄は、友人の多くなかった俺には眩しく感じるほどでしたが、共通の話題があると言うだけでいつの間にか俺達は親友という間柄にまで発展したのです。


そんな彼が待ち合わせの時間を、1時間すぎても、2時間すぎても現れない。


じーわじーわと降ってくる蝉時雨を浴びながら、俺は木陰のベンチでしとどに汗をかいて待っていました。

ハンカチを持ってくればよかったと後悔しながら、ぐいと腕で額を拭うと少しだけ夏の不快感がマシになって。


どうしたんだろう。

なんで来ないんだろう。


一緒に遊ぼうと持ってきた携帯ゲーム機をいじりながら、ふと。


もしかしたら約束を忘れているのでは。と心配になったのです。


そう考え始めると、もういてもたっても居られなくて、ついには彼の自宅へと足を運びました。


ギラギラと太陽の照りつける猛暑日。

彼の住む古いアパートのコンクリートが、光を反射し嫌に眩しく感じました。


2階の角部屋。そこが彼の家。

何度か訪問した事があったので、俺は遠慮なく敷地へ入りました。

カンカンと鳴る外付けの階段をのぼり、玄関前まで来た時、違和感に気づいたのです。


扉が半開きでした。


ジワーっと嫌な汗が浮き出たのを感じました。


時折通路を吹く風が、ドアを揺らすのです。

キィ、キィと小さく揺れる様はまるで手招きしているようにも感じて、


変だ。普通、家の扉は閉めるだろ。


そう思いながらも、好奇心に突き動かされた俺は、こっそりと中に入ってしまったのです。

玄関には、いつも彼が履いていた運動靴があり、なんだ。やっぱりまだ家にいたんじゃないかと…


「…だって、あいつが、…いや、いや、どう…」


ほ。と息をつこうとした時に、それは耳に入りました。

玄関からすぐ隣の部屋で、ぶつぶつと低い声が聞こえたのです。


その声は一定で、なのにずっと同じ言葉を繰り返しているようでした。

正気とは思えず、俺は思わず足を止めました。

声は小さく、何を言っているのかまでは分かりませんでしたが、声は酷く狼狽しているようでした。


そこでまたひとつ。違和感を覚えたのです。

朝日くんは母親と二人暮しで、家に人が来ることは滅多にない。

そう言っていたことを思い出しました。


もしかしたら、あの男は泥棒なのかもしれない。

なら、朝日君はどこかに隠れてて、だから公園に来なかったのかもしれない。


俺だって馬鹿ではありませんから、手ぶらで不気味な奴に喧嘩を売ろうとは考えませんでした。


なので、まずはどこかにいるであろう朝日君を探し、一緒に家を出て交番へ走ろうと思ったのです。


俺はいっそう息を殺し、軋みのひとつも鳴らすまいとゆっくりと歩を進め、廊下の突き当たりの扉を開けました。


最初に目に入ったのは、カーテンの隙間から差し込む陽の光。

それに照らされたガラスの破片でした。


リビングは酷い有様で、足の踏み場も殆どありませんでした。

食器棚から冷蔵庫まで、ありとあらゆる扉が開いており、中身を床に吐き出していました。

粉々になったお皿、足の折れた椅子。

足元に転がるやかんと、ほとんど乾いた麦茶の匂い。


俺はここまで派手に荒らされているとは思っても見ませんでしたから、一体ここで何が起こったのかと、ただ呆然とその光景を眺めていました。


その時不意に、麦茶に紛れて何かの匂いが鼻を掠めたのです。


嗅ぎ慣れない匂い。

生臭い?いや、鉄臭い、という形容詞が似合う重苦しい匂いだったと思います。


どこからそれが臭うのか、俺は嫌な予感に苛まれながらも確かめずにはいられなかったのです。


それは散乱したリビングから続く、洗面所の扉からでした。

破片を踏まぬようそろそろ歩き、その扉を薄く開きました。

中を覗こうと顔を突っ込んだ時。

真っ先に目に飛び込んだのは、赤黒い床でした。

「っぅわ!」


俺は思わず扉を閉めて、それを背にズルズルと座り込み息を整えました。


