天問花〜凡人出身神術使いは天命を変えたい〜

梨月雨離

序章

第一話

 盗むなら今日しかない。

 硬く心に決意を宿し、人通りの少ない街中を私は全力で走っていた。路地の両側には楼閣が並ぶが、いつもの屋台は閉まっていて、灯もほとんどついていない。ただ、遠くで祝福の花火の音だけが響き、光の粉を散らすのが視界の端で見えていた。

 薬を盗むのだ。

 手薄な警備の中、私はどうにか街の薬屋に辿り着く。やはり主人はいない。私は慣れた手つきで扉をこじ開け、薬屋の中へ忍び込む。そして引き出しをいくつか漁り、目当ての薬が見つからないことに焦りが募りながらも最後はどうにかその包みを手に入れた。

 そしてすぐに薬屋を離れなければならない。誰にも見つからないうちに。誰にも捕まらないように。逃げなければ――。


「待て! おい、薬屋に盗人が出たぞ!」


 しかし、街にはそれでも警備が残っていたようだった。私は小さく舌打ちをし、路地の奥へと入り込む。追っ手を撒けるように、それでも最短距離で家に帰って、薬をちゃんとお姉ちゃんに届けられるように、走る。

 お姉ちゃんが病気だ。でも、身寄りのいない私たちには、まともな医療を受けられない。だから、盗みでもしないと生きていけない。

 かといって、私が捕まってしまえば本末転倒だ。


「路地に入ったぞ! 出口から囲め!」

「少女だ! 襤褸を着ていたぞ! 貧民だ」


 誰がお前たちに捕まるか、腐れ役人ども。私は柱を掴んで路地に並ぶ建物の二階へ忍び込む。部屋はひっそりとしていた。

 今日は街には誰もいない。人間界から十年ぶりに神族と魔族のみが通う学校、玄霊院げんれいいんの入学者が出たのだ。その入学者がこの街から出たからこそ、この街の住民は誰もがその祝宴に夢中だった。


「どこだ!? 消えやがったぞ!」

「よく探せ! 隠れているかもしれない」


 追っ手は五人、もしかしたら増えているかもしれない。路地は論外だが、表にも警備はいるだろう。とりあえず建物伝いにこの区画を抜ける。その向こうには人混みがあるはずだ。

 ドーンと花火が上がる。その音と歓声に紛れて、私は二階から飛び降りた。そして街の役所の前の人だかりに紛れ込もうとする。そのまま襤褸を脱ぎ捨てれば、立派な町民の少女だ。側からはきっと家族と逸れた少女のように見えるだろう。


「人間界から法術使いだなんて不思議よね」

「選ばれたのって誰かしら?」

「ほら、あの子よ! 西岸の晴月チンユエって子!」


 人混みを通り抜けて、街の反対側に来た。先程までの街が華やかであったのに対し、こちらは貧相だ。この地区こそ私たち貧民が住む薄汚い河辺である。

 ちらりと役所の段差の上に立つ役人たちを一瞥する。その中央に、入学者なのであろう少女が座っている。役人の中には一際目立つ服装をする者もいて、彼らが玄霊院げんれいいんの関係者なのが推測できた。


「この度の入学が人間界の繁栄に一層貢献することを期待しています!」


 何が「人間界の繁栄」だ。それならどうして私たちのような貧民がこんなにもいるというのだ。どうしてお姉ちゃんのような人が苦しまないといけないというのだ。


 綺麗事ばかり言う役人たちに辟易しながら、私は慣れた道を走る。町人の上品な服装では、泥道は走りづらい。息を切らしていると、「待て! さっきの盗人だろ!」と後ろから誰かが声を上げた。どうやら服を変えたのも見られていたようだ。

 不味いかもしれない。すでに走りすぎていて足の動きが鈍くなっていたのだ。追っ手の足音は段々と距離を縮め、気がついたら私は後ろから腕を掴まれている。


「離してっ!」

「捕まえたぞ!」

「離せって言ってんの!」

「一緒に来てもらうぞ」


 腕を両側から掴まれ、肩まで取り押さえられる。私は腕を振り払おうとするが、成人男性三人の力には勝てそうにない。全身の力を振り絞って、私は三人を突き飛ばそうとする。

 そこで、私が目を瞑った途端に、何かの光が自分の身体の中から弾けるのを感じた。目を開くと、三人はすでに吹き飛ばされたかのように地面に転がっている。

 何が起きたのかを理解する前に、私は通りを走り抜けた。そして姉の待つ家まで来て、扉を乱暴に開ける。


紫薇ズーウェイ!?」

「お姉ちゃんこれ薬っ! すぐ帰るからっ!」


 姉が何かを言う前に私は薬の包みを放り入れ、家になど帰っていなかったのように再び走る。


「おいっ! さっきのはなんだ!」

「何しやがった!」


 彼らに家を知られてはいけない。私と姉の関係を知られてはならない。私はさらに河辺まで草むらを抜けてゆき、木の影に隠れようとした。

 低い轟とともに、花火が無数の煌めきとなっては闇夜に消える。


「運命にあるならばいつかは得られる、運命になければ強いて求めてはならない。得られないものは、運命に与えられなかったというだけだ。なのに何故盗んでまで手に入れようとする?」

「誰っ!?」

「其方が神術を使ったのを見た。何故人間界にいる?」


 仄暗い河岸で、悠然と佇む人影。夜風に吹かれて長く黒い髪が踊っている。その隙間から、彼は鋭い視線を私に向けた。彼の白い衣服が、その身分をはっきりと示している。

 ――彼は神族だ。

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