第4話 強敵の噂


 1973年11月 北海道恵庭えにわ



 カラーン……コローン

 

 冷たい風が背中を押し、扉の鈴が鳴る。

 

 店内には、タバコの煙がゆらゆらと立ちのぼり、スピーカーからはGSグループサウンズの曲が小さく流れていた。

 

 コーヒーの香りが、店内に漂い鼻の奥を通り抜けていく。


「こんちゃ〜っす」


「おっ、いらっしゃい。奥の席空いてるよ」


八尋「ラッキー、やったぜ! 」


 4人は、いそいそと左奥のボックス席に座り込みコーヒーを頼んだ。


 やがてコーヒーが運ばれると、尽はキャメルの先に火をつけて、一口吸い込んでから、話し始めた。


尽「伊藤はさ、さっきの奴ら知ってんの? 」


 マグカップの縁をなぞりながら答える。

 

伊藤「いや、知らない人たちなんだけど、学校帰りにたまに見かけるんですよ」


 

修司「そっか、——あいつら恵西けいせい高校だよな? 」

 


八尋「ああ、恵西の校章だったべ? 」

 


修司「恵西か……嘉山かやまがいるな」

 


八尋「そうだな——アイツと関係ねぇ奴らだったら良いけどな」

 


尽「ん? 誰だよ、嘉山って? 」


 すると伊藤が話しはじめた。

 


伊藤「嘉山かやまは、恵西の体育科2年で、ボクシング部のエース。高校総体インターハイの北海道代表にもなってるんだ。今年ウェルター級で全国ベスト4——そして素行は悪い……らしい」

 


八尋「い、伊藤……意外に詳しいな」

 

 

伊藤「実は僕、放送部に入っててさ、今年うちのボクシング部を特集した時に、恵西も色々調べたんだよ」

 


修司「へぇ、そうなんだ。どうだった? 危険な噂も聞こえてきたか? 」

 


伊藤「うん、入部してすぐに、生意気だってボクシング部の2、3年が、練習中の事故に見せかけて10人がかりで、嘉山かやまをシメようとしたんだけど……」

 


尽「——したんだけど? 」

 


 伊藤は小声で、湯気の向こうの尽を見ながらつぶやいた

 「10人全員、鼻を折られてKOされた……」

 


 一瞬、空気が凍りついた。

 

 

尽「ウソつけっ! ボクシング部10人はさすがにフカシだろ! 」

 


 尽の呼吸が荒くなる。

 


修司「いや、尽 ——本当だ」

 


修司「オレらの中学んときのダチが、恵西けいせいのボクシング部でよ。……しっかり目撃してんだわ」


 尽は驚いて目を剥いた。


伊藤「高校総体インターハイでベスト4って言ったけど、アマチュアルールだからって言われてる。ポイントを競うアマルールじゃなければ、プロルールなら敵なしじゃないかって……」



尽「ま、まぁでもカンケーねぇんだろ? ボクシング部なんだから、あんなカツアゲ野郎どもとはよ? 」


 八尋はセブンスターに火をつけ、ひと口吸ってから答えた。

 


八尋「恵西けいせいは——嘉山かやまが"番"を張ってる」



 尽の吸っていたキャメルの灰が、ポトリと落ちた。


尽「…………」


修司「ま、まぁ、大丈夫だべ? 暗くなり始めてたし、すぐに倒したからアイツらも顔を覚えてねぇよ 」


尽「おい修司、別にオレはビビってねぇぜ! やるならやってやんよ! 」


八尋「まあまあ、落ち着けって。確かに尽ならやり合えるかもしんねぇけど、オレらも実際どれだけヤツが強いか知らねぇんだよ」


修司「理由もなしに、やり合う必要ねぇしな。——でも、今回はオレたちゃ悪くねぇ! もし嘉山かやま出張でばってくんならオレは迎え撃つぜ! 」


 と言いながら左のてのひらこぶしを叩きつける。


八尋「ちょっ、修司まで熱くなんなや。やらねぇに越したことねぇんだからよ」


尽「なんか、らしくねぇな? 修司より八尋の方が燃えそうなのにな」


 と首を傾げる。


修司「ぷっ、くっくっく、八尋はよ嘉山かやまに仲間意識があんだよ」

 


八尋「おいっ! 」

 


尽「仲間意識? まぁいいや。とにかく伊藤は奴らや嘉山かやまを見かけたらすぐに逃げろよ。そしてオレたちに連絡しろな」


伊藤「うん、ありがとう。僕は嘉山かやまの顔を知ってるから逃げやすいけど、加藤くんは顔を知らないから気をつけてね。関わらない方がいいよ、嘉山 金太郎かやま きんたろうには! 」


 尽の目が一瞬見開いた。


尽「金太郎? 」


伊藤「うん、嘉山かやまの名前は"金太郎"だよ」

 

尽「ぶっははははは、なんだ嘉山かやまはキンタロさんか? 本当はボクシング部じゃなくて相撲部なんじゃねぇか? 」


 その時、八尋の目が鋭く光り白目を剥きながらアゴを突き出した。


八尋「テメェ尽っ! コノヤロォ! 人の名前をバカにすんじゃねぇぞ——バカヤロォッ! ダァッ〜〜〜シャッ! コラァ! 」


 そして尽の髪を左手で掴み、右のナックルパートをデコに見舞った。


 ゴンッ!


尽「がぁ〜、いってぇ! 」


修司「あぁ〜あ、ダメだよ尽。人の名前をバカにしたらコイツは猪木になっちまう」


 デコを抑えて苦しむ尽。


尽「くっ、面倒めんどくせぇ性格してやがる。悪かったよ八尋、今のはオレが悪い。すまねぇ」


八尋「ふぅ〜〜〜……わかりゃあ良いんだよ、お客さん!……あっ、そうだ! 話、変わるんだけどよ。さっき伊藤さぁ、放送部だって言ってたろ? 」


伊藤「えっ? ああ、そうだよ。秋から部長やらせてもらってるんだ」


八尋「おっ! すげぇな部長かよ。もし可能ならお願いがあんだけど」


伊藤「なに? 出来ることなら」


八尋「オレが持ってるキャロルのレコードをさ、カセットテープに録音できないかな? オレんちさぁ、てんとう虫しかなくてよ、録音できねぇんだわ」


※ てんとう虫:てんとう虫型のレコードプレーヤー

 

伊藤「あぁ、そのくらいなら出来るよ。任せてよ。レコードとテープを学校に持ってきてくれたら放課後にでも録音してあげるよ」


八尋「やった! 本当かよ! サイコーだぜ! 今度テープ買ったら持ってくから頼むな! 」


尽「いいな〜、オレも頼んでいいか? 」


伊藤「もちろん、みんなの分を録音するよ」


「「「サンキュー! 伊藤! 」」」


 コーヒーとタバコの匂いが混じるジョーカーに4人の笑い声が響き渡る。

 

 その笑い声が、冬の風にかき消される頃——夜は静かに、更けていった。

 

 

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