第2話『営業スマイルと塩対応』
彼女と初対面した翌日。移動の合間に駅のベンチに腰かけながら、スマホを取り出した。
(……さてと。まずは軽くジャブを入れてから、誘いだすか)
いつものスタンス、いつもの俺。
心の中で口笛を吹きながら、軽く文面を作り出す。
【先日はありがとうございました。資料の中に補足したい点がありまして、一度直接ご説明できればと思っております。ご都合の良い日時等ございますでしょうか】
仕事の話を適当に済ませたら、食事にでも誘って……。
一人でその後の展開までを考えながら送信ボタンを押すと、すぐに既読がついた──が、返ってきたのは数分後。
【いただきました資料にて、内容の把握はしております。現時点で追加対応の必要はないかと思われます。このまま進めていただいて結構です】
(は? マジかよ……)
この俺が仕事を建前に会いたいって言ってるのに、まさかの塩対応。
いや、でもこれが向こうの手なのかもしれない。しばらく寝かせて、また攻めることにしよう。
そう考えた二日後。今度はメールじゃなくて、電話で誘い出すことにした。
「お世話になっております。三都社の榊です。先日お渡ししました資料について、補足点がございますので、良ければ一度お時間でも……」
『その資料につきましては、弊社では問題なしと判断して進めております。補足説明が必要でしたら、次回打ち合わせ時にお願いいたします。では、失礼します』
ガチャッ! プーーー……
マジかよ、おい!!!
くっそ……、塩対応にも程があるだろうが!
ここまでくると意地でも落としてやる! と気合いが入る。
もしかして、男に興味無いタイプなのか? それはそれで落としがいがあっていいけどな。
こうして俺は、仕事とは違う熱意を無駄に燃やしていったのだった……。
***
いつもと変わらぬ冷静さを保ちながら、今日も私はデスクに向かって手を動かしている。
資料の最終チェック、プロジェクトの進行管理、後輩からの問い合わせ対応。
そのどれもがいつも通り──のつもりだった。
「ユキさん、あの件ちょっとだけ確認いいですか?」
「うん、いいよ。ちょっと待ってね。……ねえ、ここの仕様ってこっちと整合とれてる?」
「大丈夫です!」
「ありがと」
(……よし、先方との仕様も全部整合取れた。これで誰に見られても問題ない。次は、さっき聞かれた件を確認して……)
テキパキと対応しながらも、目線をちらりとPCの時計に落とす。
(あと……4時間と13分)
心の中でひっそりとカウントダウンを始めていたのは、今日が待ちに待ったお気に入りBL漫画の新刊発売日だからだった。
(ドラマCD付き特装版コミック……! しかも攻め役が推し声優……! 即予約済だけど、すぐにでも読みたいし聞きたい……!)
仕事はきっちり。だが、心の中では祭りの準備が始まっていた。
そんな私の気持ちを知ってる茉里愛が、隣にきてボソッと呟く。
「今日だね、ユキちゃん。あれ予約した?」
「したよ、したした! 茉里愛は?」
「もちろん私もしたよ。どこでした? 私はネット注文で済ませちゃった」
「私は駅前のメイトで予約したの。今日は定時ダッシュで迎えに行ってくるわ!」
「ふふっ。お互い今日は楽しもうね」
茉里愛の言葉に、真っ直ぐ親指を立てる。
その後もモニターを見つめながら、心の中では就業後の予定を再確認中。
(18時ちょうど退勤→更衣室2分→エレベーター回避で階段→最速ルート確保……よし、完璧)
頭の中で何度もシミュレーションする。素早く手に入れるために、すでに戦略は練られていた。
***
あれから数日。メールや電話で突撃するも、毎回見事なまでの塩対応。なんなら、最近は毛嫌いされてる気すらしてきた。
なんでだ……? 嫌われるようなことした覚えはないぞ? 俺が女性からこんなに雑に扱われたの、記憶にないんだけど……?
どこかで会ったことでもあるのかと考えたが、あれほどの美人なんだ、そう簡単に忘れたりしないだろう。
だとすれば、何か失礼なことでもしたか? ……いや、いつも通りだったはずだ。別に下心丸出しで誘ったわけでもないし、紳士的だったはずなんだけどな……。
深く考えないようにしているが、どうしてもどこか気になってしまう。
冷たくされたからというより「そういうタイプの女性」とこれまで接点がなかったからかもしれない。とりあえず今後どう対応するかはじっくり考えよう。
自分に言い聞かせると、スマホをポケットに戻して歩き始める。目の前の信号が青に変わった。営業先からの帰り、駅へ向かう道すがら、ふと目の端に映る姿に思わず立ち止まる。
向かいの坂道を嬉しそうに歩いてくるのは、彼女──長谷川ユキだった。
小さな紙袋を胸に抱えて、ほんのりと口元が綻んでいる。
その表情は……前回会った時とは全く違って楽しそうだった。嬉しそうで、穏やかで。まるで子どもみたいな無邪気な笑顔。
いつもの彼女じゃない表情を見て、呼吸が一瞬、止まった。
道の向かいから、しばらくその光景を眺めて動けなくなった。
(……こういう顔、するんだ)
気が強そうで、線引きがはっきりしていて、笑顔はいつも愛想笑いで、社交辞令すら苦手そうな女性。
でも今の彼女は、まったく別の顔をしていた。
胸の奥で、何かが音を立てて、ひそやかに動いた。
それが何か、俺はまだ気づいていなかった。
とりあえず、この偶然を活かさない手はないな。
そう思い、彼女に向かって足を一歩踏み出した。
***
「ありがとうございましたー」
店員さんから受け取った袋を大切に握りしめる。
(ああ、嬉しい! これから帰って、まずはメイクを落としたら一回読んで、その後もう一度最初からじっくり堪能する? それとも特典CDを先に聞くか……)
帰宅後、どうやって新刊を楽しもうか、脳内であれこれ考え始める。こうして考える時間も含めて、萌えを堪能できる幸せに浸っていると、突然――
「長谷川さん?」
横から男性に呼び止められた。声のした方を振り向くと、そこにいたのは三都社の榊さんだった。
(げぇっ……! なんでコイツ、こんなところにいるのよ!)
