第11話 月影

木々のざわめき

小鳥のさえずり

川のせせらぎ

ゆっくり、ゆっくりと意識が戻ってくる。


柔らかな草の上に大の字で倒れている。

月影が私を護るように、覆いかぶさり

吹き上げる風が髪を揺らし、頬を撫でる日差しが柔らかく暖かい。


少しだけ、瞼を開く。

どこまでも澄みきった何かが飛び込んで来た。


「…なんて、綺麗な空…」


地球の澱んだ空とは全くの別物で

それが空だと一瞬解らない程だった。


月影をぎゅっと抱いたまま上半身だけを起こす。


目を奪われた—————


眼下に広がる森には、林檎やオレンジ、桃に葡萄と様々な果樹に彩られ、甘い香りを運んでくる。

その先の川を挟んで広がる草原には鮮やかな花々が風に揺れ

湖畔では兎らしい生き物が、時折きゅ~んと鳴いている。

遠くには険しい山々が連なっており、鋭利な白い彩りが美しくも厳しさを物語っていた。

だが、それら全てが矮小に見える程、圧倒的で絶対的な存在—————


超巨大大樹


天をも貫き、雲の遥か彼方まで続く大樹は、その終わりを見る事すら赦されない。

何もかもが圧倒的で…

灰色のコンクリートで埋め尽くされた街、鉛色の空とはまさに別世界な風景に

ふと気づけば、頬に涙が伝っていた。


「凄いね、月影。こんな綺麗な世界、あったんだね…」



返って来たのは、小鳥のさえずりだけだった。


(月影…)

胸から離し、そっと掲げてみる。

その体は痛々しい程ぼろぼろで、どこもかしこもに大小様々な傷、傷、傷。無事なところは一つもなく、金色のその瞳も、硬く閉ざされていた。

だけど胸に埋め込まれた美しい月のエンブレム

これだけは、月影の魂が乗り移ったかの如く少し欠けてはいるものの、金色に煌めいている。

そっと触れ


「声が、聴きたいよ…」


私の擦れた呟きは、大自然に解けていった—————


—————ものごころ付く前

酔った父に何故か殴られ、家を飛び出し、路地裏で泣きじゃっくりをあげていると

ふと、頭を撫でられた。

(…)

そこにはぼろぼろで黒い大きなねこのぬいぐるみが居て、でもそのぼろぼろの傷一つ一つが、まるで心の傷みたいで


「大丈夫?いたくないの?」


咄嗟に、そんな言葉が出た。

(…お前こそ、泣いていたじゃないか)

その声、言葉を聴いて、今までの哀しい気持ちがパッと晴れたかのように心が軽くなり

「すごい!お話出来るの!?」

(…ああ)

「すごいすごい!ね、私はルナ!貴方のお名前は?」

(…名など無い)

「そうなの?じゃあ、私が付けても良い?」

(…構わん)

「やった~!じゃあねぇ…」

その子をまじまじと見つめる。すると胸の辺りに綺麗なお月様が埋まっているのを見て

「これ!すごくきれいなお月さま!」

(…ああ、これは…俺の…)

「月影!」

言いかけてた言葉を遮り、咄嗟に閃いた言葉を私は口に出していた。

(…月影…悪くないが、理由を聞いても?)

「んっとね、その真っ黒なからだで、お月さまをまもってるみたいだったから!」

(…それだと、月守じゃないか)

「いいの!月影の方がカッコいいし、黒いから!」

(…お前らしいな。成程…月影か、気に入った)

「やった~!ね、私とお友達になってよ♪」

(…俺の事が怖くないのか?)

「うん!それにね、なんかね…」

(…どうした?)

「なんだかね…ずっとね、月影の事、探してたって、そんな気がしたの」

(…っ…)

「それにね、黒いねこさん見てると、何だかとっても懐かしい気持ちになるんだよ…」

(…そうか)

「うん!ねぇ、これからも、ずっと一緒に居てくれる?」

(…ぁぁ、友達、だろ?)

「やった~♪つ~き~か~げとおともだち~♪あら~たな世界がやってくる~♪」


その時の私は有頂天となり歌ってて、全く気付かなかったけれど

思い返してふと気付いた。最後の月影は、少し寂しそうだったような—————



—————ともあれそれからは、ずっと一緒にいた


何があっても、味方になってくれて

何があっても、助けてくれて

何があっても、私の元へ還って来てくれた。

例え、燃やされようとも—————


「やめて! 月影を返して!!」

酒臭い父が、月影を高く掲げる。

奪い返そうと、ぴょんぴょん飛び跳ねていると、平手が頬に迫って来た。

バシッ!

「痛いっ!」

「うるせえ! 気味が悪ぃんだよ、こんな黒くて汚ねえの! ひっく…

…ん? なんだ、この首飾りだけやたら綺麗だが、まさか金か!?うっひょ~!!」

目の色を変え月のネックレスを乱暴に引っ張る!

「止めて!取らないで!返して!!」

ぽかぽかと力一杯殴りつけるが全く効果はなく

「ちっ、取れねえじゃねえか! クソ!…そうだ、燃やすか。我ながら天才だな!」

気味の悪い薄ら笑いを浮かべ、ライターに火を近づける。

「嫌あああ! 月影、月影! 月影が死んじゃう! やめてよ、うわあああん!!」

「うるせえ!!」

ドガッ

蹴っ飛ばされ、床に倒れ込んでしまう私。痛みなんて、そんな事はどうでもよかった。

炎が月影を呑み込む、その絶望に比べれば…

「イヤアアアアアアアアア!!!」まるでマンドラゴラを抜いたかの如くの奇声だったと思う。

それ程あの時の怒りと憎しみ、哀しみは言葉で表せるものではないが、強いて言うなら世界を焼き尽くす程の絶望だろう。


火は一気に燃え広がり

「よっし、燃えたぞ! …あ!? 灰すら残ってねえ!?どこ行った!?絶対金だったのに! ふざけんな、ちくしょう!!」

父が喚く中、私はただただ茫然としていた。月影が、消えた—————



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