なにあれ、なんだよあれ。


心臓が激しく跳ねて、体も震えていました。

けれど、もし中に朝日君が居たらと思うと。

俺には、もう引き返す事は出来ませんでした。


意を決して扉を開くと、そこには洗面所と脱衣場でした。

床は乾いていない液体でべったりと塗り替えられ、白い洗面台も真っ赤に染まり、俺の写る鏡までもを飛沫で汚していて。

その場で何か凄惨なことが起こったのだと予想するには十分な光景でした。


「な、なん、これ。な、なにが」


俺は背中にのしかかる嫌な予感に突き動かされながら、赤い床を踏みしめて中に入りました。


奥に浴室があったからです。


赤く染まった周りに比べて、不自然なまでに綺麗な扉でした。

それはつまり、この凄惨な事件が起こった後から閉められたのだということで。


がら。と開いた先にあったのは、汚れた白いタイル張りの床と白濁した水の溜まる浴槽。


だけど、それだけではなかったのです。


なんだ、なにか見覚えがある。


「っひ」


浴槽に浮かぶのは、白い長袖シャツ。

それには当然のように、「中身」が入っていました。

母親に切ってもらったと言っていた、黒の短髪。

顔を下にして、ぷかりと浮かぶその上半身。


「ぁ、」


そんなわけない。


そんなわけないだろう。


脳内でガンガン警鐘が鳴っていました。

それでもこの予感を覆したくて、これが自分の唯一無二だとは信じたくなくて。


そっ、と裾を掴みました。

じっとりと濡れた服は冷たく、その下の皮膚が持つはずだった暖かみは、既に欠片も感じられませんでした。


「は、っはぁ、は。」


呼吸が早く、浅くなる。

心臓が痛いくらいに鼓動している。


俺は意を決し、ぐ、と手に力を入れました。

浮かぶ誰かの体をぐるりとひっくり返したのです。


白濁した水が揺れる。

ギリギリまで入っていた水がだぷんと波打つと、風呂桶の縁を乗り越えて俺の黒い靴下を濡らしました。


「あ、ああ、そんな」


ああ、はい。

そうです。


そこへ浮かんでいたのは、間違いなく朝日君でした。


健康的な肌から血の気が失せていて、水に濡れた前髪が顔にぴっとりと張り付いていました。


俺はその事実にしばし圧倒されていましたが、これまでの異様な光景のせいもあり感覚が麻痺していたのでしょうね。


「っ、あ。そ、外へ、あさひくん、」


生きている人間では、有り得ない色でした。

真っ青な唇に、白い顔面。

けれど俺は諦めたくなくって。


…意識のない体というのは、酷く重いのです。

同年代に比べ、背丈はあれど力はない俺にはかなりの重労働でした。


ばしゃん、ぼたぼた。


朝日君をどうにか抱えようと、半ば引き摺り出す形で風呂桶から出しました。


「っえ、うわ、え?なんで、」


そこで、俺は思わず目を疑いました。


朝日君には、足がなかったのです。

ああいえ、これでは語弊がある。


正確には、魚の尾びれがあった。と言うべきでしょうか。

つまり彼は、所謂人魚であったという事ですね。


普段遊んでいる時には足がきちんとあったのに、不思議なものです。


俺は驚きはしましたが、何故か嫌悪感や忌避感はありませんでした。

この非現実的な状況だったからこそ、逆に空想上の生き物に対しての抵抗があまりなかったのかもしれません。


鴉色で艶のある鱗がびっしりと並ぶ美しい下半身でした。魚には詳しくないので、種類まではわかりませんでしたが。


まあ、そうして俺は人魚の朝日君をおんぶして、今までの道のりをゆっくりと引き返しました。


振り返ると、彼から剥がれた鱗と体から滑り落ちる水とが、廊下をきらきらと光らせていて。


俺は何だかそれから目を離せなくなって、廊下の半ば、玄関を前に立ち尽くしてしまったのです。


がらら。


…それを見計らったかのように、すぐ隣の部屋の引き戸が開きました。


びっくりして戸へ振り向くと、ぎょろりとした目を持つ男が立っておりました。