慌ててアニメイトの袋を、トートバッグの中に隠す。
前回打ち合わせで対面してから、何度もメールや電話で連絡を入れてきた彼に対して、私は徐々に嫌悪感を募らせていた。
何かにつけ、会おうと言外に匂わせてくるところが、チャラくて嫌だったのよねぇ……。仕事に私情からめてくる男って、一番信用できないのよ。
心の中ではそう思いながらも、そこはやっぱり社会人。即座に愛想笑いの仮面を貼り付け、笑顔で対応する。
「榊さん……でしたよね? 偶然ですね。こちらへは何かご用事ですか?」
「ええ、営業の帰りなんです。長谷川さんは?」
「私はプライベートで用事があって……」
にこりと微笑み、それ以外は語らず黙らせる。女のプライベートに無遠慮に踏み込んでくるんじゃないわよ、そんな圧を漂わせながら。
相手はさすがチャラ男なだけあって、その辺の事情は汲み取ってくれるらしい。それ以上、聞き出そうとはしてこなかった。
彼も営業マンらしく微笑みながら、言葉を続ける。
「偶然とはいえ、こうしてお会いできて嬉しいです。――良ければ、この後お食事でもどうですか?」
――はあ?
食事なんて行くわけないでしょ!
私にはこの後、大事な新刊を存分に堪能するという使命があるんだからね!!
……と、言いたい気持ちをグッと抑えながら、笑顔でお断りする。
「せっかくのお誘いですが、ごめんなさい。今日はこの後、大切な用事があって……」
「そうなんですか……。その用事って何時頃に終わりますか? 僕、終わるの待ってますよ」
(いやいやいや、待つな。仕事でも待てないくせに何で私の私生活は待てるのよ?)
心の声をぐっと押しとどめ、口角を上げるよう努める。社会人、辛い。
「いえ、お待たせするのも悪いので……」
「そんなことはお気になさらず。何なら社で仕事でもして待ってますよ」
にこやかに誘ってくるが、そのしつこさに内心げんなりしてる。
用事あるって言ってんだから、空気読みなさいよ! このポンコツ営業マン!!
そんな心の内を押し殺し、笑顔の仮面を貼り付ける。
「すみません、本当に今日は無理なんです」
こういうヤツにはキッパリ断るのが一番ね。優しく丁寧に断ろうとした私が馬鹿だったわ。
そしてそれは正しかったらしい。あれだけしつこく食い下がってきていた彼だが、ようやく引き下がってくれた。
「そうですか……。残念ですが、仕方ないですね」
「すみません」
「いえ、大丈夫ですよ。――代わりにプライベートの連絡先を教えていただければ」
「……は?」
あまりにびっくりしすぎて、心の声がそのまま漏れ出てしまった。
ちょっと待って。このチャラ男、今何て言った?
「せっかくこうして仕事とは関係ない場所で再会できたんです。このまま別れてしまうのは勿体無いじゃないですか」
いや、勿体無くない! 全然、勿体無くないわよ!!! 意味わかんないんだけど!
「長谷川さんもお急ぎみたいですし、今日のところは連絡先を交換してもらえれば」
にこりと笑って言ってくるけど、こっちは教えないといけない道理はない。
(こんなやり取りに時間使ってる場合じゃないのよ!! 私には開封して崇める新刊がある!!!)
無視して帰りたいけど、彼は行く手を阻むように立ち塞がってる。断ると、さっきみたいにまた食事に誘われる? それもまた面倒臭い。
あ〜〜〜、もう!!! 仕方ない!!
「……わかりました」
「え?」
「プライベートの連絡先、お教えします」
「マジで!? ありがとうございます!」
大抵の女性ならくらりとくるであろう笑みを浮かべて、嬉しそうにお礼を言ってくるが、私の中では連絡先より新刊コミックが重要なだけだ。
これは敗北じゃない。優先順位の問題よ。榊<新刊ってだけ。さっさと教えて、とっとと帰って、萌えを堪能するのよ!!
そしてメッセージアプリのIDを交換すると、挨拶もそこそこに帰路に着いたのだった。
***
「ありが……」
「じゃあもういいですね失礼します」
連絡先の交換を終えると、お礼を言う間もなく、彼女はその場から立ち去って行った。
(本当に用事があったんだ……)
てっきり社交辞令の断りかと思っていたが、あの慌てようを見るとどうやら本当だったらしい。
一応、悪いことをしたかなとは思ったが、俺としてはこの機会を逃すことはできなかった。
まさか俺の誘いを断る女がいるとは……それはそれで新鮮だったし、結果としてプライベートの連絡先を交換できたんだ。焦って追いかける必要もない。 こういうのはタイミングと距離感が大事だと、経験上わかっている。
さて、とりあえず今日は軽めの挨拶でも送っておくか――。
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