人間を信じたい僕が、神に最も近い“異端者”になった話
沢田美
第1話 異端者の目覚めと、森の惨劇
「見せてみろ! お前が偽神か! それともただの異端者なのかを!」
化け物の咆哮が、月明かりに照らされた森に響き渡る。
僕の体を覆う赤黒い皮膚――これが、人を化け物に変える『凶人の痣』の力。
つい数時間前まで、僕はただの高校生だった。
「僕は――人だ」
刃を握り締め、化け物へと駆ける。
※
全ては、数時間前から始まった。
僕はいつも通り学校の支度をしていた。
「行ってきます、父さん、母さん」
仏壇に挨拶をして、家を出る。
いつもと変わらない朝。いつもと変わらない通学路。
「うわ、アイツだよ」
「ホント、なんで外に出るのかしら」
――凶人。
額に浮かぶ特徴的な痣を持つ者への蔑称だ。
数年前、一人の凶人が村を壊滅させた。人智を超えた化け物となって、村人を皆殺しにした。それ以来、僕たちは差別の対象になった。
道行く人々の視線が刺さる。聞き慣れた囁き。もう何も感じない――そう思っていた。
※ ※ ※
下駄箱の扉が開け放たれている。
中の上履きは泥まみれだ。油性ペンで真っ黒に塗りつぶされ、『死ね』『消えろ』『凶人は学校に来るな』の文字が何重にも重ねて書かれている。
――ああ、また。
もう慣れた。胸の奥がチクリと痛むけれど、表情には出さない。
泥まみれの上履きを取り出し、靴下のまま履く。湿った感触が気持ち悪い。周囲の視線が突き刺さるけれど、それも日常だ。
「よう、優雅(ゆうが)」
「お、おはよう……勝美くん」
肩を叩かれて振り返る。
目の前に現れたのは、僕のいじめの主犯格である勝美だ。ガタイの良い体格と、常に浮かべている不敵な笑み。
「お前さ、今日少し付き合えよ」
「な、なんで?」
「少し肝試しに行こうと思ってよ」
「肝試し?」
「そうだ。学校の裏山によ、凶人が出るって噂でな。俺らで駆除しに行こうってなったんだ」
勝美は僕の肩に腕を回す。
その周りには取り巻きたちが数名。全員がニヤニヤ笑っている。
「あぁーそういえばお前も凶人だったなー?」
「おいおい、それは言っちゃダメなお約束だろ?」
「そうだったな!」
取り巻きのツッコミに笑う一同。
そして、勝美は目に殺意を宿したような瞳で問いかけた。
「お前も来るか? まぁ来なかったら……分かるよな?」
喉が引きつる。拒否したら、明日はもっと酷いことになる。
「わ、分かったよ。行く」
僕が震える声で答えると、勝美たちは笑いながら去っていった。
※ ※ ※
学校が終わり、放課後。
約束通り僕は勝美たちと共に、学校の裏山の前に来ていた。
彼らの手には、スコップやバールが握られている。
夕暮れのオレンジ色に染まった空。薄暗い裏山の入口は、不気味な雰囲気を漂わせていた。
「よし、行くぞ」
勝美の言葉に、取り巻きたちは中に入っていく。
一瞬逃げようか迷った。でも、次の日に何をされるか分からない。それだけが怖くて、僕は彼らの後を追った。
みんなは笑い合い、談笑しながら山を登る。
まるで僕がいることなんて、無視するように。
――一体この人たちは、何をする気なんだ?
そんな疑問が過ぎる中、裏山の中腹あたりに古びた小屋が見えた。
とても小さく、建物というより倉庫のような佇まい。
「おい、行くぞ」
勝美が小屋に歩み寄る。
そして――彼は扉を蹴破った。
バァン!
「どうもー! こちら凶人駆除センターの者でーす!」
取り巻きたちが笑いながら小屋に入っていく。
僕もそのあとを追うように入った。
中は人が最低限の生活をしているような光景だった。だが、何者かに荒らされた形跡があり、壊された家具が散乱している。
「汚ねーな」
「ウゲッ、変な臭いする」
「ここに本当に凶人がいんのかよ」
取り巻きたちが言葉を並べる中、勝美は後ろにいた僕に視線を向けた。
「おい、優雅。お前が見てこい」
「え? ぼ、僕が?」
「当たり前だろ。テメェの仲間がここに無断で住んでるんだからよ」
僕はみんなの前に突き出される。
恐る恐る小屋の奥へと進む。
荒らされた形跡と、わずかな生活の痕跡。人の気配も、ネズミや虫の気配すらない。
「こ、ここには誰もいないよ」
そう言って振り返った瞬間――彼らの背後に、人影があった。
誰も気づいていない。
でもその影から放たれる、おぞましい殺気。背筋が凍る。
「おい、どうしたんだよ。もっと探索してこいよ」
彼らから一歩後ずさりした時、バキッという音がした。
床が割れる音だ。
下に視線を向けると――床の下に隠されていた、数名の人のバラバラになった亡骸。
こちらに助けを求めるように見つめる、濁った目玉。
息が止まる。
足が震える。
恐怖のあまり、声が出ない。
――逃げないと!
「――みんな! ここから早く!」
咄嗟に叫んだ時には、もう遅かった。
それは既に、構えていた。
勝美たちもその気配に気づいた――が、体が動かない。
月光が差し込む中、そこにいたのは――赤黒いヒビの入った強靭な肉体、頬まで裂けた口、一つ目の化け物。
「な、なんだ、コイツ――」
取り巻きがそう言葉を吐いた瞬間――化け物は持っていた巨大な斧で、勝美と取り巻きを両断した。
ズバァッ!
