第三話
目が覚めたら、自分が土の床に直接敷かれただけの貧相な
身を起こすと、筵の横に台があり、その上にお椀が置かれていることに気づく。お椀を覗き込めば、雑穀に漬け物が載せられている平凡な食事であることがわかった。朝食のつもりなのだろうか。
「どうせならもっと美味しいものでも食べさせてよ……」
とはいえ、貧民の生活水準からすれば、文句を言うような物でもないが。
体勢を整えようと腕に力を入れようとする。しかし、そこで左腕に疼くような痛みが走る。どういうことだろうかと袖を捲ってみれば、乱雑に包帯が巻かれている。それを外すと、新しい切り傷が覗いていた。
「きっっっっしょ! 加虐趣味は合意の元でやってろ!」
腹が立ってしまえば、待遇の良し悪しなどどうでも良くなった。とりあえず食事を「毒とか入っていないよね……」と訝しみつつ、あっという間に平らげる。
一応服装と持ち物を確認しておくと、「町人の娘」風の服装のままで、懐にもちゃんと姉のお守りが入っていることに安堵した。
そうして部屋を出ると、周囲には誰もいない。どういうことだろうかと辺りを見渡してみれば、視界が開けた奥に大勢の人が集まっているのが見える。この人集りは大方「凡人入学生歓迎」とやらのためなのだろう。
確か、西岸の
そのさらに向こうを見れば、断崖絶壁のようであった。これでは街に帰るのも大変かもしれない。
人目につかないように気をつけながら、ぐるりと一周歩いてみる。雲海が岩の間に入り込み、神秘的な雰囲気を醸し出す。
どうやら放任されているようだ。その分警備にも自信があるということだろう。それでも、人が広場に集中している以上手薄になっているはずだ。
「何が玄霊院だ! 脱走してやる!」
私は正門まで忍び足で歩いて行き、警備員が見ていない隙を見計らって堂々と歩いていく。しかも、神術で身体を透明にした私には監視など怖くない。
しかし、想定通り空いているように見せかけられた門には結界があり、私は軽々と弾き飛ばされた。そして当然の如く警備員が私を取り押さえようと出てくる。ここからが本番だ。
「何者だ!」
私はだんまりを決め込む。身体を透明にしたのだから、警備員には見えないだろう。そして警備員が警備室を出た隙に私がそこを乗っ取る。なんて天才!
「待て!」
「え、ええ!?」
だが、私の「天才的な脱出作戦」は私の期待に反して一瞬で破綻した。何故悟られたのかと困惑する間もなく、私は首根っこを掴まれる。そこで、私は気づいた。
身体は透明でも服が見えたままだったじゃないか!
「何者だ!」
「わ、私は
「昭司!? お前は凡人か」
「え?」
一瞬で身分を見抜かれたことに虚をつかれつつ、大慌てで逃げ出そうとする。しかし、踵を返した私は、勢い余って真後ろにいた誰かに正面衝突した。
その胸に頭から突っ込めば肩から受け止められ、私は体勢を立て直そうとする。誰だと思いながら顔を見上げれば、なんと昭司なんちゃら本人である。
「で、殿下……」
「あー! 誘拐犯! 私を家に帰せ!」
「部屋に誰もいなかったのか?」
「うわっ! この拘束やめて」
「殿下、この女は……」
「問題ない、凡人だ」
私の腕に光の拘束を取り付けながら、昭司なんちゃらは動物でも引きつれるように私を引っ張った。警備員の畏れ慄くような表情に彼の身分が非凡であることを推測し、ふーんと思ってみる。
「ねえ、昭司なんちゃら!」
「
「えー、身分も何もいいじゃん〜。みんなこの大地で生まれたもの同士なんだし」
そう言いつつ、彼の反応を窺ってみる。規則だの身分だの言うあたり、実に頭が硬そうだ。それになんだか偉そうである。厄介なことこの上ない。私は馬のように彼に引きずられながら、門を離れていった。
「ねえ、規則だの何だの言うけどそれって一体なんのこと?」
「神魔両族で合意された法規だ。人間界では法術を使ってはならない。そして、其方は盗みも働いた」
「あーあ、裕福な人は羨ましいですね。薬だってさぞ簡単に手に入るんでしょう」
「薬? 何故薬を盗んだ」
役人あたりに聞き出したのだろう。手元になかったはずなのに、罪状が知られている。それ自体は構わない。しかし、姉がいると悟られるのは不都合だ。姉の身に何かあっては困る。そう思いつつも私は頷く。
「薬って高値で売れるじゃん」
「病に苦しむ者から金銭を騙し取るというのか」
「は? 何それっ」
私は露骨に眉を顰め、彼の顔を見つめた。その瞳に冗談の色は見当たらず、私は呆れから白目を剥いた。
これを天真というのか? 愚かというのか? 誰がこんなことを言うのだろうか。
薬屋自体、そういうものではないか。病に苦しむ私の姉からお金を吸い取ろうとする、何故私だけが一方的に責められるのだ。
「はいはい、
「法典を渡す。今日の間はそれを書き写していろ」
広場まで戻ると、式典は解散した直後のようで、こちらに向かって歩いてくる人影もちらほらいた。暮沈は人目を避けようとするように柱の影に周り、私はならば突き出してやろうかとでも考えていた。
どうせ高貴なご身分なことだろうし、人に囲まれるのが面倒だと言うだけなのだろう。
「法典なんて書き写して何になるのさ……」
そうして目覚めた部屋に戻って云々と唸っていると、雑用係とでもいうような風貌の老婆がやってきて、朝食の片付けと交換するように「法典」とやらと文房具一式を差し出した。そして、自分が農作業を任されたということを告げ、次の部屋へと立ち去っていく。
法典。
「はああ!? これを書き写せだと!?」
私は思わず筆を放り投げた。筆が地面に落ちる音が響く。私はポカンと大きく口を開いたまま閉じることができなかった。
法典、それは手の横幅ほどの分厚さをしていたのである。
「玄霊院ー!!! お前らに殺されてたまるか!!! 絶対に抜け出してやるからな!!!」
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