第4話 赤く燃える旅路
離宮までの道中、私とレオンは退屈しのぎにハンカチでうさぎやバナナを作って遊んでいた。最初こそ笑っていたものの、やがて飽きてしまったのか、レオンはつまらなさそうに馬車の中を右に左に移動しては、外の景色を覗き込んでいる。
「お姉様! 外に出たい!」
頬を膨らませるレオンを宥めようとしたけれど、七歳の男の子がじっとしていられるはずもない。少しでも気を紛らわせようと、私はいくつかの昔話を語って聞かせることにした。
童話をいくつか話したあと、ふと、昨日も何か神話のような夢を見たことを思い出す。
そんなことを考えていると、レオンが心配そうに顔を覗き込んできた。
「お姉様、大丈夫?」
「うん。ごめんね、ちょっと眠くなっちゃっただけ。昨日、楽しみすぎて眠れなかったの」
笑って答えると、レオンは胸を張って言った。
「お姉様は寝ててもいいよ! 何かあったら、僕が起こすから!」
あまりに頼もしいことを言うものだから、思わず吹き出してしまう。
ほんの数分前まで「退屈だー!」と騒いでいたくせに。
「ありがとう、レオン」
レオンの柔らかい髪をくしゃくしゃに撫でると、彼は頬をぷくっと膨らませた。
「子ども扱いしないでください!」
可愛い弟を眺めながら撫でているうちに、レオンはいつの間にか小さな寝息を立てていた。
そっとマントを掛けてやる。きっと起きたら「起こしてくれなかった」と怒るだろう。
「ふふっ……」
思わず笑みが零れた、その瞬間――。
――ガコッ。
激しい衝撃が馬車を揺らした。
体が前へ投げ出されそうになったが、ノアの腕が私を支えた。
「おふたりとも、ご無事ですか?」
「ええ……ノアのおかげで。ありがとうございます」
「ぼ、僕も……大丈夫」
眠そうに目をこするレオンの姿に、胸を撫で下ろす。
けれど、すぐに胸の奥に冷たい不安が広がった。――父と母は?
外を覗こうとした瞬間、ノアの手が私を制した。
「私が外の様子を確認して参ります。おふたりは、どうかこのまま中でお待ちください」
そう言ってノアはカーテンを引き、外へ出た。
カーテンの隙間から見えたのは、離宮の庭ではなく――薄暗い山道。
(……どうして、こんなところに?)
心臓が早鐘のように鳴る。
けれど、焦っても仕方がない。
深く息を吐いて、気持ちを落ち着けた。
「ふぅ……」
そんな私の隣で、レオンが無邪気に言った。
「サプライズかな!」
――サプライズ、ね。
そうだといいけれど。
レオンの笑顔を見ながら、私は祈るように小さく呟いた。
「……どうか、何事もありませんように」
外は騒がしい。
馬のいななき、鎧の軋む音、怒鳴り声。
それらが、まるで遠くの夢の中の出来事のようにぼやけて聞こえる。
どれほどの時間が経ったのかも分からなかった。
外は次第に暗くなっていった。
それが日暮れのせいなのか、嵐の前触れなのか、判別もつかない。
もし馬車が壊れたのなら外へ出なければ……そう思い、トランクを開けたときだった。
「――ぎゃあああ!」
突然、耳を裂くような悲鳴が響いた。
「敵襲! 敵襲!」
近衛兵たちの叫びが飛び交い、剣がぶつかり合う音があちこちで弾ける。
(何? 何が起こってるの……!?)
外の様子を確かめたかったが、出発前にアルヴェイン公爵に言われた言葉を思い出す。
――“何かあった時、決して外に姿を見せてはなりません”
皇族の馬車が襲撃された時、狙われるのは必ず皇族。
自ら姿を晒せば、それは的になるということだ。
(大丈夫。ノアが、必ず戻ってきてくれる)
「お姉様! 何が起こってるの!?」
泣きついてくるレオンの肩を掴み、目線を合わせて腰を屈める。
こんな小さな子に、この恐怖がどれほどのものかと思うだけで胸が締め付けられた。
「大丈夫。お姉ちゃんが一緒だから。それに、レオンがいつも言ってたでしょ? お姉ちゃんを守るって」
冗談めかして笑うと、レオンは涙をこらえるようにぎゅっと唇を噛んだ。
「……うん。頑張る!」
その言葉に小さく頷き、マントをレオンの肩に掛けた。
――バンッ!
馬車の扉が激しく開いた。
「御無礼をお許しください! 両陛下のもとへご案内いたします!」
普段の柔らかな声とは違う、鋭く研ぎ澄まされた声音。
その一瞬で、ノアが“従者”ではなく“護る者”の顔になったと悟る。
レオンはノアに抱え上げられて馬車を降りる。
続いて、私も意を決して飛び降りた。
「エリシア様!?」
ノアの驚く声が聞こえる。
――ズキッ。
着地の衝撃が脚に走り、思わず手をついた。
こんな高さから飛び降りたのは生まれて初めてだった。
「大丈夫ですか!?」
「平気です……急ぎましょう!」
一歩踏み出そうとした瞬間――。
――ゾクッ。
背後に、黒い“何か”の気配を感じた。
次の瞬間、
――ビューン!
足元を火矢が掠め、地面に突き刺さる。
ゆっくりと振り返ると、闇の中に黒装束の影が揺らめいていた。
「エリシア様!急ぎましょう!」
ノアはレオンを片腕に抱え、もう片方の手で私の腕を強く引いた。
その手の温もりに縋るようにして、私は走り出す。
振り返ると、さっきまでいた場所に火の手が上がっていた。
夜の闇を切り裂く炎の赤が、まるで運命の幕開けを告げるように揺らめいていた。
――そして、私たちは山中の古い廃城へと逃げ込んだ。
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