告白代行が間違えて、君への想いが私に届いた ~嘘から始まる本物の恋~
ソコニ
第1話「間違えられた告白」
1
神宮寺蓮は、廊下の窓から校庭を見下ろしながら、三度目の深呼吸をした。
吐く息が震える。心臓が規則を無視して暴れ回っている。掌は湿っていて、握りしめたスマートフォンが滑りそうだ。
画面には、たった今送信したメッセージが表示されている。
『今日の放課後、屋上で待ってる。大事な話がある』
送信先は、氷室美桜。
クラスメイトで、幼馴染で、そして――蓮がこの三年間、ずっと想い続けてきた相手だ。
「……馬鹿だ、俺」
独り言が漏れる。
何度シミュレーションしたことか。何度、鏡の前で練習したことか。それなのに、いざ本番が近づくと、喉の奥が締め付けられるように苦しくなる。
これは病気なのかもしれない。
好きな人の前で声が出なくなる病気。正式名称は知らないが、蓮は確実にその症状を抱えている。
教室に戻ると、窓際の席で美桜が本を読んでいた。長い黒髪が午後の陽射しを受けて、僅かに茶色く輝いている。整った横顔は、まるで雑誌のモデルのようだ。
蓮が自分の席に着くと、美桜が顔を上げた。
「ん? 神宮寺くん、顔赤いよ」
「え、そう?」
「熱でもあるんじゃない?」
心配そうな声。その優しさが、蓮の心臓をさらに追い詰める。
「大丈夫、ちょっと走っただけ」
嘘だ。廊下は歩いてきた。
美桜は小首を傾げたが、それ以上は追及せず本に視線を戻した。
蓮は机に突っ伏した。このまま放課後まで時間が止まってくれればいいのに、と本気で願った。
2
昼休み。
蓮は購買で買ったパンを持って、中庭のベンチに座った。ここなら人目を気にせず、親友の黒崎陸と話ができる。
「で? メッセージは送ったのか?」
陸が隣に座りながら尋ねてくる。彼は蓮とは対照的に、誰とでも気軽に話せる社交的なタイプだ。
「……送った」
「マジで!?」
陸の声が大きくなる。蓮は慌てて周囲を見回した。
「声、でかいって」
「悪い悪い。でもすげーじゃん。ついに告白か」
「まだ決まったわけじゃない。断られるかもしれないし」
「そんなネガティブなこと言うなよ。お前ら幼馴染だろ? 脈あるって」
陸は能天気に笑う。蓮は首を横に振った。
「それが問題なんだ。美桜は俺のこと、幼馴染としか見てない」
「それはお前の思い込みだろ」
「いや、確信がある」
蓮の脳裏に、つい先日の光景が蘇る。
廊下で、美桜が他のクラスの男子と楽しそうに話していた。その笑顔は、蓮が見たことのないくらい華やかで、眩しかった。
そして蓮は理解した。自分は美桜にとって、特別な存在ではないのだと。
「だからこそ、ちゃんと言葉にしないとダメなんだ」
陸がパンを齧りながら言った。
「でもさ、お前、美桜の前で緊張して声出なくなるじゃん。大丈夫なのか?」
核心を突かれた。
蓮は俯いた。
「……それなんだけど」
「ん?」
「実は、もう対策を立ててある」
「対策?」
蓮はスマートフォンを取り出し、とあるアプリの画面を陸に見せた。
画面には、シンプルなロゴと文字が表示されている。
『告白代行サービス ― あなたの想い、代わりに届けます』
陸の目が見開かれた。
「お前……まさか」
「俺の代わりに、誰かが美桜に告白してくれる。それなら、声が出なくても大丈夫だろ?」
「いや待て待て」
陸が両手を振る。
「それって、自分で告白してないじゃん。意味なくない?」
「でも、想いは伝わる」
「伝わるけどさ……」
陸は困惑した表情で頭を掻いた。
「まあ、お前がそれでいいなら、俺は止めないけど。ちなみに、その代行サービスって信頼できるの?」
「口コミは良かった。成功率九十五パーセント以上らしい」
「へえ。で、依頼はもう済ませたの?」
「さっき送った。今日の放課後、屋上で美桜に告白してもらう手筈になってる」
陸はパンを飲み込んでから、深いため息をついた。
「お前って、変なところで行動力あるよな」
「変って言うな」
「褒めてるんだよ。まあ、上手くいくといいな」
陸が蓮の肩を叩く。
蓮は小さく頷いた。
これで良かったのだ、と自分に言い聞かせる。告白の言葉は自分で考えた。それを代わりに伝えてもらうだけだ。気持ちは、きっと届くはずだ。
そう信じるしかなかった。
3
放課後。
