第17話「手をつないで歩く」

朝日が村を金色に染める頃、ミズキとエルピスは並んで石畳の道を歩いていた。


「わっ」


小石に躓きかけたエルピスの手を、ミズキが咄嗟に掴む。


そのまま、自然と指が絡まった。


「……ありがと」


エルピスが顔を赤らめる。


ミズキは少し照れくさそうに視線を逸らしたが、手は離さなかった。


村の朝市は活気に溢れていた。


野菜を売る声、焼きたてのパンの香り、子供たちの笑い声。


つい数週間前まで、世界の崩壊に怯えていたのが嘘のようだ。


「おや、お二人さん」


パン屋の前で声をかけられた。


見覚えのある青年だ。第3話で出会った、あの農夫の息子。店の看板を磨いている。


「新婚さんですか?」


エルピスの顔が一気に真っ赤になった。


「ち、違……その、えっと……」


言葉が出てこない彼女に代わって、ミズキが答えた。


「まあ、そんな感じだ」


「「えっ」」


エルピスと青年が同時に声を上げる。


ミズキは平然とした顔でパン屋を指差した。


「焼きたて、二つ」


「あ、はい! 少々お待ちを!」


青年が慌てて店に駆け込む。


一人残されたエルピスが、ミズキの袖を引っ張った。


「ちょ、ちょっと……今の、本気?」


「冗談だ」


「もう!」


頬を膨らませるエルピスの表情は、怒っているというより拗ねているように見えた。


ミズキはその頭に手を置く。


「でも、半分本気かもな」


「……っ」


エルピスが固まった。その顔は、朝日より赤い。


パンを受け取り、二人は村を抜けて川辺へと向かった。


前にも来たことのある場所だ。水面が朝の光を反射して、きらきらと輝いている。


「ここなら、誰にも邪魔されないね」


エルピスが草の上に腰を下ろした。ミズキもその隣に座る。


買ったばかりのパンを分け合い、しばらく無言で食べた。


静かで、穏やかな時間だった。


「ねえ、ミズキ」


パンを食べ終えたエルピスが、川を見つめながら言った。


「魚、釣ってみたい」


「……魚?」


「うん。神様だった頃は、祈れば釣れたの。でも今は……普通の人間だから」


エルピスの瞳に、好奇心と少しの寂しさが混ざっていた。


「試してみるか」


ミズキは近くの木の枝を拾い、適当な糸を結んで即席の釣り竿を作った。


エルピスが目を輝かせる。


「すごい、サバイバル知識!」


「前世でキャンプ行ったことあるだけだ」


エルピスは竿を受け取ると、川辺にしゃがみこんだ。


真剣な表情で水面を見つめる。


「えい」


糸を垂らす。数秒の沈黙。


「……来ない」


「そう簡単には来ないだろ」


「でも、神様の時は……」


その時、糸が引かれた。


「きた!」


エルピスが勢いよく竿を引き上げる――が、バランスを崩してそのまま川に向かって倒れこんだ。


「危ない!」


ミズキが咄嗟に彼女の腰を掴み、抱きとめた。


竿は川に落ち、魚は逃げていく。びしょ濡れのエルピスが、ミズキの腕の中で呆然としていた。


「……ごめん」


「怪我はないか?」


「うん……ありがと」


エルピスが顔を上げる。至近距離で視線が絡んだ。


不意に、エルピスの表情が曇った。


「ねえ、ミズキ……私、思い出せないこと、まだたくさんあるの」


「ああ」


「神様だった頃の記憶。世界を作ったこと。あなたと初めて会った時のこと……」


彼女の声が震える。


「全部ぼんやりしてて、断片的で……白い空間で、あなたがいて……でも、それ以上が……」


第1話の記憶だ。


エルピスが世界を作り、Prayerシステムが暴走し、ミズキが呼ばれた、あの始まりの場所。


「記憶が戻らなくても」


ミズキはエルピスの肩を抱き寄せた。


「お前は、お前だ」


「でも……」


「神様じゃなくても、記憶が欠けてても、お前がお前であることは変わらない」


エルピスの目に涙が滲んだ。それは悲しみではなく、安堵の涙だった。


「……ずるい」


「何が」


「そんなこと言われたら……もっと好きになっちゃうじゃん」


ミズキは少し笑った。


「それは困ったな」


「困るの?」


「いや、嬉しい」


エルピスが小さく笑った。


その笑顔は、神様だった頃よりもずっと人間らしかった。


日が傾き始めた頃、二人は川辺を後にした。


帰り道、夕陽が二人の影を長く伸ばす。


「ねえ、ミズキ」


エルピスが立ち止まった。振り返ったその顔は、真剣だった。


「記憶、全部戻ってないけど……今の私の気持ちは、本物だから」


「……うん」


「あなたのこと、ちゃんと好きだよ」


ミズキは一瞬言葉に詰まった。それから、ゆっくりと彼女に歩み寄る。


「俺もだ」


そっと手を伸ばし、エルピスの頬に触れた。彼女が目を閉じる。


唇が重なった。


遠くで、ぱちぱちと拍手が響いた。


エルピスが慌てて顔を離し、辺りを見回す。


村の入り口あたり――あのパン屋の青年が、満面の笑みで親指を立てていた。


「見られてた……」


「気にするな」


「気にするよ!」


顔を真っ赤にして怒るエルピスを見て、ミズキは笑った。


彼女も、少し遅れて笑った。


帰り道、二人は再び手を繋いだ。


「ねえ、明日も……こうやって歩こう」


「ああ」


「明後日も」


「ああ」


「ずっと」


ミズキは彼女の手を強く握った。


「約束だ」


夜の帳が降りた村道を、二人のシルエットが並んで歩いていく。


世界は、また明日も続く。


それが、何よりも尊いことだった。


---


**次回予告**


世界は動き続ける――最終話『星空の約束』

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