九十九経営コンサルティング、今度は『異世界転生課』を承ります
神楽坂湊
File1.新事業、始動
カガチとの決戦から、数日が過ぎた。
神保町の古びたビルの一室、『九十九(つくも)経営コンサルティング』の事務所は、嘘のように静かな日常を取り戻していた。
俺は深くソファに身を沈め、カガチという『過去』と決別した魂の、奇妙な『空白』を感じていた。
蘆屋道満(あしやどうまん)としての呪縛は消えた。
だが、その代償として支払った疲労は、まだ体の芯に重く残っている。
「九十九さん。新しいお茶が入りました」
オサキが、いつもと寸分違わぬ所作で湯呑を差し出す。
彼の銀色の毛並みは、あの虚数の牢獄から生還したとは思えないほど手入れが行き届いている。
俺の過去を知った上で、彼は変わらず俺を「九十九さん」と呼ぶ。
それだけが、今の俺を『現在』に繋ぎとめている、唯一の楔かもしれなかった。
「……ああ。ありがとう、オサキ」
湯呑を受け取った、その時。
ドンドンッドン!!
事務所の扉が、壊れるのではないかという勢いで乱暴に叩かれた。
オサキの眉が、ピクリと不快げに動く。
あやかしや神々がこの事務所を訪れる際は、物理的な扉など使わない。
つまり、来訪者は極めて『人間くさい』常識の持ち主か、あるいは――。
「あ、開けてください! お願いします! 緊急事態なんです!」
扉の向こうから聞こえてきたのは、切羽詰まった若い女の泣き声だった。
オサキが仕方なさそうに扉を開けると、そこには息を切らせた一人の女性が立っていた。
服装は、天界の役人が着るような、古風だが上質な白い衣。
しかし、その着こなしは乱れ、美しいはずの顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。
「ひっ……! あ、あの! ここが、あの、九十九経営コンサルティングさん、ですよねっ!?」
「左様ですが。アポイントメントはお持ちで?」
オサキが冷たく言い放つ。
「あ、アポ……!? そんな余裕、ありません! わ、私、天界で『転生管理室』の室長をしております、咲耶(さくや)と申します! あの、閻魔大王様のご紹介で……!」
閻魔、という名が出た瞬間、俺は咲耶を事務所に招き入れた。
彼女はソファに(文字通り)崩れ落ちると、わっと泣き出した。
「もう……もう、ダメなんです……! パンクです! 私の部署だけでは、もう、処理しきれません……!」
「咲耶さん、でしたか。まずは落ち着いてください」
俺はオサキに目配せし、彼女に(オサキが客用に出す中でも一番安い)番茶を出させた。
「あなたの部署の『業務』がパンクしている。……その、根本的な原因(ボトルネック)は?」
「そ、それが……」
咲耶は涙をこらえながら、震える手でタブレット端末を取り出した。
「これ、見てください……! ここ数ヶ月の、『異世界転生希望者』の申請リストです!」
画面に映し出されたのは、膨大な待機リストだった。
だが、その名前は人間のものではない。
『枕返し』『けらけら女』『かまいたち』『あかなめ』……。
リストを埋め尽くしていたのは、日本古来のあやかし達の名前だった。
「……これは」
「カガチ様との戦いの後からです! あやかし達の間で、『もう、この世界には居場所がない』っていう絶望が、一気に広まって……!」
咲耶の言葉が、俺の思考をクリアにする。
カガチは、あやかし社会の『秩序』を破壊しようとした。
俺は、それを阻止した。
だが、その結果、秩序が守られた代わりに、『あやかし達が、そもそも、その秩序の中で生きていくことへの、絶望』そのものが、浮き彫りになってしまったのだ。
生みの親である人間に「怖い」「迷惑だ」と一方的に拒絶される理不尽。
その魂のSOSが、「転生」という名の『離職』願望となって、咲耶の元に殺到していた。
「私、頑張ったんです! 『チート能力が欲しい』とか『ハーレムを作りたい』とか、皆の要望を叶えようと……! でも、多すぎて……! 『剣と魔法の世界』のキャパも、もう一杯で……! 昨日なんて『スローライフがしたい』っていう座敷わらし様を、間違えて『魔王軍との最前線』に転送しちゃって……!」
「……」
俺はこめかみを押さえた。
オサキが冷たく呟く。
「……なるほど。これが天界のエリート官僚ですか。……ポンコツにも程がありますね」
「ひっ……!」
咲耶がオサキの正論に、再び泣き出す。
だが、その時。
事務所の空気が、再びあの『死』の気配に満ちた。
テーブルの上に、音もなく黒い木簡(もっかん)が突き立つ。
閻魔大王からの『督促状』だ。
『――九十九。ぬらりひょんへの『新秩序(ニュー・オーダー)』設計、受けたそうだな。
ならば、まず、その『魂の大流出』を止めよ。
その泣き虫の女神ごと、貴様の監査下に置く。
これは、『業務命令』である』
……逃げ道は、ないか。
カガチを倒したと思ったら、今度はこの国の秩序そのものの……『人事コンサルティング』を押し付けられたというわけだ。
俺は一つ深くため息をつき、泣きじゃくるポンコツ女神・咲耶に向かって言った。
「咲耶さん。聞きなさい」
「は、はいぃ……!」
「あなたの、その非効率で感情的な業務フローは、本日をもって全て凍結します」
「えっ」
「これより『転生管理室』は『九十九経営コンサルティング』の直轄事業部として再編する。……新セクション名は、『異世界転生課』。あなたは、そこの見習い……いや、研修生です」
「け、研修生!?」
俺は、咲耶が持ってきた……あのデタラメな『転生希望リスト』を手に取った。
「いいですか。我々の仕事は、彼らを逃がすことではない。
彼らの絶望の本質を『監査』し……最適な『解』を提示することだ」
俺はリストの一番上を指差した。
「手始めに。
この『最強の魔王になって人間を滅ぼしたい』と言っている……この『あずき洗い』のコンサルティングから開始しますよ」
「そ、そんな、無茶ですぅ……!」
「――チートやハーレムより重要なのは、転生先との『マッチング』です。……違いますか?」
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