血飛沫が宙を舞う。
臓物が飛び散る。
倒れる二つの体。
僕はそれをただ、呆然と眺めていた。
「テメェら人間は、人様の家に入る時、許可を貰わずに入るタイプか?」
喋った。
化け物が、喋った。
勝美たちは――死んだ?
嘘だ。
アイツが殺した?
脳裏を駆け巡ったのは、数年前にニュースになった出来事。
一人の凶人が村を壊滅させ、一人残らず惨殺した事件。
その際に撮られた写真には――これと同じような化け物が映っていた。
――まさか、これが凶人の変異した姿?
動かない足を無理やり動かそうとする。
でも、力が入らない。
巨大な斧を持った化け物は、勝美だったものを踏み鳴らしながら、僕に歩み寄ってくる。
「俺はよォ、静かに一人で暮らしていたかったのに、テメェら人間が俺の生活を邪魔してくるんだぜ?」
足が滑り、その場に座り込む。
目の前であっさりと、人が死んだ。
殺される。
僕も殺される。
目に映る彼らの遺体。
歯がガタガタと鳴り、足が震える。
死が今、目の前にある。
化け物はゆっくりと、僕の顔を覗き込んだ。
「お前、その痣……凶人か?」
低い声に、僕はゆっくりと頷いた。
すると、化け物は高らかと笑った。
「仲間、か。それなら、遺言だけ聞いてやるよ」
――動け、体!
必死にそう呼びかける。
そして、僕は這い蹲るように走り出した。瓦礫が散乱する音と共に、小屋を飛び出す。
助けを!
早く助けを!
山を降りようとした時だった。
僕の視界の先に、見覚えのある腕が飛んでいた。
「――は?」
ふと自分の腕に視線を向けると、右腕が切断されていた。
その瞬間、溢れ出す灼熱感。猛烈な痛みが全身を駆け巡る。
「ガアアアアアア!」
切断された腕の断面を握り締める。
血が止まらない。白い制服が、あっという間に真っ赤に染まる。
「おいおい、どこに行くんだよ。寂しいじゃないか」
僕の目の前には、不敵な笑みを浮かべている化け物。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
「死にたくない!」
「――死ぬしかねぇんだよなぁ!」
化け物は斧を大きく振り上げる。
その瞬間、脳裏に過ぎるのは――今まで僕が受けてきた迫害と差別。
父さんと母さんの死体。
あの日、何者かが最後に言った言葉。
『お前は生きろ』
誰かの声と共に、僕は生きることを願うように、腕を伸ばした。
振り下ろされる斧。
――死にたくない!
伸ばした腕から、何かが弾けた。
赤黒い稲妻が迸り、視界が真っ赤に染まる。体中を何かが駆け巡る――熱い、痛い、体が軋む。
「――ナニッ!?」
化け物の声が遠い。
意識が沈む。ドス黒い泥の底へ、引きずり込まれるように。
そして――湧き上がる。
この感情は何だ?
体の奥から溢れ出す、殺意。
僕は、何かに変わろうとしている。
※
意識が浮上する。
体が熱い。
ふと、自分の体を見る。
欠損した腕が元に戻っていた。そして全身が、目の前の化け物と同じような赤黒い皮膚に覆われている。
「お、お前も!」
化け物が驚愕の表情を浮かべる。
「お前、死ね!」
化け物は地面にクレーターを作り、猛スピードで迫ってくる。
振り下ろされる斧。
――でも、見える。
僕は自然と、対抗できると感じた。
「は?」
気づけば、僕は化け物の放った刃を受け止めていた。
動揺する化け物の横腹に、強烈な蹴りを打ち込む。
すると、相手は風圧による余波を出しながら、生い茂った木々に激突した。
「これが――僕の力?」
自分の今の見た目は分からない。でも、自分もあの化け物と同じようになったことだけは分かる。
「き、貴様ァァ!」
化け物が立ち上がり、再び襲いかかる。
そこから、体が自然と反応した。
無意識的に僕は、手の平から剣を引き抜く。赤黒い血管のようなものが絡みついた刀身。
――瞬間、化け物は斧を振り下ろす。
僕はそれを刀身で弾き返した。
「――クッ!」
そして、僕はそのまま化け物の体を斬り裂く。
血が吹き出す中で、化け物は不敵な笑みを崩さない。
「見せてみろ! お前が偽神か! それともただの異端者なのかを!」
目の前にいる化け物は僕に問いかけた。
偽神――それが何なのか分からない。
でも、今の僕には分かる。
「僕は人だ」
僕と化け物は、それを合図に勢いよく衝突した。
迫り来る斧の刃を避ける。
そして、僕は持っていた剣で化け物の体を両断した。
臓物と血飛沫が舞う中で、僕はただ立ち尽くしていた。
静寂が訪れる。
聞こえるのは自分の荒い息だけ。
これが――僕の力。
※
その頃、森の外縁部。
「海斗、偽神の出現を確認。現着した」
黒い刀身を月光が照らす。
俺は通信機から指を離し、森の奥を睨んだ。凶人の痣から放たれる異常な気配――間違いない、偽神だ。
「偽神狩りを開始する」
刃を構え、俺は闇の中へと踏み込んだ。
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