File6.ポンコツ女神の業務監査と、数値化できない顧客満足度について
その日の事務所は、凍りつくような静寂に包まれていた。
空調の音さえ憚られるほどの緊張感の中、部屋の中央で咲耶が正座をして震えている。 彼女の目の前に立っているのは一人の男だった。 純白のスーツに銀縁の眼鏡。手にはタブレット端末ではなく、光り輝く巻物を持っている。 天界より派遣された特別監査官、『イスルギ』だ。
「担当官・咲耶。貴様の業務報告書には、看過できない瑕疵が多すぎる」
イスルギの声は絶対零度の響きを持っていた。 彼は巻物を広げ、冷徹に読み上げる。
「案件番号002、あずき洗い。当初の希望『魔王』を却下し、辺境への左遷。 案件番号003、雪女。転生そのものを中止し、現世へ滞留させるという重大な規定違反。 案件番号005、鎌鼬(かまいたち)。危険度Sクラスの世界へ、安全装置なしで放出」
イスルギは眼鏡の位置を直し、ゴミを見るような目で咲耶を見下ろした。
「貴様は転生課の『処理率』を著しく低下させているだけでなく、クライアントの要望を無視し独断専行を繰り返している。 女神失格だ。本日付で天界への強制送還、および懲戒処分を申し渡す」
「そ、そんなぁ! 待ってください、私……!」
咲耶が顔を上げるが、その瞳は絶望に濡れている。 反論したい。けれど、数字上の結果はすべて彼の言う通りなのだ。
「弁解の余地はない。連行する」
イスルギが指を鳴らすと、光の鎖が咲耶の腕に巻き付こうとした――その時だ。 カツンと陶器がテーブルに置かれる音が静寂を破った。
「少々、騒がしいですね」
俺は湯呑を置いてゆっくりと立ち上がった。 オサキが無言で俺の横に並ぶ。 イスルギが眉をひそめる。
「九十九とか言ったか。下界のコンサルタント風情が、天界の人事に口を出す気か?」
「人事? いえ、私が口を出しているのは『経営判断』についてです」
俺はイスルギの目の前に歩み寄った。
「あなたの監査基準(メトリクス)はあまりに前時代的だ。数字しか見えていない無能な経営者の典型ですね」
「何だと?」
イスルギの背後で空気がビリビリと震え出す。神威による威圧だ。 だが、そんなものはカガチとの戦いで飽きるほど味わった。 俺はひるむことなく咲耶を指差した。
「あなたは彼女を『処理率』で評価した。だが我々の業務は『魂の救済』だ。見るべき指標(KPI)は処理数ではなく『顧客満足度』と『再発防止率』でしょう」
俺はオサキに合図を送る。 オサキが空中にホログラムを展開した。そこに映し出されたのは、咲耶が担当したクライアントたちの「その後」だ。
『聖杯洗いの儀式』で崇められ、涙を流して喜ぶあずき洗い。 夫の手を握り、穏やかに微笑む雪女。 異世界で魔草を刈りまくり、英雄として讃えられる鎌鼬たち。
「見なさい。どのクライアントも魂の『適性』に合致した場所を得て、深い充足感を得ている。 彼らからは転生後のクレームも、現世への未練による再トラブルも一件も発生していない」
俺はイスルギに詰め寄った。
「以前のあなたの部署のやり方はどうでした? 要望通りにチートを与えて転生させ、結果現地でトラブルを起こしたり、すぐに飽きて『別の世界に行きたい』と再申請してくる魂が後を絶たなかったはずだ」
イスルギが言葉に詰まる。 図星だ。天界の事務的な処理は、魂のリピーター(トラブルメーカー)を生み出し続けていたのだ。
「咲耶さんのやり方は確かに非効率だ。いちいち感情移入し、泣き、悩み、手間をかける。 だが、彼女のその『非効率な共感性』こそが、クライアントの深層心理にある『真の願望』を掘り起こすための唯一のインターフェースになっている」
俺は呆然としている咲耶の肩にポンと手を置いた。
「彼女はポンコツです。事務処理能力は絶望的に低い。 ですが、顧客に寄り添うその姿勢は、冷徹なシステムには決して真似できない得難い『才能』だ。 それを切り捨てるなら、天界の目は節穴と言わざるを得ない」
イスルギはホログラムの中のあやかし達の笑顔と、俺の目を交互に見て……やがて深くため息をついた。 張り詰めていた神威が霧散する。
「ふん。口の減らない男だ」
彼は光の鎖を消滅させた。
「よかろう。今回の処分は保留とする。 ただし、彼女の管理責任は貴様にあると心得よ。もし一度でも不祥事を起こせば、その時は貴様の魂ごと徴収する」
「結構。その代わり、彼女の働きに見合った『対価』は置いていってもらいますよ」
イスルギは苦虫を噛み潰したような顔で、懐から一枚の金色のカードを取り出しデスクに放り投げた。 そして、逃げるように光の中へと消えていった。
「た、助かった……んですか?」
咲耶がへなへなと座り込む。
「九十九さん……! 私のこと、才能があるって……!」
「勘違いしないでください」
俺は冷たくお茶をすすった。
「あなたの事務処理能力がゼロなのは事実です。これからは今まで以上に厳しく指導しますから、覚悟しておくように」
「ひぃっ! 悪魔! 鬼! コンサルタントぉぉ!」
オサキがデスクに残された金色のカードを拾い上げた。
「九十九さん、今回の報酬……いえ、『示談金』ですね」
『天界のゴールドカード(経費精算用)』
「効果は?」
「異世界への転生業務に関わる出費なら、限度額無制限で天界の経費として落とせるそうです。 これで転生先のリサーチ費用も、咲耶さんのミスによる損害賠償も全て天界持ちですね」
「悪くない」
俺は口元を緩めた。 このポンコツ女神を雇うコストが、これでチャラになったわけだ。
「さて、監査は終わりだ。仕事に戻るぞ」
「はいっ! あの、九十九さん!」
咲耶が涙を拭って満面の笑みを向けた。
「ありがとうございます! 私、もっともっと頑張りますから!」
やれやれ。 調子のいい女神だ。 だがまあ、あの笑顔がある限りこの事務所も暗くはならないだろう。
俺は積まれた書類の山に目を落とした。 次のクライアントは、どんな「理不尽」を抱えてやってくるのか。 退屈する暇はなさそうだ。
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