「なんだァ、このガキ。いつ。いや、俺は悪くねぇ、俺ァ、そうだ。だって、あいつが、…ああいや、なんでガキがここに、あァ、どう…」


ぶわ、とむせかえるほどに濃いタバコの匂いが鼻をつき、目が痛くなる程でした。

男は俺と朝日君を交互に見つめながら、しきりに何かを呟いていて。


ああそういえば、ここへ入る時男の声がしていたと、俺はやっと思い出したのです。

俺は男の雰囲気に気圧されて、数歩程後退りました。


「あっ」


ドタン、と尻もちを着く俺と、後ろに力無く放り出された朝日君。


足が滑ったのです。

びしょ濡れの朝日君を背負ってきたせいで廊下が濡れていたから。


男はぬうっと廊下へ出てきて、俺の目の前でしゃがみこみました。


俺はただ、朝日君を守りたい一心で彼を背にかばい男を睨みつけたのです。


半開きの玄関から差し込む陽光のせいで、逆光となった男の顔はほとんど見えなくて。


「ミドリの魚、ミドリの。おまえ、盗ったな。盗ったな!おい!お前、舐めてんじゃねぇぞ糞餓鬼!!」


男は息を段々と荒くし、俺の首に勢いよく手をかけました。

ものすごい力でした。このまま折られるんじゃないかと思う程。

爪で引っ掻いても、足で蹴ったくっても、男はびくともしなくて。


グゥと閉まる気道、キーンと耳鳴りがし始めて視界が涙で揺れるなか。


俺は男の背後に女を見ました。


白と赤のワンピースを着た女でした。

俯く女の手には血に濡れた斧があり、ゆらりぐらぐら揺れながら、それを大きく振りかぶったのを、俺はただ見ていることしか出来ませんでした。


「どいつもこいつも馬鹿にしやがって、お前も!あのガキも!!あの女だッァガッ」


バキ、と男の脳天に直撃した刃物は、男を即死させるのに十分な威力だったのでしょう。


男は目を見引いたまま俺にもたれるように倒れてきました。


潰されていた喉から急速に入ってきた空気。

肺がびっくりしたのか、俺は勢いよく噎せました。

手足の先がじんと痺れていて、小刻みに震えているのが、見ずとも分かりました。


ゴトン、と女は斧を落とし、糸を切られたように崩れ落ちると、それきりピクリとも動かなくなりました。


俺はもう本当に恐ろしくて、ヒッヒッと引き攣れるように息をするので精一杯でした。

男の割れた頭からこんこんと流れる血液が俺の髪やら白いシャツやらに染み込んで、それが温かいのに冷たくて、訳が分からなくて。

震える手でようよう男を押しのけ、朝日君の元へ半ば這うように向かいました。


血塗れになった手で朝日君を抱き抱え、動かなくなった女を恐る恐る振り返りました。


女の容姿をよく見ると、片腕がなく、肩から胸までに大きな切り傷がありました。

俺が白と赤のワンピースだと思っていた服は、血で染まっていただけなのだとその時初めて気がつきました。


そして、彼女の下半身。

恐らく彼女が朝日君の母親だったのでしょう。

それを証明するように、美しい鴉色の尾びれが玄関から差し込む陽光に照らされてキラキラと輝いていました。


俺はなんだか酷く苦しくなってきて、朝日君の腹を抱え引き摺るようにしながら玄関へと向かいました。


頭の割れた男の脇を抜け、倒れた女の側を通り、半開きの玄関を血塗れの手で押し開けようとした。


その時

玄関がバタンと閉まりました。


「ねえ、どこいくの」


背筋が凍りました。

明らかに後ろから、家の中から聞こえてきた声でしたから。


俺は恐ろしさのあまり、まったく動けなくなっていました。

極度の緊張の中、息もろくにできずにただ、自分の足を見つめる事しか出来ませんでした。


「こっち向けよ」


声と同時にぐるん、と体が回転しました。

体が自分の意思と関係なく動いた事に酷く驚いて、俺はその拍子に朝日君を落としました。


「…」


俺は正面を向く勇気も、朝日君を拾い上げる勇気もありませんでした。

