5月

第10話 訓練

 高校生活、最後の1年が始まった。

 春休みに多くの衝撃的な事実を目の当たりにし、かつ自身がその渦中に飛び込む事になってしまった神室修一かむろしゅういちは、正直当初はビクビクしていた。


 いつ、他のビーストに襲われるのか。

 いつ、「仕事」に駆り出されるのか。


 左腕の端末。何度か取り外そうとしてみたものの、そもそもどうやって取り付けられたのかが分からない。金具や切れ口が無いのである。バンド部分はゴムのような素材で出来ていてそれは一見柔いように見えるが、カッターの刃を隙間に入れて切れるか試したところ、刃の方がボロボロになってしまった。


 仕方なくつけたままになっているそれは、修一にとってお守りであると同時に、疫病神でもある。嫌でも倫子とサキの存在を意識せざるを得ないからだ。

 ところが想像に反して約ひと月の間、襲われる事も、「仕事」に駆り出される事もなかった。その代わり――という訳ではないが、


「遅い」


 サキが付きだしたつま先が修一の喉ぼとけに喰い込み、動きが止まった所に横からの回し蹴りが頭部を捉え、修一は派手に吹き飛んだ。


「何度も言っているでしょう? 馬鹿の一つ覚えみたいに突進するだけではダメ」


 普通の人間であれば確実に死んでいるであろう威力だった筈だが、修一は軽く頭を振っただけで立ち上がった。


 ――それでも。


 このひと月、ほぼ毎日修一を呼び出して特訓を受けさせていた。理科準備室の扉奥にある「結界」。その更に奥に広がる空間。タイルのような無機質な壁で囲まれたそこは、倫子が訓練用にと新たに造ったものだ。


 基礎訓練から始まり、ようやっと実技に移った段階であるが、修一の成長にサキは驚いていた。ビーストになった以上当然なのだが、その伸び率が普通では無い。身体能力、回復能力、その他諸々。だが問題は……。


「こっちは、格闘技の経験なんか、無いっての」


 無茶言うな、と言いつつ修一はせき込む。回復能力が高まっているといっても、ダメージが無い訳ではない。


「ビーストは皆、動物のように本能でどう戦えばいいかを知っている。けど動物と違うのは、人間のように知恵を持っている事。自分の能力を理解し、知恵をもってそれを最大限に活かさなければ、生き残れない」

「分かってるよ……その為の、訓練だってんだろ。ちゃんとやってるじゃないか」


 端末を身に付けている以上、逃げるという選択肢が存在しなかった事もあるが、当初は嫌々であった修一も、どこかで充実感を感じている自分に気付いていた。無論、自身の肉体の変化に戸惑っている。だがそれ以上に、日々できる事が増えていく事実。


「よう、やってるね」


 修一が口元の血を拭ったその時、倫子が顔を出した。


「……定例会だったのでは?」

「行くわよ、ちゃんとね。でもその時に絶対話に出る筈だからサ、現状を報告しろってね。――で、どうなの?」

「身体能力の向上は目覚ましい。回復力も、変身しなくとも普通のビーストレベルはあると思う」


 ふうん、と倫子は首を傾げて修一を一瞥すると、


「で、変身は? できるようになった?」

「それは……」

「やってみせて。この部屋だったら自動で制限解除されるって言ったでしょ」


 端末には、倫子の許可無しで変身ができないよう制限機能が付いている。それは人間の信用を得る為に、仕方なく付けた機能だった。


「えっと……」

「早く」


 有無を言わさぬ調子に気圧され、修一は端末を付けた腕を伸ばし、片腕でそれを支えた。


「……変身……っ!」


 一瞬、端末の画面が発光して――終わった。

 沈黙が場を支配する。


「えっ? お終い?」

「はい……」

「現状はご覧の通り。そういう事」


 倫子は大きくため息をついて腕を組む。


「やれやれねぇ……。ひと月やって全く成果ナシってどういう事よ」

「成果が無い訳では――」

「変身できないって、ビーストとしては致命的でしょ」


 反論の余地が無く、サキは口を閉じる。


 ここまで真剣な倫子を見るのは初めてかもしれない。ウイスキーと煙草にまみれた姿しか記憶に無い修一は、普段とのギャップに少し戸惑う。


「やっぱさぁ、何かこう、カッコイイポーズとかをキメた方がいいんじゃないの? 男の子的に、気持ちがアガるでしょ?」


 テレビの変身ヒーローがやるようなポーズを幾つかとる倫子を見て、やはり勘違いだったかと修一は認識を改める。


「だったら、手本を見せて下さいよ。先生だって、変身できるんでしょう」

「嫌ぁよ、このスケベ」


 突然出てきた想定外の単語に困惑する。


「何すか、スケベって」

「あら、知ってるんじゃないの? 変身なんかしたら、服が破けちゃうじゃないの。あたしをハダカにしてどうするつもり?」


 えぇ……。あれ? でもサキは――。


「言ってなかった? 私達ビーストは自分の表皮を変化させて、衣服に見せる事ができる」


 成程。制服姿のままどんなに脚を振り回しても、中が見えなかったのはそういうワケか――いや、そうじゃない。


「あたしの場合は、まぁ長い事人間社会で生きてるとねぇ、服を着るっている人間の風習に馴染んじゃったのよ。でもあなたがどうしてもって言うならぁ、見せてあげない事もないわよぉ?」


 と、倫子が身をくねらせる。


「……遠慮しておきます」

「冗談はともかくとして、とりあえず、現状をママ報告するしかないわね。人間達ヤツらを喜ばせる……というか逆に嘘付いてるんじゃないかって、疑われちゃうかもしれないけど」

「疑われるのは、普段の言動が問題なのでは?」

「アラ言うわねサキさん。これは、教育係としてのあなたの責任じゃなくて?」

「……分かってる。努力は続ける」

「二人とも、結果を出してもらわないとね。宜しく頼むわよ」


 手をひらひらさせながら倫子が部屋を出ていくと、修一はホッと息をついた。


「ごめん、俺のせいで」

「気にすることはない。変身できない原因も分かってるから」

 サキはそう言って、修一の目を見る。「まだ、認めたくないんでしょう? 自分がビーストだって」


 修一は視線を逸らした。常人の域を超えた身体能力を得ておいて、自分をビーストとは認めたくない。何を甘えたことを、と言われたような気がした。


「こればかりは、私ではどうにもならない。――とはいえ、何とかしないと」


 その時修一の腹が大きな音を立てて、サキはため息をついた。


「少し、休憩にしましょう」

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