蓮は教室の隅で、時計を見つめていた。
時刻は午後四時五分。代行の人間は、もう屋上にいるはずだ。そして美桜も――。
「神宮寺くん、帰らないの?」
声をかけられて、蓮は振り返った。
美桜が鞄を肩にかけて、こちらを見ている。
「あ、ああ。ちょっと用事があって」
「そう。じゃあ、また明日ね」
美桜は軽く手を振って、教室を出て行った。
蓮は心の中で謝罪した。
ごめん、美桜。これから屋上に行くなんて、言えなかった。
彼女が廊下を歩いていく背中を見送ってから、蓮は立ち上がった。
屋上へ続く階段を、足音を殺して登る。
告白の現場を直接見るつもりはなかった。ただ、遠くから様子を窺って、成功したかどうかだけ確認するつもりだった。
屋上の扉が見える位置まで来たとき、蓮は階段の踊り場に身を隠した。
扉の隙間から、屋上の様子が見える。
そこには、一人の女子生徒が立っていた。
背が低く、ショートカットの髪が風に揺れている。制服から見て、一年生だろうか。彼女が、告白代行サービスの担当者だ。
そして、その向かいには――。
蓮の心臓が跳ねた。
いた。美桜が、屋上に立っている。
代行の女子生徒が、美桜に向かって何か話しかけた。
声は聞こえない。でも、口の動きから、告白の言葉を伝えているのだと分かる。
美桜の表情は見えない。でも、彼女は動かずに、その場に立っている。
蓮は息を止めた。
頼む、上手くいってくれ。
だが、次の瞬間。
蓮は自分の目を疑った。
代行の女子生徒が、美桜ではなく、その後ろにいる別の女子生徒に向かって話しかけていた。
いや、違う。
最初から、告白の相手は、その女子生徒だったのだ。
美桜は、ただそこを通りがかっただけ。
そして、告白を受けたのは――。
花宮すみれ。
クラスメイトで、いつも教室の隅で静かに本を読んでいる、地味で目立たない女子生徒。
蓮の脳が、状況を理解するのに数秒かかった。
間違えた。
代行の女子生徒が、告白する相手を間違えたのだ。
すみれは、呆然と立ち尽くしていた。そして、次の瞬間、彼女の目から涙が溢れた。
「ありがとう……ありがとう……!」
すみれの声が、かすかに聞こえた。
「私、初めて……誰かに選ばれた……!」
彼女は両手で顔を覆い、その場にしゃがみ込んだ。
代行の女子生徒が慌てて彼女に駆け寄る。
美桜は、その光景を不思議そうに眺めてから、扉へと向かってきた。
蓮は慌てて階段を駆け下りた。
心臓が破裂しそうだった。
嘘だろ。
嘘だろ、嘘だろ、嘘だろ。
これは、悪い夢だ。
蓮は階段を駆け下り、誰もいないトイレに飛び込んだ。
個室に入り、扉を閉めて、壁に背中を押し付けた。
呼吸が荒い。
膝が笑っている。
どうする。
どうすればいい。
スマートフォンを取り出し、告白代行サービスのアプリを開く。
担当者へのメッセージ欄に、震える指で文字を打ち込んだ。
『間違えたんですか?』
送信ボタンを押す。
返信は、すぐに来た。
『申し訳ございません。確認不足により、対象者を誤認しました。返金対応いたします』
返金。
そんなことは、どうでもいい。
問題は――。
蓮は個室の壁に頭を打ち付けた。
花宮すみれが、あの告白を本物だと思っている。
そして、泣きながら喜んでいた。
どうする。
どうすればいい。
蓮の頭の中で、すみれの声が何度もリフレインした。
『私、初めて……誰かに選ばれた……!』
あの声。
あの涙。
あの喜び。
全部、間違いだった。
蓮は、膝を抱えてしゃがみ込んだ。
史上最悪の、告白になった。
4
翌朝。
蓮は、いつもより早く学校に着いた。
教室に入ると、まだ生徒はまばらだった。
自分の席に着き、机に突っ伏す。
昨夜は、ほとんど眠れなかった。
頭の中で、何度もシミュレーションした。
すみれに真実を話すべきか。それとも、黙っているべきか。
どちらを選んでも、地獄しか見えなかった。
真実を話せば、すみれは傷つく。
黙っていれば、嘘を続けることになる。
「おはよう、神宮寺くん」
声をかけられて、蓮は顔を上げた。
美桜が、いつもの笑顔で立っていた。
「あ、おはよう」
「昨日の用事、済んだの?」
「え?」
「放課後、用事があるって言ってたでしょ」
「ああ、うん。済んだ」
美桜は頷いて、自分の席に向かった。
蓮は胸を撫で下ろした。