玄関に横たわる朝日君が視界に入って、それだけが俺をそこに縫いとめていました。


けれど、残酷にもその声の主は俺に近づいて来たのです。


「あのさぁ、そいつ。俺の友達なんだよね。返してもらってもいい?」


「てか、そいつ殺したの、お前?」


そう言われて俺は弾かれるように顔を上げました。

俺は朝日君を助ける為にここまで来たのに。それを否定され、一瞬恐れを上回る怒りを覚えたのです。


「違うっ!!」

「うわうるさ」


ここで初めて、声の主を見ました。

そこに居たのは、同年代くらいの男の子でした。

紫がかったくせ毛の、眠たそうな目をした子。


俺は声の主が思ったよりまともな見た目をしていた事に少し安堵しました。


「冗談じゃん、一部始終見てたし」

「は、えと、見てたって、どこから」


「お前がここへ入って来てから、あのオッサンに殺されかけるまで」

「ぜ、全部みてるじゃん!」


さらりと言い放ったその言葉に、俺は思わず声を荒らげてしまいました。

ハッとして、恐る恐る相手の様子を伺いましたが、その子は別に何を感じた訳でも無い様子で頭を掻いているだけでした。


「いやごめんって~、俺だって直ぐ助けてやりたかったよ?けどこんだけ大きいの動かすのマジで大変だったし、ギリで間に合ったしいいじゃん」


男はそう言いながら、倒れた女に手をかざしました。

すると、女はゆっくりと浮き上がり、ふわふわと男の横へ移動しました。

その光景に唖然としている俺をよそに、その子は何でもないように話続けていて、


「この人を洗面台から移動させてたときにお前が入って来たからさ~、一旦トイレで隠れてから玄関まで行ったんだけど、そん時に廊下出てきたから超焦った。急いで靴箱の影に隠してさぁ」


よく見ると男の子の下半身は半透明になっていて、言ってしまえばお化けのようでした。

異常事態が起こりすぎて逆に冷静になったのか、俺は段々と緊張も取れてきて少し余裕が出てきました。

そうなると次に、こいつは一体なんなんだという疑問が浮かんだのです。

朝日君と親しいのか、呼び捨てだし、というかなんで半透明なのか。とか


「ていうか、お、お前は何もんなんだよ」

「俺?ユーレイ。朝日と同じような感じの、俗に言うばけもの?みたいな?」


勇気を振り絞って聞いた質問は、とても簡単に返されました。

まるで今日の天気を聞かれたかのような軽さで。


「ばけもの?」

「そ。てか今暇?暇だよね?遊びに来たんだろうし」


「運ぶの手伝ってくんない?まだそいつ寝コケてるし」

ずずいと顔を寄せてきた男は、朝日君を指さしながら言いました。


「え、いや、もう、死んでるんじゃ」


「いや?生きてるよ?人魚になってるから冷たくて顔色悪いだけ。弱ってるけど、薄く息もしてるし」


俺はその言葉に、急いで朝日君の呼吸を確認しました。

するとたしかに、弱々しくはありますがきちんと息をしていたのです。


「よ、良かったァ…」

ドッと安堵が押し寄せて来ました。

足から力が抜け、涙がじわりと目尻を濡らして。


「死んでるんならまだマシだけどさ、生きてる人とか動物とか動かすのめっちゃ疲れんだよね。」

「俺、この人連れてくから、朝日のこと連れて来てよ。」


「ちょ、なんで俺が。ていうか連れてくって、どこに」


「んー、ばけものたちのいるところ。かな」


「そうだ。名前聞いてなかった。俺ユウ。」

「え。あ、俺、俺は。はちの…いや。ヤノ。ヤノだ」


咄嗟に、人外に本名を知られるのは不味いらしいという、何かの本で読んだ知識を思い出しました。


「…おっけ、ヤノね。じゃあ着いてきてヤノ。くれぐれも人間に見つかんないようにね」


そうして、俺は彼、ユウと一緒に意識のない朝日君ともう冷たくなった彼女を連れてここへやってきたという訳です。



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