第10話 喪失の夜

 夜も深けてきた頃、洞窟の入口から、雨の気配が滲んでいた。焚き火の炎は小さく揺れ、湿った空気に溶けていく。

 

 洞窟の入り口の方では、ノアが外を見つめていた。その横顔には疲労が滲んでいるのに、目だけは鋭く冴えている。


 夜の闇を見据えるように――いや、己の中に生まれた焦燥を押し殺すように。

 何かを守り損ねた痛みと、まだ守らなければならないものがあるという使命感。その狭間で、彼は立ち尽くしていた。


 私はそっと口を開いた。

「ノア……話さないといけないことがたくさんあります……」


 ノアがこちらを振り向く。その瞳の奥に、一瞬だけよぎったのは不安だった。

 けれどすぐに彼はそれを隠すように、穏やかな顔を作る。――いつものように。


 息を吸って、言葉を探す。けれど、どんな言葉も重すぎて、喉に引っかかる。それでも、伝えなければいけなかった。

 

「……お母様が……亡くなりました」


 その瞬間、洞窟の空気が止まったように感じた。自分の声が、やけに遠くで響く。

 

 ノアは、何かを言おうとして——それを飲み込んだ。拳を握りしめ、それでも表情を崩さない。

 皇族を守る者としての誇りが、感情の奔流を押し止めていた。


 ノアにとっても、皇太子妃は忠誠を誓った主であり、第二の母のように感じていた人だったのだ。


 (私の次の言葉は優しい人を傷つける…。でも、それでも伝えなくてはならない……)


 私は唇を噛み、震える声で呟いた。

「ノアの父君…アルヴェイン公爵も亡くなったと……」


 ノアの肩が微かに震えた。

 しかし彼は黙って頷き、火の中の小さな赤を見つめる。

 その炎は、彼の胸の奥で燃える誓いのように、かすかに揺れていた。


 「あのね…ウォード伯爵とレオンが、戻ってこないの。私が川を渡っている間にレオンがどこかに行ってしまって…お母様の所に行ってしまったのかもしれません……ウォード伯爵が探しに行ってくれましたが……」


 言葉の途中で喉が詰まり、息が震えた。ノアはそっと私の隣に座った。濡れた外套からは冷たい匂いがしたが、その声はあたたかかった。


「……ウォード卿なら、きっとレオン殿下を見つけてくださいます。あの方は、そういう人です」


 ノアの言葉は穏やかで、確信を帯びていた。

 けれどその手のひらは小さく震えていた。

 冷たさではない。恐れでもない。――それは、守れなかった者への悔恨だった。


 「今は……待つしかありません。夜が明けるまで、ここに留まりましょう」


 雨音が、洞窟の天井を優しく叩いていた。その音を聞きながら、私は小さく頷いた。

 けれどノアは、焚き火の明かりの中でひとり、見えない何かを見つめていた。

 

 ――この夜を越えても、失ったものは戻らない。

 それでも、生き残った者として、背負わなければならないものがある。

 その覚悟だけが、彼の沈黙を支えていた。

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