美桜は、昨日の屋上での出来事を、ただの偶然として受け止めているようだ。それが、せめてもの救いだった。
そして、教室の扉が開いた。
蓮の心臓が、凍りついた。
花宮すみれが、教室に入ってきた。
いつもは俯きがちな彼女が、今日は顔を上げている。
そして、その顔には、微かな笑みが浮かんでいた。
すみれは教室を見回し、蓮と目が合った。
瞬間、彼女の顔が紅潮した。
そして、すみれは真っ直ぐに蓮の席へと歩いてきた。
まずい。
蓮の脳が警報を鳴らす。
でも、逃げられない。
すみれは蓮の机の前で立ち止まり、小さな声で言った。
「お、おはよう……神宮寺くん」
「……おはよう」
蓮は努めて普通を装った。
すみれは、顔を真っ赤にしたまま、続けた。
「あの……昨日は、ありがとう」
蓮の喉が、乾いた。
「え?」
「その……告白、してくれて」
教室の空気が、一瞬で凍った。
周囲の生徒たちが、一斉にこちらを見る。
蓮は、何も言えなかった。
すみれは、恥ずかしそうに俯いた。
「私……すごく嬉しかった。初めて、誰かに選ばれたから」
その言葉が、蓮の胸に突き刺さる。
「だから……その……これから、よろしくね」
すみれは、ぺこりと頭を下げて、自分の席へと戻っていった。
教室が、ざわめいた。
「え、神宮寺って花宮に告白したの?」
「マジで? 意外な組み合わせ」
「花宮さん、今日なんか雰囲気違うよね」
蓮は、机に突っ伏した。
終わった。
完全に、終わった。
これで、もう後には引けない。
すみれは、蓮が自分に告白したのだと信じている。
そして、クラス中が、それを事実として受け止めている。
今更、「あれは間違いでした」なんて言えるわけがない。
蓮は、自分の掌を見つめた。
汗で、びっしょりと濡れていた。
これから、どうすればいいんだ。
答えは、見つからなかった。
5
昼休み。
蓮は陸に呼び出され、中庭のベンチに座っていた。
「で、どういうことだよ」
陸が、呆れた顔で尋ねてくる。
蓮は、昨日の出来事を全て話した。
告白代行が相手を間違えたこと。
すみれが、それを本物の告白だと思い込んでいること。
そして、今朝のクラスでの出来事。
陸は、話を聞き終えると、深いため息をついた。
「お前……それ、完全にアウトだろ」
「分かってる」
「分かってるなら、今すぐ訂正しろよ」
「できない」
「なんで?」
蓮は、俯いた。
「すみれの顔、見ただろ。あんなに嬉しそうで……あんなに幸せそうで」
「それとこれとは話が別だ」
「でも、真実を言ったら、すみれは傷つく」
「傷つくけど、それが正しいだろ」
陸の言葉は、正論だった。
蓮も、それは分かっている。
でも。
「俺、すみれの泣き顔を見たんだ」
蓮は、昨日の光景を思い出した。
「『初めて誰かに選ばれた』って、泣きながら言ってた。あれを見たら……俺には言えない」
「お前、優しすぎるんだよ」
「優しいんじゃない。臆病なだけだ」
陸は、しばらく黙っていた。
それから、小さく笑った。
「お前って、ほんと馬鹿だよな」
「……分かってる」
「でも、そういうところが、お前の良いところでもあるんだよな」
陸が蓮の肩を叩く。
「まあ、俺はお前の味方だ。どうするかは、お前が決めろ。ただ、一つだけ言っておく」
「何?」
「嘘は、いつかバレる。その時、お前はどうするつもりだ?」
蓮は、答えられなかった。
陸は立ち上がり、教室へと戻っていった。
一人残された蓮は、空を見上げた。
青空が、やけに眩しかった。
そして、その青空の下で、蓮は決意した。
とりあえず、今は黙っていよう。
真実を言うタイミングを、見極めよう。
それが、最善の選択だと、自分に言い聞かせた。
でも、心のどこかで、蓮は分かっていた。
それは、ただの先延ばしでしかないことを。
そして、先延ばしにすればするほど、傷は深くなることを。
蓮は、ベンチに座ったまま、動けなかった。
史上最悪の告白は、こうして、さらに深い沼へと足を踏み入れていった。
(第1話 了)
次回、第2話「言えない真実」
すみれの笑顔が、蓮を追い詰める。
そして、美桜が気づき始める。
「神宮寺くん……何か隠してない?」
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